(朝日新聞)
68回目の終戦の日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
安倍晋三首相は約310万人の戦没者を悼み、「世界の恒久平和に能(あた)うる限り貢献」する決意を述べた。
一方、歴代首相が踏襲してきたアジア諸国に対する加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉はなかった。
(毎日新聞)
68回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下や遺族ら6091人が参列した。
安倍晋三首相は式辞で、歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者に対する加害責任に明確には触れず、「歴史に謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を胸に刻みつつ国の未来を切り拓(ひら)く」と述べた。
(読売新聞)
68回目となる終戦記念日を迎えた15日、政府主催の「全国戦没者追悼式」が、天皇、皇后両陛下をお迎えして、東京都千代田区の日本武道館で正午前から開かれた。
式では、天皇、皇后両陛下をお迎えした後、国歌を斉唱。安倍首相が、「貴い命をささげられた、あなた方の犠牲の上に、私たちが享受する平和と、繁栄がある。歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた国の未来を切りひらく」と式辞を述べた。
(北海道新聞)
68回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
2007年の第1次政権以来、2回目の参列となった安倍晋三首相は式辞で「世界の恒久平和に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう全力を尽くす」と述べた。
1994年の村山富市首相の式辞以降、歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害と反省に関しては明言しなかった。
(日本経済新聞)
安倍晋三首相は15日、政府主催の全国戦没者追悼式の式辞で、歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について明言しなかった。「不戦の誓い」の文言も今回はなかった。
1994年の村山富市首相以降、自民党政権、民主党政権を通じて歴代首相は式辞で、アジアへの加害と反省に触れてきた。安倍首相の式辞は2007年の第1次政権以来、2回目。07年には「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として、「深い反省」を表明していた。
また今年の式辞で安倍首相は「世界の恒久平和に貢献する」と言及したものの、例年の式辞にあり、07年に安倍首相も用いていた「不戦の誓い」との表現はなかった。
2011年の東日本大震災以後の式辞で、当時首相だった民主党の菅直人氏や野田佳彦氏は震災からの復興の決意を表明したが、安倍首相は触れなかった。
【感想】
終戦記念日とは、太平洋戦争で亡くなった日本人の方々はもとより、アジア全体で亡くなった方々に対しても哀悼の意を表し、二度と同じような過ちを犯さない事を誓う日だと思います。
本日の全国戦没者追悼式で首相から「アジア諸国に対する加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉はなかった」ばかりか、「2007年に安倍首相も用いていた【不戦の誓い】の文言も今回はなかった」とは...
2007年には安倍さんも「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として「深い反省」を表明していたのに...
この6年間でどうしてこんなに変わってしまったんだ!?
読売新聞だけは言及しなかったね。「政府御用立新聞」だから!?
私は以下の毎日新聞の社説を支持します。
社説:8・15を考える 積み重ねた歴史の重さ
