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人生100年の自転車旅  天塩川に沿って

2015-10-08 00:15:28 | 自転車でコスモスの島へ

 

 

 「道の駅びふか」を出てしばらくすると、国道40号線の脇に、立ち並ぶ数本の松が見えてきました。

 

 静内で百年の赤松を見てきましたが、まさか美深のような酷寒の地で、松を見るとは思っていなかったので、驚きました。

 

 樹が高く、枝葉を詳細に観察できませんが、常識的に考えれば、ヨーロッパアカマツだろうと思います。

 

 

 しかし、だとすれば尚更、外来種に代えてまでも寺社に松を植える、日本人の植物への拘りを見る気がしました。

 

 自転車を境内に進めると、本堂の柱に「高野山真言宗 天塩山 弘法寺」、「北海道三十三観音霊場 第二十八番札所」の名札を確認することができました。

 

 松の由来を聞きたくて、住宅玄関のチャイムを鳴らしましたが反応はありませんでした。

 

 

 

 美深は1月の平均気温が-9.2°だそうです。

 

 それほどまでに厳しい土地で、この松はいったいどれほどの年月を過ごしてきたのでしょうか。

 

 ちなみに、弘法寺は開基が明治39(1906)年だそうです。

 

 明治38(1905)年9月5日にポーツマス条約で日露戦争が終わり、南樺太が日本に割譲され、その年に旭川-名寄間の天塩線とよばれた鉄道が官営化されています。

 

 そんな時代背景の中で弘法寺の開基だったようです。

 

 

 16時少し前に、稚内へ向かう国道40号とオホーツク方面へ向かう国道275号の分岐点である音威子府村に到着しました。

 

 当初の予定は、この村でテントを張るつもりでしたが、中頓別か天塩中川まで行けば、予約なしに泊まれるログハウスがあることを知らされたので、天塩中川へと向かうことにしました。

 

 選択肢の一つである中頓別は天塩中川よりも遠く、中頓別へ向かう国道275号線には峠があって、日没前に着けない可能性があります。

 

 この決定で、国道40号を北上して稚内経由で宗谷岬に至り、帰りはオホーツク海沿いに南下するコースが確定しました。

 

 音威子府の中心部を出発するとすぐに、国道40号線は川幅を広げる天塩川を渡りました。

 

 

 40号線は、両岸を森に包まれて流れる下る天塩川に沿って、左右へのカーブを重ねながら北へ進みます。

 

 

 

 天塩川は豊かな水を湛えて、緑の山の陰影を川面に映し出していました。

 

 

 夕闇が川面を覆い始め、峰々の頂が角度を落とす陽に照らされていました。

 

 音もなく流れる川に、夜のしじまが忍び寄ります。

 

 

 山の狭間に夕陽は望めませんが、右岸へ渡る橋の上で、茜色に照らし出される雲の輝きに、日本海へと沈み去る太陽の面影を見た気がしました。

 

 

 陽が沈んで、空に広がる僅かな残照も瞬く間に消えて、自転車のヘッドライトの灯りを頼りとしながら、

 

 

 天塩中川森林公園のログハウスに到着することができました。

 

 

 

 今日の走行距離は約140㎞、10時間30分程の行程でした。

 

 

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人生100年の自転車旅 名寄から美深

2015-10-07 11:49:17 | 自転車でコスモスの島へ

 

 名寄では、昔のメインストリートの裏手に郊外型のショッピングセンターが広がっていました。

 

 40年ほど前、この街へ仕事で来ていた頃と、随分変わってしまいました。

 

 4年前の夏に、名寄薬用植物センターを訪ねた時には、まだショッピングセンターはなかった気がするのですが、気付かなかっただけなのでしょうか。

 

 

 名寄の街を過ぎ、天塩川を渡ります。

 

 今回の旅では、多くの川を渡りましたが、国道40号線が天塩川に沿って北上するので、天塩川だけは、同じ川を何度も繰り返し渡ることになります。

 

 

 右手にピヤシリ山が見えていました。

 

 ピヤシリとはアイヌ語で「岩のある山」を意味するそうですが、標高1000m弱のなだらかな山容が、ゆったりした自転車旅にそぐはしい風景を見せてくれました。

 

 

 のどかな気分でサイクリングを続けましたが、好事魔多しとはこのようなことを言うのでしょうか。

 

 突然、本当に突然に、空を黒い雲が覆い、

 

 

 バケツをひっくり返したような雨が降ってきたのです。

 

 オオイタドリの葉に雨粒が当る音が響き、側溝に向かって、瞬く間に水が流れ始めました。

 

 

 幸いなことに、降り始めて2~3分の場所に自動車道の高架橋があり、その下へ逃げ込めたので、濡れねずみになることは避けられました。

 

 

 この場所で私は、自転車に乗った農業研修の中国人二人、そしてオートバイ旅の若者と40分程の時を一緒に過ごしました。

 

 その時オートバイ旅の若者から、この先の中頓別と天塩中川に無料で宿泊できるログハウスの存在を教えてもらったのです。

 

 狭いテントよりは、ゆったりと手足を伸ばせるログハウスの方がはるかに楽に過ごせます。

 

 今夜はどちらかへ泊まろうと決めて、雨上がりの国道に再び自転車を進めました。

 

 

 美深の街に入る前に再び天塩川を渡ります。

 

 実は、学生時代にゴムボートの天塩川下りを企画し、同じルートをヒッチハイクで辿ったことがありました。

 

 所属していたサークルの先輩が、十勝川をゴムボートで下ったので、今度は天塩川でと考え、サークルに提案する前に予備調査を実施したのです。

 

 最終的には、サークル活動として日高山脈5ヶ年計画をスタートさせることになり、川下りの計画は実現しませんでしたが、私にとっては懐かしい想い出の川となっています。

 

