この4月から学校法人梅村学園の専任事務職員として中京大学のスポーツ振興室にて働く事になりました。
今日は朝練が終わり次第、八事校舎に地下鉄で移動し、様々な手続き、研修を受けました。
改めて研修を受ける事で、やはり自覚が芽生えますね。
私は中京大学水泳部のコーチではありますが、日本水泳界を発展させたい、と考えておりますので、そういった意味では
日本水泳所属といった勝手な自負を持っております。
また私には夢があり、後々は必ず中京大学水泳部のメンバーでオリンピックのリレーが組めること、中京大学水泳部出身者が日本社会の中心として活躍すること。
時間は掛かるでしょうが必ずできると信じています。
なぜなら、私も18歳の時に進学で悩みました。
その時に当時の話になりますが「高橋繁浩のいる中京大学に進学したい!」と思って中京大学を選びました。
この時の私の浅はかな考えは「中京大学に進学したら、高橋繁浩の右腕になって世界中を飛び回る!」と勝手な妄想を抱いていました。笑
その妄想から20年後の今日、時間は掛かりましたが一歩近づいたのです。
人は想像出来ることしか、実現できないのです。
中京大学水泳部出身者が日本社会の中心で活躍している姿はリアルに想像出来ます。
必ず出来るのです。
こういう話を鼻で笑う人もいると思います。
それをドリームキラーというのですが、ドリームキラーの言葉に自分の人生を預けてはいけません。
自分で描いた自分の人生を生きるのです。
今回の件も高橋先生の後ろ盾のお陰であると信じています。
これで4回も高橋先生に命を救われました。
これから職員の仕事が忙しくて水泳部を見れないのではないか?なんて心配もありますが、鹿屋体育大学の田中先生の言葉を借りれば、「私生活で明日の食べるものさえ心配しているようで、どうやって選手指導に気が回るのか?お風呂に入っても、トイレに入っても選手指導の事を考える事が出来るように、生活を安定さる事が大切です。」
な訳ですから、ここからさらに私自身は飛躍出来ると信じています。
取り敢えず今日は亡き父母に報告です。
貴方達が苦しい時も諦めずに私や姉をサポートしてくれたお陰です。
感謝しかありません。
とはいえ、ゴールはまだ辿り着いていません。
ここからです。
今日は朝練が終わり次第、八事校舎に地下鉄で移動し、様々な手続き、研修を受けました。
改めて研修を受ける事で、やはり自覚が芽生えますね。
私は中京大学水泳部のコーチではありますが、日本水泳界を発展させたい、と考えておりますので、そういった意味では
日本水泳所属といった勝手な自負を持っております。
また私には夢があり、後々は必ず中京大学水泳部のメンバーでオリンピックのリレーが組めること、中京大学水泳部出身者が日本社会の中心として活躍すること。
時間は掛かるでしょうが必ずできると信じています。
なぜなら、私も18歳の時に進学で悩みました。
その時に当時の話になりますが「高橋繁浩のいる中京大学に進学したい!」と思って中京大学を選びました。
この時の私の浅はかな考えは「中京大学に進学したら、高橋繁浩の右腕になって世界中を飛び回る!」と勝手な妄想を抱いていました。笑
その妄想から20年後の今日、時間は掛かりましたが一歩近づいたのです。
人は想像出来ることしか、実現できないのです。
中京大学水泳部出身者が日本社会の中心で活躍している姿はリアルに想像出来ます。
必ず出来るのです。
こういう話を鼻で笑う人もいると思います。
それをドリームキラーというのですが、ドリームキラーの言葉に自分の人生を預けてはいけません。
自分で描いた自分の人生を生きるのです。
今回の件も高橋先生の後ろ盾のお陰であると信じています。
これで4回も高橋先生に命を救われました。
これから職員の仕事が忙しくて水泳部を見れないのではないか?なんて心配もありますが、鹿屋体育大学の田中先生の言葉を借りれば、「私生活で明日の食べるものさえ心配しているようで、どうやって選手指導に気が回るのか?お風呂に入っても、トイレに入っても選手指導の事を考える事が出来るように、生活を安定さる事が大切です。」
な訳ですから、ここからさらに私自身は飛躍出来ると信じています。
取り敢えず今日は亡き父母に報告です。
貴方達が苦しい時も諦めずに私や姉をサポートしてくれたお陰です。
感謝しかありません。
とはいえ、ゴールはまだ辿り着いていません。
ここからです。