陸上部とのコラボ練でした。
職場の関係上、私自身様々なスポーツと触れ合う機会が増え、更にはそのスポーツの指導者とも意見交換する機会が増えました。
水泳と陸上は筋肉への負担が違うので、全て同じ考えでは無理が生じますが、基本的な点は同じです。
現在の能力のギリギリのところでトレーニングを繰り返す、ということです。
何も考えないで、何の負担も感じないで出来るようになったのならば、次は何かを考え、負担を感じ、出来ない事を出来るようにする、また意識しないでも出来るようにする、という事です。
陸上部の女子は、別次元の人間でした。
やることなすこと、水泳部の女子がいくら真剣にやっても、そこには届かない、という世界にいました。
良く耳にする「やる時はやる」という言葉ですが、この世界を知ると「やる気になってもやれない」と思ってしまいます。
ではなぜこんな消極的な話をしたかというと、やる気がどうのとか、その気になればとか、を軽々しく口にしてはいけないよ、ということです。
青戸コーチが
「100mを追求すると、最後にはいよいよ0.1秒が遠くなる世界がある。そこにいくと軽々しくタイムが出るとかを口に出来なくなる。」
と言っていましたが、まさにその通りです。
ボクシングでも一階級違うだけで全然パンチの重さが違う、といっていましたが、それは、絞りに絞って、更には水分まで絞り出して100gさえ落ちない、という事をやっているからです。
1kgや2kgの体重を簡単に落とせるような状態の者が「軽々しく100gなんて簡単に落とせる」などと言ってはいけないのです。
テクニックはもちろん大切です。
しかしそれは時に、周りを納得させやすい言い訳にもなり易いのです。
もっと他にもやれる事があるはずです。
でもそれは実は周りには見えにくい取り組みかもしれません。
誰も見ていないから誰も褒めてはくれません。
だけれども実はそこが一番大切なのではないでしょうか?
褒められるからやる、褒められないからやらない、という程度のモチベーションでは自分越えは出来ないと思います。
毎シーズン毎にトレーニングには変化をつけています。どんなに上手くいった年があっても決して同じ事を繰り返したりはしません。
100年前の世界記録は今の学生は練習中のインターバルで繰り返し泳ぐ事が出来るからです。
歩みを止めては衰退です。
いえ、もっと酷かも知れません。
川の流れに逆らって泳いでいるようなものかも知れません。
泳ぎを休むと川に流され、その先には大きな滝壺があり、落ちてしまう、そんなイメージかも知れません。
必死に激しい流れに打ち勝つ、そんな気持ちを常に持ち取り組んで欲しいものです。
やってやろうぜ。