 

 美深の街は40年前と殆ど同じ表情を見せていました。

 

 美深はアイヌ語のビウカ「岩の多い場所」を名の由来としますが、美深付近の天塩川には、多くの岩が梁状に並んでいたことから、テッシ・オ・ベッ「梁・ある・川」が天塩川の名の由来とされます。

 

 

 

 美深の街を過ぎて30分ほど後に、びふか温泉とチョウザメ館のある、「道の駅びふか」に到着しました。

 

 

 

 

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コスモスの島にフジバカマ香る

2015-10-07 00:07:57 | 自転車でコスモスの島へ

 

 北海道はどこへ行っても、真直ぐに続く道が印象的でした。

 

 

 そして、何処へ行っても薄紅色のコスモスが目を誘います。

 

 北海道の景色には、素直な風情のコスモスが本当に良く似合います。

 

 北海道はコスモスの島だと思いました。

 

 

 対向車線では、キバナコスモスが秋の陽射しを浴びていました。

 

 

 青い空に白い雲が流れ、路傍を染めるコスモスに元気をもらいながら北を目指します。

 

 

 士別市を過ぎて天塩川を渡ります。

 

 

 道の横に続くフェンスのようなものは、吹雪から道路を守る為の防雪柵です。

 

 今は平穏に見えるこの道も、冬になれば、身を切るような風と雪に晒される酷道に姿を変えます。

 

 

 特に、北海道の内陸部を北上する国道40号線沿いの士別、名寄、音威子府に掛けては気温が著しく低下します。

 

 40年程前の経験ですが、冬に車を外へ停めておくと、クラッチオイルが凍り、ニュートラルの状態でも、朝エンジンを掛けた時に車が動き出したことがありました。

 

 そんなことを想い出させる防雪柵を懐かしく眺めながら、自転車を進めました。

 

 

 

 風連の街を通過します。

 

 風が連なるとは、何とも詩的な名前ですが、地名はアイヌ語のフーレベツ(赤い川)に由来するようです。

 

 

 風連を過ぎた頃、道の脇に、何気なく咲くフジバカマを見かけました。

 

  

 

 フジバカマは、環境省のレッドリストで準絶滅危惧(NT)種に指定されています。

 

 何気ない風景の中に、貴重な秋の七草を咲かせながら、道は北へと伸びてゆきます。

 

 

 

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人生100年の自転車旅 夢の中で

2015-10-06 11:34:42 | 自転車でコスモスの島へ

 

 9月13日

 

 層雲峡のテントの中で、テントを叩く雨の音に目を覚ましました。

 

 テントのチャックを開いて空を覗くと、層雲峡の狭い空が雨雲に覆われていました。

 

 「今日は休みなさい」と言うことかと悟り、もう一度シュラフの中に潜り込みました。

 

 腰の辺りに筋肉の強張りを感じます。

 

 大福餅と一口羊羹で空腹を紛らわし、ザックの底のジンを睡眠薬に午前中をシュラフの中で過ごしました。

 

 昼近くになって、雨が小止みになった隙をついてテントを畳み、上川方面に向けてはしり始めました。

 

 食料が底をついていたのです。

 

 上川町に着く頃には、また雨が降り始めていました。

 

 そのまま愛別町まではしり、公園の片隅にスペースを見付けると、再びテントを張って、コンビニで買ったワンカップを空け、そのまま夢の中へと入ってゆきました。

 

 どれくらい眠っていたでしょうか、目を覚ましてテントを出ると、公園の片隅に石造りの祠が見えました。

 

 かなり立派な造りで、歴史のある建物のように思えました。

 

 その祠の中に、地下へと続く階段が見えました。

 

 何があるのだろうと思い、好奇心が募り、ドキドキしながら石の階段を下りてみました。

 

 鳥居の幅ほどの階段の先は暗くてよく見えませんが、不思議なことに、下るに従って暗さが薄れてきます。

 

 そして階段を下りきった先の、城門のような扉に近づくと、自動的に扉が開きました。

 

 その扉の奥の部屋の中には、赤ら顔の大男が台座の上にあぐらを組んで、私を睨み付けていました。

 

 「えっ、もしかして閻魔様? 私はもうお招きにあずかったのですか」と訊ねてみました。

 

 すると閻魔様は即座に、

 

 「馬鹿者! 64、5歳の未熟者が何を寝ぼけたことを言ってるんだ。早く帰れ、もう二度と来るな。」と、一喝されてしまいました。

 

 チャンチャン。

 

 大変失礼致しました。

 

 とても暇だったので、どう書いたら面白いだろうかと、シュラフの中で考えていたことです。

 

 

 9月14日

 

 テントの中で目を覚まし、外に出ると、朝の空は青く澄み渡っていました。

 

 何時ものように、ジャムパンとコーヒー飲料で朝食を済ますと、愛別の街を出て、比布町で国道40号線に入りました。

 

 

 周囲に広がる稲田の上には、昨日の雨が嘘のような、秋雲をたなびかせた空が広がっていました。

 

 

 道路脇のオオハンゴンソウが、秋の稲田に彩りを添えていました。

 

 

 そして、秋の到来を告げるこんなものも。

 

 

 来るべき冬に備えて、彼らも忙しい季節を迎えたようです。

 

 

 

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三国峠を下る 旅と人生ごっちゃごちゃ

2015-10-06 00:14:11 | 自転車でコスモスの島へ

 

 三国峠のトンネルに入りました。

 

 少し登り坂になっていますので、最高地点はトンネルの中なのかもしれません。

 

 このブログを書くに当って、確認の為に「三国峠 北海道」で検索してみました。

 

 すると、ウィキペディアに「三国峠は北海道の国道の中で最も高い峠である」と記されていました。

 

 と言うことは、国道でない峠で、三国峠よりも高い場所があるのかもしれません。

 

 あるとすれば、大雪山か日高山系だろうと思い、地図を探したのですが、分かりませんでした。

 

 どなたか、ご存知の方、いらっしゃいませんか?

