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襟裳岬のクロマツ

2015-10-02 11:11:33 | 自転車でコスモスの島へ

 

 襟裳岬の先端を東側の海岸に下った先の道道34号には、両側を緑に挟まれた、平坦な一本道が続いていました。

 

 

 道の両側に並ぶ木々は、掲示物からクロマツとカシワだと判りました。

 

 「襟裳岬魚付き林」の標示を目にしました。

 

 「襟裳岬の魚付き林」に興味を覚え、帰宅後に調べてみますと、

 

 【襟裳岬周辺は、かつて落葉広葉樹の天然林に覆われていましたが、薪の採取、牧場開発及びバッタの食害によって砂漠化が進み、昭和初期には「襟裳砂漠」と呼ばれていました。

 

 風に飛ばされた赤土が沿岸10kmにも及び、海は赤く濁り、回遊魚が寄りつかなくなり、昆布が根腐れを起こすなど、沿岸海域の生態系は著しく劣化していました。

 

 昭和28年から始まった緑化事業によって、昭和40年ごろから赤土や土砂の海への流出は減少し、魚介類の水揚げ高は急速に増え、昭和27年の72tに対し平成3年には2,082t、平成13年には2,300tを記録し、昆布類の品質も著しく向上していった】のだそうです。

 

 平成18年9月5日、天皇皇后両陛下が襟裳岬緑化事業地の視察に訪れた際、天皇陛下がその苦労をしのび詠まれた歌が、先にご紹介した、岬に建つ石碑に刻まれています。

 

 現在も「襟裳岬の緑を守る会」と行政機関が協力し、春は漁師の妻による「ワクワク森づくり」、秋は漁師による「イキイキ森づくり」が実施されています。

 

 「えりも岬の緑を守る会」は平成10年4月「第9回みどりの文化賞」、平成15年4月「第37回吉川英治文化賞」を受賞しその功績が称えられたそうです。

 

 襟裳岬の森林再生に学び、北海道では平成14年度から、15カ所を「北の魚つきの森」と認定し、地域住民による自発的な森林づくり活動の促進が図られているそうです。

 

 

 

 見事な魚付き林が数㎞に亘って続いていました。

 

 私はこれらの林に北海道の在来樹種ではないクロマツが使われていることに驚きましたが、多分襟裳岬と緯度の違わない函館にクロマツが育つことから、潮風に強いクロマツが選定されたのだと思います。

 

 

 勿論、今の私の一番の関心事である、マツの枝の形態もしっかりと観察させて頂きました。

 

 その内容は、何時の日か、別のブログでご紹介することになればと思います。

 

 

 「襟裳岬魚付き林」は後世に「魚付き林」の効果を実証した歴史的遺産として語り継がれる可能性がありそうです。

 

 「何も無い」と歌われた襟裳岬で、森を育てる人々の素敵なお話に巡り会えたことは、今回の旅の大きな収穫となりました。

 

 予想外の場所で出会ったクロマツに、好奇心に胸を膨らませながら、私は風吹き荒ぶ北国の道に独り、自転車を進めてゆきました。

 

 

 

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風極の地 襟裳岬へ 人生100年の自転車旅

2015-10-02 00:46:11 | 自転車でコスモスの島へ

 

 正面から吹き付ける雨と風は強さを増してきました。

 

 3~40m程のアップダウンを繰り返す丘陵地帯の登り坂で、向かい風に負けた私は、とうとう自転車から降りて100m程の距離を歩かされました。

 

 その後も、世界から孤立した異次元世界に導かれるかのように、丘の稜線を上下する鈍色の道で、自転車を黙々と進めました。

 

 少しでも推進力を得ようと、ヨットの帆を操るように、風の向きに対し体躯を斜めに構えながら自転車を進めました。

 

 断続的に吹き付ける雨と風に煽られ、対向車線側に押し流されながら、ただひたすらに、何も無い襟裳岬を目指しました。

 

 

 

 雨と風が吹き荒ぶ中、私は生きていることの手応えを感じていました。

 

 そんなプリミティブな感覚を味わうのは久しぶりのことです。

 

 生命体としての、己の器官全てが、齟齬なく機能している喜びを感じていました。

 

 そして、皮膚直下の神経線維に、アドレナリンが滲みわたるような充実感に満たされ、灰白色の霧に包まれた襟裳岬に到着しました。

 

 岬の売店で時間を確認すると、時計の針は既に16時を廻っていました。

 

 

 

 取り敢えず、岬の先だけでも見ておこうと、遊歩道に歩を進めました。

 

 過去にこの場所に立った時、岩礁が沖に向かって並ぶ光景を眺めましたが、今は足元の海が乳白色に霞み、何も無い岬は、何も無いことさえ霧のベールに包まれています。

 

 

 「風極の地 襟裳岬」と記された石碑通りの光景の中に私は居ました。

 

 風と波が奏でる音だけが、この時の今を語っていました。

 

 

 そんな岬の中、

 

 「御製 吹きすさぶ海風に耐えし黒松を 永年(ながとし)かけて人ら育てぬ」

と記された石碑を目にしました。

 

 そのとき、この歌の意味が良く分からなかったのですが、その歌が意味する光景を、その後程なく目にすることになります。 

 

 

 嵐の中の襟裳岬から広尾方面に向かって自転車をこぎ出したのは16時30分頃でした。

 

 すぐに下り始めた道の、坂道の下の民家の前を、雨に濡れた狐が歩きます。

 

 私もきっとあんな風に見えていたかもしれません。

 

 

 風と雨が支配する世界では、人も狐と同じように、ちっぽけな存在でしかないのです。

 

 しかし、私も狐も自らの意志で、自由の風吹く中を、身を洗う雨の中を歩き続けます。

 

 私は濡れそぼる狐にシンパシーを覚え、夕暮れ迫る旅を急ぎました。

 

 

 

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