広尾のビジネスホテルで、風呂から上がってテレビを見ていると、明日は台風17号が北海道東部に上陸し、午後から激しい雨風が予想されると報じていました。
私はテレビに映し出された気圧配置とその推移予測を確認すると、電話の受話器を取り、帯広の知人に助けを求めました。
「もしもし、突然で申し訳ありません。実は今、自転車で広尾に来ていますが、明日お宅に泊めて頂けないでしょうか?」
これを読んだ読者はきっと、何て非常識なと、思ったかもしれません。
実は、帯広の知人Nさんご夫婦とは、筆者が40年ほど前の学生時代からのお付き合いで、学生の頃からNさん宅には何度もお世話になっています。
Nさんご夫婦はお二人が大学の職員だった頃から、自宅に学生や卒業生達が宿泊する為のベッドまで用意されていました。
私は厚かましくも図々しく、今回もNさんに助けを求めた、と言うより、当初からそのつもりで、旅のスケジュールに組み込んでいたのです。
数年前にヒマワリを訪ねる旅で帯広を通過した時、Nさん宅に顔を出さなかったことで後ろめたさを感じるような、そんなお付き合いをさせて頂いています。
「えぇ! あんたまた突然どうしたの? ま~ぁ 今回は自転車なの! 話は後で聞くから、いつでもどうぞ。」とNさんは何時もの調子で、呆れながらも了解してくれました。
9月11日
朝4時半頃に目を覚ますと、ホテルの窓の外はまだ闇の中でした。
北海道に台風が接近してとの思いで空を見ると、夜明け前の空は嵐の前の静けさを装っているように見えました。
今いる広尾町から帯広までは一本道ですが、暗い夜道で標識を見落とし、脇道へ迷い込むと、悲惨な結果となりますので、焦る気持ちを抑え、静かに部屋の中で夜明けを待ちました。
そしてようやく、肉眼で路面状況が判断できるようになった午前5時、私は街路灯が消え残る道を、帯広を目指して自転車をこぎ始めました。
広尾町から帯広までは約80㎞、今までの経験から6時間強の行程が予想されます。
しかし、昼が近づくにつれて、もし風雨が強まるようなことがあれば、自転車での走行は困難となるかもしれません。
到着が遅くなればなるほど、リスクが増すと思われました。
雨の中で、全身を雨具に包んでの走行ですから、カメラでの記録もままなりません。
6時半頃に、はしり来た方を振り返り、本日二度目のシャッターを切りました。
多分大樹町の手前辺りだったと思います。
いかにも十勝地方らしい直線道路の先に、はしり過ぎて来た場所が雨の中に霞んでいます。
三度目にカメラのシャッターを切ったのは9時37分でした。
更別村の辺りだった記憶があります。
この場所に来るまでに、忠類町で100m弱の小さな峠を越えたのですが、車では何でもない、こんな峠が結構足に負担を掛けました。
三度目のシャッターは、路肩にへたり込み、大福餅と一口羊羹で糖分を補給した時のものです。
そして、四度目のシャッターは12時12分。
既に帯広市街に入り、国道236号が大通りと呼ばれる地区に入った頃だったはずです。
道路中央に掲げられた電光掲示板が気温15℃を示していました。
そして程無く、帯広市内の、何やら見覚えのある辺りへと入ってきました。
12時半頃になっていました。
Nさんは私の到着を2~3時頃と見込んでいるはずです。
お宅に向かう前に腹ごしらえをしておこうと思いました。
選択肢は二つ。
一つは豚丼の「ぱんちょ」、もう一つはインデアンカレーです。
「ぱんちょ」はテーブル席だったはずですから、全身雨具の姿では入り難く思い「インデアン」に向かいました。
しかし記憶の場所に、「インデアン」が見当たらないので、隣の藤森食堂で店員さんに「インデアン」は無くなったのですか?と聞くと、移転先を教えてくれました。
お店は相変わらずの混雑で、周囲をカウンターに囲まれた厨房の中、一人の男性がきりきり舞いで、カレーを仕分けていました。
料金は昔と同じ370円、スパイシーな懐かしい味に大満足でした。
ホント! 帯広と言えばインデアンですよね。
インデアンでの昼食を終えて、Nさん宅に伺い、温かいお風呂のもてなしを受け、体を休めて、のんびりとした午後を過ごすことができました。
ところで、あれほど心配した台風でしたが、東に大きく逸れてくれたお蔭で、私が帯広に着く頃には、雨も小降りになっていました。
あれ程心配した割には、あっけない幕切れでしたが、何はともあれ目出度し目出度しでした。
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