 

 

 トンネルを抜けると、目の前に下り坂が続いていました。

 

 

 当たり前ですが、ペダルをこがなくても、びゅんびゅんと自転車は進んで行きます。

 

 風が冷たくて、ウインドヤッケを着るべきだと気付いたのですが、ブレーキをかけるのが勿体無くて、そのまま突進しました。

 

 

 自転車で坂を下るという、労せず、努力もせずに成果が得られるという経験は、そうめったに得られるものではありません。

 

 今までの60有余年という永い年月を振り返っても、高校生の頃に、最後のお年玉をもらって以来のことかもしれません。

 

 

 あまりにも楽ちんで、心地好いので、坂を下る自転車の上から、数えきれぬほどに写真を写しました。

 

 

 交通量は少なく、通行人やオートバイも現われませんので、私の為に道があるようなものです。

 

 

 やがて国道273は由仁石狩川を越え、

 

 

 

 その先で石狩川本流に掛かる高原大橋を渡りました。

 

 

 そして、何ということでしょう。

 

 高原大橋を過ぎた辺りで、ぬれ手に粟だった下り坂は終わりを告げたのです。

 

 再び、努力しなければ成果が得られぬという、厳しい現実を悟らしめる、あの登り坂が待っていました。

 

 

 怠惰の後に求められる努力ほど辛いものはありません。

 

 こんなことなら坂を下りなきゃよかったと思っても、後悔先に立たず。

 

 旅と人生がごっちゃごちゃになったような気分で、最後の坂を登りきりました。

 

 そして、その先のトンネルを抜けると、

 

 

 霧に濡れた国道273号線の最後の路面が、大雪ダムの上に姿を見せました。

 

 

 大雪ダムから見下ろす層雲峡は、谷の中に雲が流れ、僅かに色付いた木々が、秋の到来を告げていました。

 

 

 この後私は、安堵の思いを胸に層雲峡まで下り、小さな空き地にテントを張りました。

 

 この日は120㎞程の距離と、1000m程の標高差を、10時間30分前後で走破したことになります。

 

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三国峠を自転車で 唯我独尊、自画自賛

2015-10-05 11:05:10 | 自転車でコスモスの島へ

 

 標高900mの標示が見えてきました。

 

 自転車で十勝三股を出発してから約1時間後のことですが、時計のない私は経過した時間を認識していませんでした。

 

 しかし、足に感じる疲労感は少なく、これは行けるぞと思えました。

 

 

 目の前に見える稜線がどんどん低くなっています。

 

 

 なるべく、坂の先は見ないようにしていました。

 

 路側帯を進み、そこに描かれた舗装のひび割れ模様を目に拾い、無駄のない脚運びだけを考えながら登ってゆきます。

 

 

 十勝三股を出た後、上り斜面だけが続く道を、ギア比を一番軽くして、ペダルをこぎ続けました。

 

 

 追い越す車は、対向車線にはみ出しながら、大きく自転車を避けてくれました。

 

 「物好きの遊びに手間を取らせて、本当に申し訳ありませんです。」

 

 

 振り返ると、十勝三股が樹海の中に埋もれていました。

 

 

 見上げると、これから進みゆく橋が谷を跨いでいました。

 

 見上げる稜線は低く感じるのに、より現実味を帯びた目先の道が「わお!あんなに高い」と思うのは何故なのでしょうか。

 

 

 そして、程無くその場所に至ると、今度はその上が気になります。

 

 私はもう、収入が増えない年金生活者ですが、財産が増えれば増える程、お金の心配が増すというのは、こんな心境なのかもしれません。

 

 ホントかなぁ?

 

 

 先ほど今の場所を見上げていた松見大橋を見下ろせば、それはそれで、今の状況は「なかなかのもんだ」と思います。

 

 

 遠くに、おっぱい山が見えています。

 

 観光バスが写真にアクセントを加えていました。

 

 カメラのレンズに付いた水滴がちょっとリアルでしょ。

 

 

 少し登っては振り返り、場所を変えては振り返りしながら、峠の頂きを目指しました。

 

 

 そして16時27分、とうとう三国峠展望台に到着しました。

 

 

 目の前に広がる樹海の先に、折り重なる峰々の間に、今日通り過ぎて来た、音更川の作る谷が見えていました。

 

 そうだ、これが見たくてここまで来たんだ!

 

 ホッホー、大したもんじゃないか。

 

 そう、誰も誉めてくれないので、何時もの、唯我独尊、自画自賛です。

 

 

 

 

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十勝三股 三股山荘の記憶

2015-10-05 00:37:24 | 自転車でコスモスの島へ

 

 糠平で路肩に自転車を止め、バッグからジャムパンを取り出し、簡単な昼食を済ませました。

 20分程の休憩後、次の十勝三股を目指し再び自転車をこぎ始めました。

 

 一応の目安として、14時に十勝三股、16時に三国峠の頂上に着けば、今日中に層雲峡まで行けるはずと考えました

 

 急ぐ旅ではありませんが、ヒグマが棲む山中でテントを張るより、郷に下りて夜を過ごした方がはるかに安全です。

 

 

 

 三国峠の稜線と思う尾根が正面に見えてきました。

 

 「案外と低いな」と思いました。

 

 

 自転車は良く整備された国道を、順調に距離を伸ばします。

 

 雲が空を覆いますが、暑くもなければ寒くもない、サイクリングには最適の気象条件でした。

 

 

 右手に、旧士幌線の第五音更川橋梁が見えてきました。

 

