「道の駅びふか」を出てしばらくすると、国道40号線の脇に、立ち並ぶ数本の松が見えてきました。
静内で百年の赤松を見てきましたが、まさか美深のような酷寒の地で、松を見るとは思っていなかったので、驚きました。
樹が高く、枝葉を詳細に観察できませんが、常識的に考えれば、ヨーロッパアカマツだろうと思います。
しかし、だとすれば尚更、外来種に代えてまでも寺社に松を植える、日本人の植物への拘りを見る気がしました。
自転車を境内に進めると、本堂の柱に「高野山真言宗 天塩山 弘法寺」、「北海道三十三観音霊場 第二十八番札所」の名札を確認することができました。
松の由来を聞きたくて、住宅玄関のチャイムを鳴らしましたが反応はありませんでした。
美深は1月の平均気温が-9.2°だそうです。
それほどまでに厳しい土地で、この松はいったいどれほどの年月を過ごしてきたのでしょうか。
ちなみに、弘法寺は開基が明治39(1906)年だそうです。
明治38(1905)年9月5日にポーツマス条約で日露戦争が終わり、南樺太が日本に割譲され、その年に旭川-名寄間の天塩線とよばれた鉄道が官営化されています。
そんな時代背景の中で弘法寺の開基だったようです。
16時少し前に、稚内へ向かう国道40号とオホーツク方面へ向かう国道275号の分岐点である音威子府村に到着しました。
当初の予定は、この村でテントを張るつもりでしたが、中頓別か天塩中川まで行けば、予約なしに泊まれるログハウスがあることを知らされたので、天塩中川へと向かうことにしました。
選択肢の一つである中頓別は天塩中川よりも遠く、中頓別へ向かう国道275号線には峠があって、日没前に着けない可能性があります。
この決定で、国道40号を北上して稚内経由で宗谷岬に至り、帰りはオホーツク海沿いに南下するコースが確定しました。
音威子府の中心部を出発するとすぐに、国道40号線は川幅を広げる天塩川を渡りました。
40号線は、両岸を森に包まれて流れる下る天塩川に沿って、左右へのカーブを重ねながら北へ進みます。
天塩川は豊かな水を湛えて、緑の山の陰影を川面に映し出していました。
夕闇が川面を覆い始め、峰々の頂が角度を落とす陽に照らされていました。
音もなく流れる川に、夜のしじまが忍び寄ります。
山の狭間に夕陽は望めませんが、右岸へ渡る橋の上で、茜色に照らし出される雲の輝きに、日本海へと沈み去る太陽の面影を見た気がしました。
陽が沈んで、空に広がる僅かな残照も瞬く間に消えて、自転車のヘッドライトの灯りを頼りとしながら、
天塩中川森林公園のログハウスに到着することができました。
今日の走行距離は約140㎞、10時間30分程の行程でした。
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