~略~
「むしろ、優秀な演奏家と普通の大人との違いは生涯にわたり技能を改善しようと意図的に努力してきたこだわりの結果を反映しているのである。」
うん、うん。
今なら分かる。
「だが、このグループのあいだで一つだけ、凄まじく予想外に違っているものがあった。
その違いがあまりにも大きくて、エリクソン達にしてみれば、まるで飛び出してくるかのようだった。
— それは、彼らが真面目に練習してきた累計時間だ。
二十歳になるまでに、最高のバイオリニスト達は平均1万時間の練習を積んでいた。
これは、良いバイオリニストより2000時間も多く、音楽教師になりたいバイオリニスト達より6000時間も多い。
この差は統計的に有意どころか、凄まじい違いだ。
最高の演奏家たちは、最高の演奏家になるための作業に、何千時間もよけいに費やしていたわけだ。
だが、それだけではない。エリクソンはまた、このパターンに例外はないことを発見した。
辛抱強い練習なしにエリート集団に入れた生徒は一人もいなかったし、死ぬほど練習してトップ集団に入れなかった生徒も全くなし。最高の生徒とその他の生徒を分かつ要因は、目的性のある練習だけなのだ。」
マシューサイド著「非才」より一部抜粋
フランシス・ゴルトンは「遺伝的才能」を声高々に言っていたが、やはりそれだけではないですね。
私が生まれた1970年台当時はプールの絶対数が少なかったですから、泳ぐ環境が整った者が強かった。
しかし、その中でも工夫する者が出てくる。
泳げなければその分走ったり、陸トレしたり、でそれを補った者、チームが強くなる。
徐々に室内プールという「環境」が整いはじめ、「泳ぎたい」と思った者は泳ぐことが出来るようになった。
そうすると無理だと思われた従来の「日本記録」や「世界記録」を「中学生」や「高校生」が突破することが頻繁に起き始めた。
しかし「泳げば強くなる」というのはこの時点で終焉を告げた。
何故ならば「年中泳ぐ」という環境はほぼ整っている訳だから、次の一手を打たなければならない。
その一手はマシューサイドのいうところの「目的性のある練習」である。
もちろんいつの時代も最後まで「目的」を達成しようと諦めなかった者が手に入れられるのですが、ね。
今日の50*8+100*8(100*6+200*4または100*8+200*8)を受け身で取り組まずに、目的性のある練習に出来たかなあ。笑