 糠平から十勝三股まで通じていた旧士幌線は、昭和53年(1978年)に、糠平、十勝三股間の列車運行が休止となり、バスの代行運転が行なわれた後、昭和62年(1987年)に全線が廃止となりました。

 

 士幌線跡には、今でも幾つかのアーチ橋梁が残り、その中でもタウシュベツ川橋梁は湖面に映る美しさから、観光名所の一つとなっています。

 

 

 十勝三股に近づくにつれて、右手に通称おっぱい山と呼ばれる、西クマネシリ岳、ピリベツ岳のピークが見えてきました。

 

 学生時代にこれらの峰へ、キャラバンシューズにかんじきを付けて登ったことを想い出しました。

 

 

 やがて前方左手に、ニペソツ山、石狩岳、ユニ石狩岳への登山口に至る林道分岐点が見えてきました。

 

 ここまで来ると、十勝三股はもう目と鼻の先です。

 

 士幌線が十勝三股まで通じていた頃、帯広発の始発列車に乗って、8時過ぎに十勝三股で降り、この分岐から始まる林道を、幾度も歩きました。

 

 その頃の私を、山へ向かわせたのは何だったのでしょうか、

 

 そして今の私を、自転車で峠に向かわせるのは何なのでしょか、

 

 その答えを見付ける為に、今日も自転車をこぎ続けている気がします。

 

 え! 「一生やってろ!」 ですって。

 

 はい、そのつもりでおります。

 

 

 ニペソツ山への分岐点を過ぎてほどなく、三股山荘に到着しました。

 

 ドアを開けて店内に入りますと、幾つかのテーブルに寛ぐ、先客の姿がありました。

 

 糠平を出てから、休みなくはしり続けてきたので、シュワッとしたコーラが飲みたかったのですが、メニューに無かったので、柚子ソーダを注文しました。

 

 シュワッシュワッと甘酸っぱい香りが喉の奥に広がりました。

 

 私と同年代かと思う、おかみさんと呼ぶにはハイカラすぎるママさんに、

 

 「昔、十勝三股からバスで糠平の小学校に通う子供達のテレビ番組を見たことがありますが、この店ですよね?」とお聞きすると、

 

 「そうですね~ もう三十年ほど前のことです」との返事が返ってきました。

 

 「この辺りの山に、よく登りに来たんですよ。お店はもっと小さかったような記憶があります。」

 

 「ええ、最初の店はもっと小さくて、ここは二軒目なんです。自転車ですか?層雲峡までは3時間ですね」

 

 そう言われて、時計に目をやると、時計の針は2時半を廻っていました。

 

 「層雲峡まで3時間ですか! そろそろ行かなくちゃ」

 

 

 三股山荘を出て、再び国道273号に戻りました。

 

 十勝三股の標高は661mです。

 

 これから目指す、北海道で一番高い三国峠の最高地点は1139m。

 

 500m弱を登ることになりますが、高尾山は599m、札幌の藻岩山が531m、比叡山は848m、六甲山は931mです。

 

 それらの山を考えれば、どうということはなさそうです。

 

 これから登る正面の稜線も、高いようはに見えません。

 

 美しいシラカバ林の中を、ゆったりペースで進んでゆきました。

 

 

 厚い雲が稜線を包み始めたので、天気が心配ですが、それは考えても仕方のないことで、雲は風に任せ、運は天に任せました。

 

 国道が左や右へ曲がるたびに前方の景色が変わります。

 

 今見えているのは音更山(おとふけやま)か石狩岳でしょうか。

 

 

 あの山の裏に広がる山岳高原には、季節になれば桃源郷のようなお花畑が広がるのです。

 

  

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上士幌から糠平 十勝平野を自転車で

2015-10-04 11:00:41 | 自転車でコスモスの島へ

 

 上士幌の街を抜けて、国道273号線に自転車を進めますと、空を覆う雲の量が増えてきました。

 

 昨晩のテレビで、今日は夕方にかけて、雨の可能性が報じられていましたので、空模様に注意が必要です。

 

 

 国道273号は少しずつ斜度を増し始めました。

 

 

 進みゆく国道の白線の先に、名も知らぬ丘陵が見えています。

 

 

 国道は音更川の支流を橋で跨ぎ、高度を高めてゆきます。

 

 

 上士幌と糠平の間が22㎞程なら、その間を2時間で通過すれば御の字です。

 

 のんびりした、一定のペースで自転車を進め、音更川が函状となる場所を通過します。

 

 

 川の右岸に柱状節理が見えます。

 

 この辺りは、学生時代に何度もバスで通ったことがありますが、その頃は未舗装の道だった筈です。もう40年以上も昔のことです。

 

 この国道の先の三国峠にトンネルが開通したのは昭和46年(1971年)のことでした。

 

 その年に私は、帯広で学生生活をスタートさせました。

 

 十勝平野から大雪山稜を貫こ、層雲峡へ抜ける道があることを知った私は、いつか自転車でその峠を越えてみたいと思いました。

 

 その頃の記憶の断片が、今の私を、自転車で三国峠へ向かわせる動機の一つとなっています。

 

 

 音更川の函を過ぎると、国道の左手に旧士幌線のアーチ橋梁が見えてきました。

 

 

 蛇行する国道から、来し方の谷を包む緑豊かな森が望めました。

 

 知らぬ間に、結構な高さを稼いだようです。

 

 

 右手に糠平ダムが見えてきました。

 

 私の記憶に間違いがなければ、この道は昔、音更川の右岸をダムまで上り、ダムの上を横切って糠平温泉へと通じていたはずです。

 

 そして、谷底にはダム工事に使われたであろう廃洞が残り、学生のサークル活動の一環として、谷底にテントを張って、廃洞に棲むコウモリの観察を行いました。

 