第一次大戦を描くバーバラ・W・タックマンの「八月の砲声」に、次のような一節がある。
「人間はなんの希望ももたずに、これほど大規模で苦痛に満ちた戦争に耐えられるものではない。
希望−それは戦争は極悪非道であるがゆえにふたたび起こるはずはないとする期待、また、なんとか結着を見るまで戦い抜けば、より秩序ある世の中の基礎が築かれるという希望である」(山室まりや訳、筑摩書房・ちくま学芸文庫)
「希望」は「幻滅」に変わり、第二次大戦が起きる。平和を壊すのはたやすい。保つには過去の歴史に学び、政治リーダーが大局的な判断力を持つことが必要だ。
◇希望を幻滅に変えるな
日中戦争と太平洋戦争の死者は日本人で310万、アジアで2000万以上とされる。戦争は政治の延長だとか、戦いは人間の本性だという声があるが、戦争は非人間的な残虐行為にほかならない。
あのような愚行を再び犯さないこと。それが、平和への希望を託して死んでいった死者たちへの、私たちの世代の義務だろう。
戦後、私たちは平和の果実を食べてきた。だがいま、その基盤が崩れる不安が漂っている。
直接の原因は、中国、韓国との絶え間ない摩擦である。
中韓両国の政府や政治家が歴史や領土をめぐる問題で反日ナショナリズムを過度にあおれば、日本人の国民感情を刺激する。両国には、その抑制を強く求めたい。
一方、私たちの側にも歴史認識のゆらぎが生じている。
象徴的なのが、中国への侵略についての議論であろう。
大平正芳首相のブレーンだった故猪木正道元防衛大学校長は「軍国日本は、一九三一年から中国への露骨な侵略を開始した」「中国への侵略行為が国際社会のきびしい非難にさらされた背景には、戦争、平和、侵略などに関する人類の価値観がはっきり転換したという重大な変化があった」(「軍国日本の興亡」)と書いた。こうした認識が、穏健保守の標準的な態度だった。
第1次安倍政権下で始まり、3年前にまとまった日中歴史共同研究の報告書も、「日本軍の侵略」という言葉を使っている。そして日本は既に、戦後50年の村山談話と戦後60年の小泉談話で、2度にわたって「侵略と植民地支配」への反省と謝罪を世界に表明している。
それが第2次安倍政権になって、侵略を明確に認めようとしないかのような発言が政治家から出てきた。さらには村山談話の見直し論が語られたりする。A級戦犯をまつる靖国神社への首相参拝の是非も、再び国論を二分させている。
背景には、戦争責任や戦後処理をあいまいにしたまま、新しい世代が政治の主流を占めるようになったことも影響しているだろう。先の参院選の当選者の平均年齢は52.4歳。70代以上はわずか7人(5.8%)である。58歳の安倍晋三首相をはじめ、戦争を知る政治家は、いまやほとんどいなくなった。
だが、戦後70年近くたっても過去の総括が定まらず、歴史の評価が政権によって左右されるような国は、健全だとはいえない。
◇村山談話は外交資産だ
村山談話は、中韓だけでなく日本が占領したアジア全体を対象にしたものだ。独善的なナショナリズムを排し、国際協調を促進するという未来志向の誓いも盛り込んでいる。これは、世界からの信頼をつなぎとめる外交資産である。見直せば、東南アジアなど日本に好意的な国々の支持まで失いかねない。
安倍首相は2年後の戦後70年に新たな談話を出すというが、侵略と植民地支配という言葉を消すようなら無用な誤解を招く。3度目の談話を考えるよりも、過去の談話を変えないことが大切だろう。
靖国神社の首相参拝も、戦争の総括にかかわる問題だ。
敗戦国の日本は、戦争責任者の責任追及と処罰を戦勝国による東京裁判にゆだねた。その象徴がA級戦犯だ。そして東京裁判を受諾した1952年発効のサンフランシスコ講和条約は、尖閣と竹島の領有権主張の根拠にもなっている。
私たちは靖国神社や領土の問題を考える時、内向きの論理ではなく、そうした世界史的、客観的な視点で判断する必要がある。
最近、韓国で日韓合意に反する賠償判決が相次いだ。中国は尖閣付近の領海侵犯を繰り返す。歴史と外交をからめ、過去の積み重ねを一方的に変えようとする動きだ。だからこそ日本は、歴史の事実と解釈をゆるがせにしない姿勢を維持し、相手に歴史カードを使わせない賢明さを持たなければならない。
