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コスモスの島自転車旅 エピローグ

2015-10-14 12:54:02 | 自転車でコスモスの島へ

 

 9月19日

 

 テレビの天気予報が降水確率70%の雨天を告げていました。

 

 午後から天気が崩れる予報でしたから、苫小牧まで60㎞程でしたが、朝6時半に栗山の旅館を出発しました。

 

 

 苫小牧方面の空に雨雲が広がっていました。

 

 

 自転車を進めるとすぐに夕張川を渡ります。

 

 平野を流れる川は、水の動きを全く感じさせません。

 

 今日のルート上に、脚の負担となるアップダウンはなかった筈です。

 

 

 自転車が進む国道234号にキバナコスモスが優しい花を並べていました。

 

 

 自転車は順調に距離を伸ばし、かつてヒマワリの旅のブログでご紹介した東千歳のバーベキュー屋さんの前を通過します。

 

 

 道の脇にユウゼンギクやネバリノギクが美しい花邑を見せてくれました。

 

 

 

 追分辺りで、コスモスの花の連なりに心染まります。

 

 

 そして自転車は、勇払原野を直線状に流れる勇払川を渡りました。

 

 

 その先で国道234号は国道235との沼ノ端分岐点に差し掛かります。

 

 北海道サイクリングの初日、私はこの場所で襟裳岬へと進路を定め、自転車をこぎ進めて行ったのです。

 

 その日から丁度10日目、私はコスモスの島北海道を南北に縦断して、今無事に振り出しの場所へと戻ってくることができました。

 

 

 

 植物園通いと、パソコンの前に座り続ける日々の中で、アドレナリンが末梢細胞をピリピリ刺激する時間に浸りたくなっていました。

 

 北海道へ自転車で行くならこの季節以外はないと考え、即断即決ではしり始めた旅でした。

 

 64歳の私にとって、来年を待つという選択肢は、自分への空手形になる可能性があると思うのです。

 

 新しい安倍内閣の閣僚紹介で、幹事長の谷垣さんは趣味の自転車で週末に100km超も走るそうです。

 

 あのような激務の方が自転車で100km超走ることを知って、今回の自転車旅程度であれば、まだまだやれる自信も付きました。

 

 今回の旅で得た新しいスキルを、次につなげたいと思います。

 

 

 そして、今回のブログが、私のように還暦を過ぎた方々へのエールとなれば幸いです。

 

 などと強がっていますが、油断すると、ある日突然閻魔様からお呼び出しが掛かるかもしれません。

   

 これからも、一日一日を大切に、心の欲するところに従い、悔いのない日々を過ごしてゆきたいものです。

 

 ほぼ二週間に亘る旅にお付き合いを頂きまして、本当にありがとうございました。

 

 

 

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神居古潭と日本一の直線道路

2015-10-14 12:46:02 | 自転車でコスモスの島へ

 

 旭川を出て国道12号線を進んで行くと、石狩川が上川盆地から石狩平野へと流れ抜ける渓谷の神居古潭に出ました。

 

 旭川市内から車だと30分もかからない距離にあります。

 

 

 石狩川右岸の尾根の上に神居岩が見えていました。

 

 就職した翌年から旭川に住み、社会人山岳会に所属した私は、週に二日程、仕事が始まる前、朝5時頃から7時半頃にかけて、この神居岩でロッククライミングのトレーニングを行い、8時半からの仕事に出て行くような日々を過ごしていました。

 

 休日の土日や祝日は殆ど山に登っていましたから、一年間で山登りに費やした日数は100日を越えた記録が残っています。

 

 全てにがむしゃらだった日々を、神居岩が思い出させてくれます。

 

 

 

 神居古潭を抜けて、深川市に入った国道の脇に、川幅を広げた石狩川がゆったりとした流を見せていました。

 

 

 

 周囲の田には収穫を控えた稲穂が黄色く輝いていました。

 

 

 滝川市街へ入りますと、国道の横で、白とピンクに咲き分けたコスモスが風に揺れていました。

 

 

 滝川市街を抜けると間もなく、国道12号線は、日本で一番長い、直線距離29.2km の場所に入ってきました。この時が10時23分でした。

 

 

 多少のアップダウンを見せながら、ひたすらの直線が続いています。

 

 

 そんな直線道路の脇にもコスモスが揺れ、ヒマワリが満面の笑顔を投げかけていました。

 

 

 そして、美唄市光珠内で国道は右へカーブし、直線区間は終わりを告げます。

 

 この画像の撮影時間を確認すると12時09分でした。

 

 距離が分かっているので、この直線道路の平均速度を計算すると、時速は約16.5㎞となりました。

 

 普通のペースで、ほとんど平坦な道を走行した時のスピードはその程度のようです。

 

 休憩や食事の時間をどれ程取るかによって、一日の走行距離が決まってくるように思えます。

 

 

 国道12号を岩見沢まではしり、岩見沢で自転車を国道234号へと進めました。

 