 その時に友人達とテントの中で、いつか自転車で三国峠を越えてみたいと語り合ったと記憶があります。

 

 

 40数年前に悪路だった道はすっかり整備され、ダムサイドのトンネルを過ぎると間もなく、糠平の街が見えてきました。

 

 

 当時は掘立小屋みたいだった東大雪博物館も見違える姿に変わっていました。

 

 しかし、今回は近づきませんでした。

 

 一度中に入れば、興味が募り、どれ程の時間を費やすか分からないからです。

 

 

 このとき、街の交番で時計を確認すると、12時30分を少し過ぎていました。

 

 上士幌で予測した通りのペースでした。

 

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人生100年の自転車旅 上士幌で食糧を調達 

2015-10-04 01:07:05 | 自転車でコスモスの島へ

 

 9月12日 帯広のNさん宅を自転車で、朝の7時半頃に出発しました。

 

 

 

 市内を北へ進んで、程無く十勝大橋のたもとへ出ました。

 

 

 十勝川は、数十年前と変わらぬ表情で豊かな水を湛えていました。

 

 今日もまた一つ川を渡って、向こう岸への旅が始まります。

 

 

 対岸の音更(おとふけ)町の街を、淡々と朝陽の中に自転車を進め行ました。

 

 

 すぐに家並は途絶え、緑の畑が周囲に広がりました。

 

 

 この時私は、今回の自転車旅の完走をほとんど確信していました。

 

 60歳半ばの足と背には、それ相応の筋肉痛を感じますが、大きな負荷さえ掛けなければ、一日中自転車をこぎ続ける旅を、最後までやり続ける自信が付いたのです。

 

 

 今回の自転車旅の最終目的地は宗谷岬です。

 

 これから、ひたすら北へと走り、最難関と思う大雪山系の三国峠を越え、層雲峡、上川、士別、名寄、音威子府を経て宗谷岬を目指します。

 

 

 国道241号線は、十勝平野に直線を描き、北へと伸びてゆきました。

 

 今日は何処まで行けるかだろうかと考えながら、幾つかのパターンを想定しました。

 

 今回は地図を持ちませんが、学生時代を含め、20年以上も北海道で暮らし、その後も度々北海道を訪ねた私の頭の中に、かなりの精度で北海道の道路地図がインプットされています。

 

 

 今日の予定ルートを考えれば、何処にテントを張るにしても、十勝平野の北部に位置する士幌か上士幌の街が食糧調達の最終ポイントですから、それを逃せば旅は悲惨な結果を招きかねません。

 

 帯広を出発して約2時間、上士幌の街が近づいてきました。

 

 ゆったりとしたペースで自転車をこぎ進め、スーパーマーケットの案内標示を見落とさぬように心がけました。

 

 

 

 そして予定通りに上士幌で食料品を購い、再び国道へ戻って、北を目指しました。

 

 走りすぎる道のほとりで、秋の陽射しを浴びるトリカブトが、上品な紫の花色を見せていました。

 

 花が毒を含んでいたとしても、いや、だからこそ、花の彩に惹かれるのでしょうか。

 

 昨日の荒天が嘘のような、向かい風のない穏やかなサイクリング日和に心が和らぎます。

 

 

 

 そんな風に、路傍の花に目を休めつつ自転車を進めて行くと、「上川 108㎞、ぬかびら温泉郷 22㎞」の標示が見えてきました。

 

 時計は持ちませんが、昼にはまだ相当間があるはずです。

 

 この先に長い上り坂があったとしても、今日の目的地と想定していた、糠平温泉をクリアするのはほぼ確実に思えました。

 

 

 

 ([10月4日現在] :それにしても、ラグビーワールドカップ、今夜のサモア戦、ビールが美味しかったですね!

 正直、勝てるとは思っていませんでしたから。

 

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帯広のNさんとインデアン

2015-10-03 11:18:46 | 自転車でコスモスの島へ

 

 広尾のビジネスホテルで、風呂から上がってテレビを見ていると、明日は台風17号が北海道東部に上陸し、午後から激しい雨風が予想されると報じていました。

 

 私はテレビに映し出された気圧配置とその推移予測を確認すると、電話の受話器を取り、帯広の知人に助けを求めました。

 

 「もしもし、突然で申し訳ありません。実は今、自転車で広尾に来ていますが、明日お宅に泊めて頂けないでしょうか?」

 

 これを読んだ読者はきっと、何て非常識なと、思ったかもしれません。

 

 実は、帯広の知人Nさんご夫婦とは、筆者が40年ほど前の学生時代からのお付き合いで、学生の頃からNさん宅には何度もお世話になっています。

 

 Nさんご夫婦はお二人が大学の職員だった頃から、自宅に学生や卒業生達が宿泊する為のベッドまで用意されていました。

 

 私は厚かましくも図々しく、今回もNさんに助けを求めた、と言うより、当初からそのつもりで、旅のスケジュールに組み込んでいたのです。

 

 数年前にヒマワリを訪ねる旅で帯広を通過した時、Nさん宅に顔を出さなかったことで後ろめたさを感じるような、そんなお付き合いをさせて頂いています。

 

 「えぇ! あんたまた突然どうしたの? ま~ぁ 今回は自転車なの! 話は後で聞くから、いつでもどうぞ。」とNさんは何時もの調子で、呆れながらも了解してくれました。

 

9月11日

 

 朝4時半頃に目を覚ますと、ホテルの窓の外はまだ闇の中でした。

 

 北海道に台風が接近してとの思いで空を見ると、夜明け前の空は嵐の前の静けさを装っているように見えました。

 

 今いる広尾町から帯広までは一本道ですが、暗い夜道で標識を見落とし、脇道へ迷い込むと、悲惨な結果となりますので、焦る気持ちを抑え、静かに部屋の中で夜明けを待ちました。

 

