すでに江戸時代から牛肉を「養生薬」と呼んで、「味噌漬け」や「干し肉」に加工して、現在滋賀県の「彦根藩」から「徳川将軍家」への献上が確認され、それを徳川家では賞味されていたとある。明治時代になれば、西洋文化の影響で牛肉が公然と食べ始められるようになり、
「近江牛」が一躍ブランド牛として全国に普及しだしたのは、近江商人の手腕もあってのことだろう。
今回は幻と呼ばれる部位
「ミスジ」・・・・・一般的に判りやすく言えば、肩甲骨の内側の端に位置するところで、一頭の牛から数百グラムしかとれないものなのだ。画像のこの塊が一頭分と言うことで、赤身なのに綺麗で細やかなサシがはいっている部位なのが素晴らしい。塩とブラックペッパーで炙るように焼いて、山葵で戴くことにする。
食べると口の中でとろけるような肉質で、マグロなら大トロに匹敵するような濃厚さが特徴で、天にも登る味わいだ。これはもう赤ワインが欲しくなるが、生肉なら日本酒で間違いない。「近江牛ミスジのユッケ」と「近江牛ミスジ自作野菜生ドレッシング」を携帯で撮影。
こちらも趣が変わった近江牛で「ロース」や「モモ」の味わい・・・・・とは言っても、前述した「ミスジ」には劣るものの、ほうばった時の食感も後味も一流の味と肉質。ミスジに較べると、荒々しい食感で歯応えが残るこちらも心地良いかも。
地元で「近江牛」を扱う駅弁には、
「食べ物の恨みは恐ろしい」とのキャッチコピーが書かれているものがある。これは、近江牛を楽しみにしていた水戸藩が、江戸幕府への近江牛の献上を取り止めた彦根藩藩主「井伊直弼」を、恨みのあまり「桜田門外の変」で討ったとする俗説に寄るものとあったが、面白く笑える仮説である・・・・「生レバー」。
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今回は「CANON IXY」と「CANON一眼」と「携帯」での撮影です。
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一方、
「神戸ビーフ」と呼ばれる類のものは、神戸産の牛と言う意味ではなく、輸送のために神戸港に運ばれてきた「近江牛」や「但馬牛」を、在留外国人が名付けたとも言われるため、良い加減な総称であるようだ。