10月末をもちまして、一旦コーチ業を離れる決心をいたしました。
理由は「母親の介護」です。
色々な想いの詰まったこの職場、現場、仲間、と離れるのは非常に悩みました。
とはいえ、原点に戻って考えました。
なぜ自分が今ここにいることができるのか?
父親・母親がいたからです。
大学に行けたのも両親のおかげです。
ごく当たり前のことです。
僕は選手に
「親に感謝しなさい」
なんて偉そうなことを言います。
自分がその立場になりました。
僕は感謝している、ということを「行動」で示そうと思いました。
母親の病気は
という難病です。
はじめは脳梗塞が原因の言語障害だと思っていたのですが、8月の検査結果で判明しました。
この病気は、運動神経が障害されて筋肉が萎縮していく進行性の神経難病です。
手や足をはじめ体の自由がきかなくなり、
話すことも食べることも、
呼吸することさえも困難になってきますが、
感覚、自律神経と頭脳はほとんど障害されることがありません。
現代はメールの文化ですので、母親とのコミュニケーションは楽です。
しかし、先日は
「指が動かなくなってきた」との事。
・・・
選手への情熱のベクトルを母親に向けようと思います。
18歳までは
長崎で
35歳までは
愛知で
ここからはとりあえず
大阪で
・・・
色々な意見があると思います。
「仕事やりながら出来るだろう」
とか
「考えが甘い」
とか。
だからこそ
自分自身で結論を出したのです。
人に託すと心が揺らぐからです。
自分には嘘はつけないからです。
おかげで今は
後悔はひとつもありません。
東京スイミングセンターのコーチングスタッフの皆様
ありがとうございました。
立川先生、お電話いただいて勇気付けられました。
同じグループの
堀井先生、とても嬉しかったですし、優しさが身に沁みました。
書ききれないので随時アップしていきます。
暗くなっていくと僕が僕で無くなるのでいたって普通に過ごすつもりです。
しかし改めて思う。
競泳やってて良かった。
だからこそ決心できた。
ブログを通じて、知り合うことが出来た皆様。
青木先生:インターハイでは、念願かなってお会いできた喜び忘れません。飲みに言って色々聞きたかったです。が、時間見つけて必ず群馬へ(笑)
平井先生:今まで勝手にリンクしてました(笑)研修に来ていただいた時から競泳コーチの奥深さ、楽しさを真剣に考えるようになりました。人生変わりました。
太田先生:同じく勝手にリンクさせていただきました。母親が枚方の病院ですので、実は偵察に行きました。あの環境で素晴らしい結果。「やれないこと探し」をしていたんだなと反省。
一木先生:「だから水泳は面白い!」んですよね。ふと一木先生がその言葉を口にしたことがあります。その姿勢共感しました。
田場先生:同世代として誇りに思います。うちから福岡大学に行く選手が出るように願っています。
こんな素晴らしい水泳の世界。
まあなんとかなるばい、ねえ、母ちゃん。
私がコーチを辞めてからはファンでした。
私も祖母の介護をしながら働いてます。
今度もライバルですね。
勝つのは誰だ!
ササユウ
もう一度聞く!!
勝つのは誰だ!!
ササユウ!!
OH~OH~OooHhh~
サ☆サ☆ユ☆ウ
ササユウ ナンバーワン!!!!!
やっぱり、あんたは『凄いよ!!』
いつでも、みんなは待っていますよ!!
おもいっきり飲みまくろう~~~
いろんな事を学べました。
国体や試合でもいつも声を掛けてくださって本当に嬉しかったです。
場所は離れてしまいますが、これからも服○、松○、克○のよい結果が報告できるように尻を叩いてやります。
私共々、応援してやって下さい。
私も先生が元気で頑張れるように応援しています。
本当に深い縁を感じています。
現実でお会いすることはできていませんが…。
でもきっと15年前に神宮プールでお会いしてるかもしれませんね。
僕はインカレでは必ず平田君と会ってたので。
もしかしたらこの出会いは15年ぶりの再会です。
だからきっとまた会えると思っています。
応援しています。
お体に気をつけてください。
試合会場の場所取りで待っている時間に佐々木先生から教えていただいた平井先生の話、とてもタメになりました。
また木曜日に伺います。
愛知県の競泳コーチとして残念ではありますが、先生もこれから一生懸命がんばってください!
素敵な言葉です
たった一人の母ですもんね
誰にでもできるほど簡単なことじゃないですよ、きっと・・・
木曜日は徹夜だ!!!