 そしてようやく、肉眼で路面状況が判断できるようになった午前5時、私は街路灯が消え残る道を、帯広を目指して自転車をこぎ始めました。

 

 広尾町から帯広までは約80㎞、今までの経験から6時間強の行程が予想されます。

 

 しかし、昼が近づくにつれて、もし風雨が強まるようなことがあれば、自転車での走行は困難となるかもしれません。

 

 到着が遅くなればなるほど、リスクが増すと思われました。

 

 

 雨の中で、全身を雨具に包んでの走行ですから、カメラでの記録もままなりません。

 

 6時半頃に、はしり来た方を振り返り、本日二度目のシャッターを切りました。

 

 多分大樹町の手前辺りだったと思います。

 

 いかにも十勝地方らしい直線道路の先に、はしり過ぎて来た場所が雨の中に霞んでいます。

 

 

 三度目にカメラのシャッターを切ったのは9時37分でした。

 

 更別村の辺りだった記憶があります。

 

 この場所に来るまでに、忠類町で100m弱の小さな峠を越えたのですが、車では何でもない、こんな峠が結構足に負担を掛けました。

 

 三度目のシャッターは、路肩にへたり込み、大福餅と一口羊羹で糖分を補給した時のものです。

 

 

 そして、四度目のシャッターは12時12分。

 

 既に帯広市街に入り、国道236号が大通りと呼ばれる地区に入った頃だったはずです。

 

 道路中央に掲げられた電光掲示板が気温15℃を示していました。

 

 

 

 そして程無く、帯広市内の、何やら見覚えのある辺りへと入ってきました。

 

 

 12時半頃になっていました。

 

 Nさんは私の到着を2~3時頃と見込んでいるはずです。

 

 お宅に向かう前に腹ごしらえをしておこうと思いました。

 

 選択肢は二つ。

 

 一つは豚丼の「ぱんちょ」、もう一つはインデアンカレーです。

 

 「ぱんちょ」はテーブル席だったはずですから、全身雨具の姿では入り難く思い「インデアン」に向かいました。

 

 しかし記憶の場所に、「インデアン」が見当たらないので、隣の藤森食堂で店員さんに「インデアン」は無くなったのですか?と聞くと、移転先を教えてくれました。

 

 お店は相変わらずの混雑で、周囲をカウンターに囲まれた厨房の中、一人の男性がきりきり舞いで、カレーを仕分けていました。

 

 料金は昔と同じ370円、スパイシーな懐かしい味に大満足でした。

 

 ホント! 帯広と言えばインデアンですよね。

 

 

 

 インデアンでの昼食を終えて、Nさん宅に伺い、温かいお風呂のもてなしを受け、体を休めて、のんびりとした午後を過ごすことができました。

 

 ところで、あれほど心配した台風でしたが、東に大きく逸れてくれたお蔭で、私が帯広に着く頃には、雨も小降りになっていました。

 

 あれ程心配した割には、あっけない幕切れでしたが、何はともあれ目出度し目出度しでした。

 

 

 

 

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親切な庶野の佐藤商店さん

2015-10-03 00:14:43 | 自転車でコスモスの島へ

 

 私は襟裳岬からクロマツ林の中を自転車ではしりながら、しかしその時はまだ、周囲に広がる魚付き林の内容を正確には把握していませんでした。

 

 只々、強さを増してきた風にあらがって、庶野の街を目指して自転車を進めていました。

 

 

 そして、荒れる狂う海に身を竦めながら、海岸にへばり付くように並ぶ庶野の街に灯りが点る頃、

 

 道道34号が国道336号と交わる庶野の街に到着しました。

 

 

 庶野の街は予想以上に小さくて、当てにしていたスーパーマーケットどころか、コンビニの姿さえ見当たりません。

 

 強い風を伴って降る雨に、テントを張る場所を探すことを諦め、定期バスの停留所である2畳弱の小屋を今夜の寝場所に思い定め、夜の食料を求めて、シャッター一枚分だけ開けた、一軒の商店の庇をくぐりました。

 

 

 棚に並ぶ商品に選択の余地はありません。

 

 私よりも年嵩があると思える、穏やかなおばあさんが、店舗に続く居間の中で店番をしていました。

 

 「何か、今夜食べるものが欲しいんですが」と問いかけると、「カップ麺で良ければ、お湯を入れて上げますよ」と言われました。

 

 「それは有難い」、棚に並んだ大き目のカップ麺とコッペパンを一つ選んで、これを下さいとおばあさんに挿し出しました。

 

 「ちょっと待ってて下さい」と言いながら、おばあさんは奥に下がり、暫くして出てきたのが下の写真です。

 

 

 

 本当に驚きました。カップ麺と一緒に、白いご飯にルビーのように輝くイクラが添えられていたのです。

 

 店に続くカーペット敷きの居間の上り口を指して、ここに座っておあがり下さいと勧められましたので、慌てて濡れた合羽を脱いで、遠慮なく御相伴にあずかることに致しました。

 

 庶野のこのお店は佐藤商店さんです。

 

 食事を頂いている間、居間のテレビが台風18号による大雨で鬼怒川の堤防が決壊したニュースを伝えていました。

 

 そして、その台風とは別の台風17号が明日は北海道に近づき、北海道東部は明日には大荒れの天気になると報じていました。

 

 ええ!どうしよう。

 いっそのこと、今夜中に広尾まではしり、広尾のホテルに逃げ込んだ方が良いかもしれないと、店の外に出て雨降る夜空を見上げていますと、40代と思しき男性が奥から出てきて、トラックで広尾まで送ってあげましょうと言ってくれたのです。

 

 この方はおばあさんの息子さんで、数年前に亡くなられた父さんの跡を継いで、庶野で漁師をされているそうです。

 

