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人生100年の自転車旅 敏音知岳

2015-10-13 22:18:02 | 自転車でコスモスの島へ

 

 昨日幌延町で跨いだ、北緯45度線を再び超えました。

 

 昨日通過した北緯45度線は音威子府より、かなり北に進んだ場所だった記憶があります。

 

 早いペースで進んできたように思いますが、まだそんなものか、やっぱり北海道は広いなと、一人呟きました。

 

 

 そして程無く、目の前に見覚えのある山が見えてきました。

 

 お椀を伏せたような山容は敏音知(ピンネシリ)岳に間違いありません。

 

 数時間前に猿払村から見たときは粟粒のようでしたが、いつの間にか、それなりの距離を走り来たことになります。

 

 

 そして、中頓別の街に入りました。

 

 コンビニに入って、100円コーヒーを飲み、一息入れました。

 

 コンビニで時計を確認すると、13時を少し過ぎた辺りを示していました。

 

 

 今の時間に中頓別ならば、今夜の野営地は音威子府です。

 

 しかし、この先には幾つかの峠が待つはずです。

 

 気持ちを新たにして、国道275線へ自転車を進めました。

 

 

 道の両側に、緑の美しい牧草地が連なります。

 

 

 敏音知(ピンネシリ)岳が更に大きくなってきました。

 

 この山は標高704mの低山ですが、アイヌ語のピン・ネ・シリ「男の山」を名の由来とするように、独立峰としての雄々しい姿は、山登りを趣味とする者の心揺さぶるものがあります。

 

 

 国道は敏音知(ピンネシリ)岳に北から近づきます。

 

 少しずつ高度を高めながら、山裾を廻り込んで行きます。

 

 多分、この辺りから見る敏音知岳が、最も雄々しい姿のはずです。

 

 私は営業関係の仕事でこの辺りを車ではしり巡っていました。

 

 しして雪崩の心配がない、天候が安定した日に、旭川から車で出かけ来て、頂上からスキーで滑り降りたことがあります。

 

 1980年前後のことと思いますが、多分、今見えている斜面を降りたように記憶します。

 

 スキー板を担いで、雪面を3時間程も登り、下りはあっと言う間でした。

 

 

 国道275は峠への道を進みますが、この時私は、ここを登りきれば、音威子府までは下るだけと思い込んでいました。

 

 何度も車で通り過ぎた道も、高低差の記憶はかなり曖昧だったことを後で知ることになります。

 

 

 

 

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人生100年の自転車旅 浜頓別から下頓別へ

2015-10-13 17:30:53 | 自転車でコスモスの島へ

 

 青い空の下で、ほんわか回る風車にペダルをこぐタイミングがシンクロしました。

 

 風車はこちらを向いてますので、追い風のはずです。

 

 襟裳岬で吹かれたような、向かい風は強く意識しますが、追い風は気付かないもののようです。

 

 逆風の時間は永く感じ、追い風の間は早く過ぎ去るのと同じ心境でしょうか。

 

 誰かに泣かされたのは忘れ難く、誰かを泣かせたことに気付かないのも同じ心理かもしれません。

 

 惚れたのと、惚れられたのはどっちかな、などと、単調な景色の中で、普段の生活では考えない、連想の翼が広がります。

 

 

 まもなく渡った猿払川は、何度目の川になるのでしょう。

 

 

 少し登りぎみの道を、浅茅野台地へと進んで行きます。

 

 農場では冬を迎える準備が始まったようです。

 

 牧草を乾燥させる作業があちらこちらに見られました。

 

 

 知来別を過ぎた辺りでは、地平にへばり付くように見えた山影が、今はっきりとした形になってきました。

 

 

 そして、いよいよ浜頓別市街に入ってきました。

 

 

 浜頓別市街は昔と変わらぬ姿のように見えますが、記憶そのものが定かではありません。

 

 

 浜頓別町で正午を迎えました。

 

 コンビニで昼食を求め、役場前の公園でお弁当を広げました。

 

 爽やかな秋の日の公園で、1時間程ののんびりした昼休みを過ごしました。

 

 自転車旅も後半に入り、メインの目的だった襟裳岬、三国峠、宗谷岬をクリアし、気持ちに余裕が生まれていました。

 

 昼食を済ませ、今度は音威子府へと向かう国道275に入りました。

 

 

 午後になって、空に雲が広がってきましたが、天候が崩れるような気配はありません。

 

 

 街を出ると程無く、頓別川を渡りました。

 

 この川は護岸工事などの形跡も見られず、魚影が濃さそうです。

 

 

 下頓別では、通路の両脇に萩を咲かせ、松を育てる農家を見かけました。

 

 数日前に松を見かけた美深よりも更に北に位置する場所で、松に萩という日本古来の植物を育てる人々の存在に、感銘を受けました。

 

 この地で見る、人々の松や萩に対する思い入れは多分、故郷を離れた入植者達が、想像を絶する酷寒の地で、過酷な生活を強いられたことが背景にあるのでしょう。

 

 北海道で20年以上もの歳月を過ごしましたが、今になって初めて、チリチリするような感覚を伴って理解できることもあります。

 

 

 

 

 

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日本離れした猿払(さるふつ)村の光景

2015-10-13 13:24:44 | 自転車でコスモスの島へ

 

 空にぽっかり白い雲。

 

 今日も一日良い天気が続きそうです。

 

 

 知来別(ちらいべつ)を過ぎて暫く進むと、海岸に沿って釣竿が並ぶ光景が現れました。

 

 こんな光景は初めて目にしました。

 

 

 道路脇で作業する人から、頑張って! と声を掛けられたので、自転車を停めて、何が釣れるんですか?と聞いてみました。

 

 

 すると、「シャケ(鮭)です。見ますか?」と言われたので、ガードレールを跨いで近寄り、クーラーボックスの中を見せてもらいました。

 

 2リットルのペットボトルが横に入るほどの大きさのクーラーボックスに鮭が10本以上入っていました。

 

 この方は札幌から来ているそうで、今日この場所で三日目を迎えるそうです。

 

 クーラーボックスがいっぱいになってきたので、そろそろ帰るつもりだとのお話でした。

 

 

 周囲にテントを張って竿を並べる人達の姿もありました。

 

 北海道で見て聞く話はやっぱり一味違います。

 

 

 やがて、さるふつ公園前を通過しました。

 

 道の駅でしょうか、昔はこんな施設はなくて、海岸沿いの民家も昔と違って、サッシ窓を並べた立派な近代住宅に変わっていました。

 

 

 知来別を過ぎてからは道も平坦となって、遥か遠くに山影が見えて、周囲に草原が広がっています。

 

 

 ご覧頂く写真でははっきりしませんが、草原の奥に敏音知(ピンネシリ)岳の姿が垣間見えました。

 できることなら今日中に、あの山の麓まで着ければ嬉しいのですが。

 

 

 それにしても、何とも日本離れした光景です。

 

 まるでアメリカのデンバーから、インターステート70を東へ走った時の景色を見るようです。

 

 

 そして、ここにもパーキングシェルターが設けられ、冬は過酷なブリザードが吹きすさぶ光景に変わることを伝えていました。

 

 

 もう40年ほども昔のことになりますが、今より道が細く、道の駅や商店などもなかったあの頃、四季を通して、月に二回はこの道を車で走ったことが、幻覚だったかのように思えます。

 

 それでも、春が来れば、シェルターの上に広がるような空を、白鳥達が雁行し、北の空へ飛び去る光景は、眼の奥にはっきりと焼き付いています。

 

 

 

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