安倍首相が目指す集団的自衛権の解釈変更の問題なども、日本が過去を謙虚に受けとめる姿勢を明確に示してこそ、内外の疑念を招かず論議できるのではないか。
あの戦争が終わり、68年目の暑い夏がめぐってきた。私たちは敗戦と引き換えに平和と繁栄を手にし、戦後の国際秩序を受け入れた。8・15はその出発点だった。
「毎日新聞 2013年08月15日 02時30分」
68回目の終戦の日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
安倍晋三首相は約310万人の戦没者を悼み、「世界の恒久平和に能(あた)うる限り貢献」する決意を述べた。
一方、歴代首相が踏襲してきたアジア諸国に対する加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉はなかった。
(毎日新聞)
68回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下や遺族ら6091人が参列した。
安倍晋三首相は式辞で、歴代首相が言及してきたアジア諸国の戦争犠牲者に対する加害責任に明確には触れず、「歴史に謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を胸に刻みつつ国の未来を切り拓(ひら)く」と述べた。
(読売新聞)
68回目となる終戦記念日を迎えた15日、政府主催の「全国戦没者追悼式」が、天皇、皇后両陛下をお迎えして、東京都千代田区の日本武道館で正午前から開かれた。
式では、天皇、皇后両陛下をお迎えした後、国歌を斉唱。安倍首相が、「貴い命をささげられた、あなた方の犠牲の上に、私たちが享受する平和と、繁栄がある。歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた国の未来を切りひらく」と式辞を述べた。
(北海道新聞)
68回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
2007年の第1次政権以来、2回目の参列となった安倍晋三首相は式辞で「世界の恒久平和に貢献し、万人が心豊かに暮らせる世を実現するよう全力を尽くす」と述べた。
1994年の村山富市首相の式辞以降、歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害と反省に関しては明言しなかった。
(日本経済新聞)
安倍晋三首相は15日、政府主催の全国戦没者追悼式の式辞で、歴代首相が表明してきたアジア諸国への加害責任の反省について明言しなかった。「不戦の誓い」の文言も今回はなかった。
1994年の村山富市首相以降、自民党政権、民主党政権を通じて歴代首相は式辞で、アジアへの加害と反省に触れてきた。安倍首相の式辞は2007年の第1次政権以来、2回目。07年には「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として、「深い反省」を表明していた。
また今年の式辞で安倍首相は「世界の恒久平和に貢献する」と言及したものの、例年の式辞にあり、07年に安倍首相も用いていた「不戦の誓い」との表現はなかった。
2011年の東日本大震災以後の式辞で、当時首相だった民主党の菅直人氏や野田佳彦氏は震災からの復興の決意を表明したが、安倍首相は触れなかった。
【感想】
終戦記念日とは、太平洋戦争で亡くなった日本人の方々はもとより、アジア全体で亡くなった方々に対しても哀悼の意を表し、二度と同じような過ちを犯さない事を誓う日だと思います。
本日の全国戦没者追悼式で首相から「アジア諸国に対する加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉はなかった」ばかりか、「2007年に安倍首相も用いていた【不戦の誓い】の文言も今回はなかった」とは...
2007年には安倍さんも「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として「深い反省」を表明していたのに...
この6年間でどうしてこんなに変わってしまったんだ!?
読売新聞だけは言及しなかったね。「政府御用立新聞」だから!?
