自分にはチャンスが無い。
と思ってる人は不思議とチャンスが巡っていることに気付かない。
予選もチャンスの一つ。
それを活かすからこそ、チャンスがまた一つ増えるだけのこと。
「予選のアヴェレージ」がこの夏を戦う為の秘訣の一つ。
自分にはチャンスが無い。
と思ってる人は不思議とチャンスが巡っていることに気付かない。
予選もチャンスの一つ。
それを活かすからこそ、チャンスがまた一つ増えるだけのこと。
「予選のアヴェレージ」がこの夏を戦う為の秘訣の一つ。
移動のバスの中で「瞑想」にチャレンジした。
5分間の瞑想。
呼吸を意識するのだが、いつの間にか他のことで意識は削がれる。
もう頭の中はそれどころではない。
瞑想自体は上手くはいかなかったものの、おかげでいろいろと考えさせられた。
いよいよ週末には愛知県選手権。
練習でやってもいないことをレースでやろうとして私に説教されたことを思い出しても良いだろう。
「『前半を23秒で入れなかったこと』が反省?
反省する必要は無いでしょう。
そんな練習はブロークンですら一度も観た事ないよ。
24秒のフットタッチならやっていたよね?
だから今回のレースはそういう意味では成功だ。
そもそも目標がおかしい。
もし目標が合っているならば、君の練習の取り組みは目標と一致していない。」
とも言ったこともあります。
ブロークンして出来ないことをストレートでやろうとすることに違和感を感じる。
しかし自分の能力を見限る必要も無い。
50秒はでなくとも51秒は出るだろうし、57秒はでなくとも58秒は出るだろう。
あくまでも今現在の力を言っているのだ。
決して1年後のことを言っている訳ではない。
また試合が近づいて「緊張」する者も多いだろう。
緊張し過ぎて「一か八か」のレースをしてしまい、せっかく積み上げてきたトレーニングを台無しにしてしまう。
ほんの少し落ち着いて呼吸を整え、冷静になってみると一か八かの選択がどれほど浅はかな考えであることか。
そこにある選択とは、何千回、何万回と繰り返してきたトレーニングと自信の積み重ねなのだから、行き着く先はその成果の再現である。
それを最後に棒を振るような考えに行き着かない様に、やはり呼吸を落ち着けて考えてみると良い。
「自分は49秒の練習をしてきたのではない。48秒で泳ぐ練習をしてきた。57秒で泳ぐための練習ではない。55秒で泳ぐために後半は28秒で泳ぐ。」
フィジカルトレーニングは充分出来ている。
頭の中もウエイトトレーニングと同じ様にストレスをかけるべきだ。
そうすると「自信にみなぎった」発想で頭の中は満たされる。
失敗した瞑想からの発見
沖縄『慰霊の日』追悼式で読まれた沖縄の小学1年生の詩。
へいわってなにかな。
ぼくは、かんがえたよ。
おともだちとなかよし。
かぞくが、げんき。
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。
けんかしてもすぐなかなおり。
ちょうめいそうがたくさんはえ、
よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。
みなとには、フェリーがとまっていて、
うみには、かめやかじきがおよいでる。
やさしいこころがにじになる。
へいわっていいね。へいわってうれしいね。
みんなのこころから、
へいわがうまれるんだね。
せんそうは、おそろしい。
「ドドーン、ドカーン」
ばくだんがおちてくるこわいおと。
おなかがすいて、くるしむこども。
かぞくがしんでしまってなくひとたち。
ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
このへいわが、ずっとつづいてほしい。
みんなのえがおが、ずっとつづいてほしい。
へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにじま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、
へいわってすてきだね。
これからも、ずっとへいわがつづくように
ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。
あさとゆうき
小学1年生に当たり前のことを教えられる大人が考える平和とは一体。