 そして14時半頃、栗山町のくりやま旅館にチェックインすることができました。

 

 料金は素泊まり一泊3500円と、とてもリーズナブルです。

 

 旅館の玄関先に自転車を停める5分程前から雨が降り始めていました。

 

 

 

 

 

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旭川 見本林

2015-10-14 11:50:41 | 自転車でコスモスの島へ

 

 9月17日

 

 6時前に音威子府を出発しました。

 

 音威子府から旭川を目指します。

 

 今日は三日前の9月14日に、比布から北上したルートと90%以上重なります。

 

 出発して直ぐに、デジカメのバッテリーが切れましたが、面倒なのでそのまま自転車をこぎ続けました。

 

 今日は旭川で、ネットカフェーに入り、インターネットでフェリーの運航状況や、明日以降の天候などを確認し、コインランドリーで洗濯、そして久しぶりの入浴を予定していました。

 

 早い時間に旭川に着くことができれば、三浦綾子の「氷点」の舞台となった見本林に行って、様々な針葉樹を観察しようと考えていました。

 

 そして私は15時過ぎ、旭川見本林の爽やかな緑に包まれていました。

 

 

 静かな見本林の中に、国道40号の幌延辺りで見かけたドイツトウヒ(ヨーロッパトウヒ)などが植栽されていました。

 

 ここのヨーロッパトウヒは1902(明治35)年に植栽されたと記されています。

 

 木を育てることの大変さが良く分かります。

 

 そして失う時は、どんな木も一瞬です。 

 

 

 

 

 ここの見本林は、1898年に外国の樹種が日本の寒冷地で育つかどうかを観察する為に造られたのだそうです。

 

 そして1998年、見本林の入口に三浦綾子記念文学館が建設されました。

 

 記念館では読書会が行なわれ、時折森を散策する人の姿を見かけました。

 

 

 見本林の横には美瑛川が流れ、川の堤防の中に芝生の公園を見付けたので、そこにテントを張ると、自転車でコインランドリーとスーパー銭湯へ向かいました。

 

 

 

 

 9月18日

 

 旭川の街を出て国道12号線を岩見沢方面へ向かいます。

 

 

 今日は夕方前から雨が降る予報だったので、岩見沢の先の栗山にインターネットで宿を予約しました。

 

 明後日の苫小牧~大洗間のフェリーも運航を確認し予約を入れました。

 

 フェリーは大洗に明後日の14時に着くので、自転車で、その日のうちに東京へ帰るのは無理です。

 

 そこで茨城県土浦市にも宿を予約しました。

 

 年金生活者の節約旅ですが、旅に出てから10日以上が過ぎましたので、帰路は無理をせずに安全策をとることにしました。

 

 石狩川に沿って、国道12号線を進んで行きます。

 

 昨日までの道と違って、交通量も多目でした。

 

 

 

 

 

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小頓別の丹波屋と天北峠

2015-10-14 00:01:30 | 自転車でコスモスの島へ

 

 

 敏音知(ピンネシリ)岳を見つめながら自転車を進めました。

 

 

 しかしやがて、国道275は道の駅ピンネシリを過ぎると、山に背を向け始めました。

 

 

 平坦な道が山間部に続きます。

 

 

 

 そして、小頓別を通過すると、見覚えのある建物が見えてきました。

 

 今から40年程前、仕事でこの辺を走り廻ったことを、以前のページに記しましたが、その頃も、常に気になっていた特徴あるデザインの建物です。

 

 今回「小頓別 丹波屋」で検索しますと、「旧丹波屋旅館 保存会」のホームページが見つかりました。

 

 大正から昭和にかけて建てられた和洋折衷様式の旧丹波屋旅館は、平成元年(1989)にJR天北線が廃止されるまで、宿泊者を受け入れていたそうです。

 

 旧丹波屋旅館を解説するホームページを見て私は、音威子府から浜頓別、更にその先のオホーツク海に沿って、線路が伸びていたことを思い出しました。

 

 

 小頓別を過ぎると、上り坂が待っていました。

 

 今思えば標高差は100m程、坂の長さは7~800m程度と思いますが、敏音知岳の横を過ぎたら後は下りだけと思い込んでいたので、不意打ちを食らったような思いで、足と心に負担を感じながら坂を登りました。

 

 

 この坂の頂上が天北峠です。

 標高は187m程だそうです。

 

 車で通り過ぎれば坂を意識しないかもしれません。

 

 

 天北峠の頂きを過ぎると、その先の森に、快適なダウンロードが続いていました。

 

 

 そして国道40号との合流点が見えてきました。

 

 

 国道40号との合流点に、音威子府の道の駅が設けられています。

 

 道の駅で時計を確認すると、16時20分でした。

 

 

 宗谷岬を早朝に出発し、10時間程かけて、120㎞の距離を走り来たことになります。

 

 我ながら、よく頑張れたと思います。 

 

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