 私はこのお言葉に頭を深く下げ、遠慮なく甘えさせて頂くことにしました。

 

 庶野から約30kmもの距離、軽トラックで1時間程の雨降る夜の道を広尾のホテルまで、自転車ごと送り届けて頂けて下さったのです。

 

 「佐藤さん、ご家族の皆様、あの夜は本当に有難うございました。」

 

 襟裳砂漠と呼ばれた地に営々と魚付き林を守り育てる人々、雨降る夜に逃げ込んで来た、旅狐に心優しい手を差し伸べてくれた方々、本当に忘れられない北国の一日となりました。

 

 今日の走行距離は、静内桜並木への往復も含めた約120kmと軽トラックでの +30kmという結果でした。

 

 

 

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襟裳岬のクロマツ

2015-10-02 11:11:33 | 自転車でコスモスの島へ

 

 襟裳岬の先端を東側の海岸に下った先の道道34号には、両側を緑に挟まれた、平坦な一本道が続いていました。

 

 

 道の両側に並ぶ木々は、掲示物からクロマツとカシワだと判りました。

 

 「襟裳岬魚付き林」の標示を目にしました。

 

 「襟裳岬の魚付き林」に興味を覚え、帰宅後に調べてみますと、

 

 【襟裳岬周辺は、かつて落葉広葉樹の天然林に覆われていましたが、薪の採取、牧場開発及びバッタの食害によって砂漠化が進み、昭和初期には「襟裳砂漠」と呼ばれていました。

 

 風に飛ばされた赤土が沿岸10kmにも及び、海は赤く濁り、回遊魚が寄りつかなくなり、昆布が根腐れを起こすなど、沿岸海域の生態系は著しく劣化していました。

 

 昭和28年から始まった緑化事業によって、昭和40年ごろから赤土や土砂の海への流出は減少し、魚介類の水揚げ高は急速に増え、昭和27年の72tに対し平成3年には2,082t、平成13年には2,300tを記録し、昆布類の品質も著しく向上していった】のだそうです。

 

 平成18年9月5日、天皇皇后両陛下が襟裳岬緑化事業地の視察に訪れた際、天皇陛下がその苦労をしのび詠まれた歌が、先にご紹介した、岬に建つ石碑に刻まれています。

 

 現在も「襟裳岬の緑を守る会」と行政機関が協力し、春は漁師の妻による「ワクワク森づくり」、秋は漁師による「イキイキ森づくり」が実施されています。

 

 「えりも岬の緑を守る会」は平成10年4月「第9回みどりの文化賞」、平成15年4月「第37回吉川英治文化賞」を受賞しその功績が称えられたそうです。

 

 襟裳岬の森林再生に学び、北海道では平成14年度から、15カ所を「北の魚つきの森」と認定し、地域住民による自発的な森林づくり活動の促進が図られているそうです。

 

 

 

 見事な魚付き林が数㎞に亘って続いていました。

 

 私はこれらの林に北海道の在来樹種ではないクロマツが使われていることに驚きましたが、多分襟裳岬と緯度の違わない函館にクロマツが育つことから、潮風に強いクロマツが選定されたのだと思います。

 

 

 勿論、今の私の一番の関心事である、マツの枝の形態もしっかりと観察させて頂きました。

 

 その内容は、何時の日か、別のブログでご紹介することになればと思います。

 

 

 「襟裳岬魚付き林」は後世に「魚付き林」の効果を実証した歴史的遺産として語り継がれる可能性がありそうです。

 

 「何も無い」と歌われた襟裳岬で、森を育てる人々の素敵なお話に巡り会えたことは、今回の旅の大きな収穫となりました。

 

 予想外の場所で出会ったクロマツに、好奇心に胸を膨らませながら、私は風吹き荒ぶ北国の道に独り、自転車を進めてゆきました。

 

 

 

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風極の地 襟裳岬へ 人生100年の自転車旅

2015-10-02 00:46:11 | 自転車でコスモスの島へ

 

 正面から吹き付ける雨と風は強さを増してきました。

 

 3~40m程のアップダウンを繰り返す丘陵地帯の登り坂で、向かい風に負けた私は、とうとう自転車から降りて100m程の距離を歩かされました。

 

 その後も、世界から孤立した異次元世界に導かれるかのように、丘の稜線を上下する鈍色の道で、自転車を黙々と進めました。

 

 少しでも推進力を得ようと、ヨットの帆を操るように、風の向きに対し体躯を斜めに構えながら自転車を進めました。

 

 断続的に吹き付ける雨と風に煽られ、対向車線側に押し流されながら、ただひたすらに、何も無い襟裳岬を目指しました。

 

 

 

 雨と風が吹き荒ぶ中、私は生きていることの手応えを感じていました。

 

 そんなプリミティブな感覚を味わうのは久しぶりのことです。

 

 生命体としての、己の器官全てが、齟齬なく機能している喜びを感じていました。

 

 そして、皮膚直下の神経線維に、アドレナリンが滲みわたるような充実感に満たされ、灰白色の霧に包まれた襟裳岬に到着しました。

 

 岬の売店で時間を確認すると、時計の針は既に16時を廻っていました。

 

 

 

 取り敢えず、岬の先だけでも見ておこうと、遊歩道に歩を進めました。

 

 過去にこの場所に立った時、岩礁が沖に向かって並ぶ光景を眺めましたが、今は足元の海が乳白色に霞み、何も無い岬は、何も無いことさえ霧のベールに包まれています。

 

 

 「風極の地 襟裳岬」と記された石碑通りの光景の中に私は居ました。

 

 風と波が奏でる音だけが、この時の今を語っていました。

 

 

 そんな岬の中、

 

 「御製 吹きすさぶ海風に耐えし黒松を 永年(ながとし)かけて人ら育てぬ」

と記された石碑を目にしました。

 