私は以下の毎日新聞の社説を支持します。
社説:8・15を考える 積み重ねた歴史の重さ
第一次大戦を描くバーバラ・W・タックマンの「八月の砲声」に、次のような一節がある。
「人間はなんの希望ももたずに、これほど大規模で苦痛に満ちた戦争に耐えられるものではない。
希望−それは戦争は極悪非道であるがゆえにふたたび起こるはずはないとする期待、また、なんとか結着を見るまで戦い抜けば、より秩序ある世の中の基礎が築かれるという希望である」(山室まりや訳、筑摩書房・ちくま学芸文庫)
「希望」は「幻滅」に変わり、第二次大戦が起きる。平和を壊すのはたやすい。保つには過去の歴史に学び、政治リーダーが大局的な判断力を持つことが必要だ。
◇希望を幻滅に変えるな
日中戦争と太平洋戦争の死者は日本人で310万、アジアで2000万以上とされる。戦争は政治の延長だとか、戦いは人間の本性だという声があるが、戦争は非人間的な残虐行為にほかならない。
あのような愚行を再び犯さないこと。それが、平和への希望を託して死んでいった死者たちへの、私たちの世代の義務だろう。
戦後、私たちは平和の果実を食べてきた。だがいま、その基盤が崩れる不安が漂っている。
直接の原因は、中国、韓国との絶え間ない摩擦である。
中韓両国の政府や政治家が歴史や領土をめぐる問題で反日ナショナリズムを過度にあおれば、日本人の国民感情を刺激する。両国には、その抑制を強く求めたい。
一方、私たちの側にも歴史認識のゆらぎが生じている。
象徴的なのが、中国への侵略についての議論であろう。
大平正芳首相のブレーンだった故猪木正道元防衛大学校長は「軍国日本は、一九三一年から中国への露骨な侵略を開始した」「中国への侵略行為が国際社会のきびしい非難にさらされた背景には、戦争、平和、侵略などに関する人類の価値観がはっきり転換したという重大な変化があった」(「軍国日本の興亡」)と書いた。こうした認識が、穏健保守の標準的な態度だった。
第1次安倍政権下で始まり、3年前にまとまった日中歴史共同研究の報告書も、「日本軍の侵略」という言葉を使っている。そして日本は既に、戦後50年の村山談話と戦後60年の小泉談話で、2度にわたって「侵略と植民地支配」への反省と謝罪を世界に表明している。
それが第2次安倍政権になって、侵略を明確に認めようとしないかのような発言が政治家から出てきた。さらには村山談話の見直し論が語られたりする。A級戦犯をまつる靖国神社への首相参拝の是非も、再び国論を二分させている。
背景には、戦争責任や戦後処理をあいまいにしたまま、新しい世代が政治の主流を占めるようになったことも影響しているだろう。先の参院選の当選者の平均年齢は52.4歳。70代以上はわずか7人(5.8%)である。58歳の安倍晋三首相をはじめ、戦争を知る政治家は、いまやほとんどいなくなった。
だが、戦後70年近くたっても過去の総括が定まらず、歴史の評価が政権によって左右されるような国は、健全だとはいえない。
◇村山談話は外交資産だ
村山談話は、中韓だけでなく日本が占領したアジア全体を対象にしたものだ。独善的なナショナリズムを排し、国際協調を促進するという未来志向の誓いも盛り込んでいる。これは、世界からの信頼をつなぎとめる外交資産である。見直せば、東南アジアなど日本に好意的な国々の支持まで失いかねない。
安倍首相は2年後の戦後70年に新たな談話を出すというが、侵略と植民地支配という言葉を消すようなら無用な誤解を招く。3度目の談話を考えるよりも、過去の談話を変えないことが大切だろう。
靖国神社の首相参拝も、戦争の総括にかかわる問題だ。
敗戦国の日本は、戦争責任者の責任追及と処罰を戦勝国による東京裁判にゆだねた。その象徴がA級戦犯だ。そして東京裁判を受諾した1952年発効のサンフランシスコ講和条約は、尖閣と竹島の領有権主張の根拠にもなっている。
私たちは靖国神社や領土の問題を考える時、内向きの論理ではなく、そうした世界史的、客観的な視点で判断する必要がある。
最近、韓国で日韓合意に反する賠償判決が相次いだ。中国は尖閣付近の領海侵犯を繰り返す。歴史と外交をからめ、過去の積み重ねを一方的に変えようとする動きだ。だからこそ日本は、歴史の事実と解釈をゆるがせにしない姿勢を維持し、相手に歴史カードを使わせない賢明さを持たなければならない。
安倍首相が目指す集団的自衛権の解釈変更の問題なども、日本が過去を謙虚に受けとめる姿勢を明確に示してこそ、内外の疑念を招かず論議できるのではないか。
あの戦争が終わり、68年目の暑い夏がめぐってきた。私たちは敗戦と引き換えに平和と繁栄を手にし、戦後の国際秩序を受け入れた。8・15はその出発点だった。
「毎日新聞 2013年08月15日 02時30分」