 そのとき、この歌の意味が良く分からなかったのですが、その歌が意味する光景を、その後程なく目にすることになります。 

 

 

 嵐の中の襟裳岬から広尾方面に向かって自転車をこぎ出したのは16時30分頃でした。

 

 すぐに下り始めた道の、坂道の下の民家の前を、雨に濡れた狐が歩きます。

 

 私もきっとあんな風に見えていたかもしれません。

 

 

 風と雨が支配する世界では、人も狐と同じように、ちっぽけな存在でしかないのです。

 

 しかし、私も狐も自らの意志で、自由の風吹く中を、身を洗う雨の中を歩き続けます。

 

 私は濡れそぼる狐にシンパシーを覚え、夕暮れ迫る旅を急ぎました。

 

 

 

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えりもの街は 人生100年の自転車旅

2015-10-01 13:30:28 | 自転車でコスモスの島へ

 

 様似町を過ぎ、アポイ岳の裾を襟裳岬へと向かうにつれ、海はますます荒れてきました。

 

 

 海は白く泡立ち、波の頂きから水しぶきが飛び散ります。

 

 悪天候でもないのに、これ程までに荒れ狂う海を見るのは初めてかもしれません。

 

 

 

 私は目の前に乱舞する波の躍動感に魅せられて、気が付くと護岸に身を寄せ、カメラのシャッターを幾度も押し続けていました。

 

 青い空と白い雲、

 

 

 蒼い海と白い波。

 

 

 こんな光景に没頭できるのは、自由な自転車旅であればこその醍醐味です。

 

 えりも町へ向かう国道336はやがて、見事な防潮トンネルを潜りました。

 

 

 

 その途中で、自転車から眺める海は、美術館の絵でも見ているような、夢と現の狭間へと紛れ込んだかのような、不思議な感覚の世界を見せてくれました。

 

 

 えりも町に入ったのは14時を過ぎていました。

 

 正面から吹き付ける風は相変わらずでしたが、今日中に襟裳岬を巡り、岬と広尾町の中間辺りまでは行けるだろうと思っていました。

 

 

 

 えりもの街は、独特の哀愁を感じさせます。

 

 私はイギリス最北の地、ジョン・オグローツを訪ねたときのウイックの街を想い出していました。

 

 えりも町とウイック、何れの街も不思議な静けさに包まれていました。

 

 岬の先の灯台守の家族が、肩寄せ合って、吹き荒れる潮風の中で息を潜めて暮らしているような雰囲気が街に漂います。

 

 

 えりもの街を抜けて襟裳岬へ向かう途中で、北緯42°線を北から南へと越えました。

 

 

 東の空には虹が掛かっていました。

 

 

 しかし、この辺りから雨が降り始めたのです。

 

 襟裳岬の方角は、本降りを思わせる、水分が大気に混じり合った空の色を見せていました。

 

 

 襟裳岬へと続く道に人影は全く見えません。

 

 

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アポイ岳 人生100年の自転車旅

2015-10-01 00:34:37 | 自転車でコスモスの島へ

 

 天空に陽が昇りきる前に浦河の街が見えてきました。

 

 道路脇に、いかにも北海道らしい看板、「熊出没 不法投棄ゴミは熊が寄りつく原因になります」が見えます

 

 

 海岸沿いの道を進むと、勇壮な波が磯に打ち寄せてます。

 

 外海に面した海のことだけはあるなと感心したのですが、この時関東では、台風18号の豪雨で鬼怒川が決壊したことを、私は全く知りませんでした。

 

 

 浦河を過ぎた辺りから、東の風が強まり、南東へ進む自転車の進行を妨げます。

 

 被っていた帽子を、ザックに収めざるを得なくなってきました。

 

 

 

 陽は天空の頂きに昇り、日高幌別では、歩道脇の幅1mほどの植栽スペースで、コスモスが秋の明るい陽射しを受けていました。

 

 澄み渡る空の青さに、薄紅色のコスモスが本当に良く似合います。

 

 

 街を抜け、日高幌別川を渡りました。

 

 アイヌ語で「ホロ」は「大きい」、「ベツ」は「川」の意ですから、幌別川は大きな川という意味です。

 

 水量の多い、清らかな川の上流部では、イワナやヤマメなどが群れ泳ぐ姿が見れるはずです。

 

 

 

 苫小牧からはしり来た国道235号は浦河町で終わり、そこから先の日高幌別へは国道236号線に入ります。

 

 国道236号線は日高幌別から左折して日高山脈を越え、十勝の広尾町を経て帯広市へと伸びてゆきます。

 

 日高幌別から先の海岸線に続く国道336号線は、様似町、えりも町、広尾町を経て釧路市へ至ります。

 

 自転車は国道336号線に入り、目の前に様似の親子岩らしき岩礁が見えてきました。

 

 

 海に迫り出る岩山のトンネルを抜けると正面に、海に向かってなだらかに落ち込む尾根が見えました。

 

 

 その尾根の頂きがアポイ岳です。

 

 アポイ岳は標高810mの低山ですが、山を構成する「かんらん岩」は地下のマントルが上昇したものです。

 

 アポイ岳はその特異な土壌と、夏は海霧に覆われる冷涼な気象条件、プレート活動による造山活動後に一度も海面下に潜ることがなかったことから、貴重な固有植物種が数多く見られます。

 

 アポイ岳の植物群落は国の特別天然記念物に指定され、花の百名山に名を連ねます。

 

 4時間もあればピークまで往復できるので、登ろうか、とも思いましたが、花の季節ではないし、既に二度も登っていますので、無理をせずに、次の機会を待つことにしました。

 

 

 

 そしてアポイ岳は、私が旅を終える直前の2015年9月19日に世界ジオパークに認定されました。

 

 

 

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