先ほど紹介しました「花よ」の詩ですが、コメントくださる方が、
「花よ」の詩が入った詩集が欲しいとご注文いただき、美術館にある全ての詩集を探したのですが、無いのです。
「申し訳ございません。」
と、あきらめかけた時、ふと手にした冊子の中で、存在を教えてくれました!!
鳥肌がたちました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
メールで送ってくださった詩、その通りの詩が掲載されている!!
「須永博士 ひとりぼっちの愛の詩より」
と書かれている!!
あるんだ!
と、もう一度詩集を見てみると、3集だけが在庫が無かったのでした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
最後の望みで、木魂館に並んでいる中にあるかも![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
と、行ってみたら、3集があり、中を開くと、
「あったぁ~~~!!」
ひとりで大感激してしまいました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_pink.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_pink.gif)
早速、お客様に連絡して、美術館に在庫が無かったため、出版社さんから直接お送りすることができたのでした。
その、教えてくれた冊子は、平成14年、35歳という若さでこの世を旅立った、福岡県で教師をされていた方の、追悼集です。
学級通信などで、いつも須永博士の詩を使用してくださっていたそうです。
奥様と、須永博士作品館へ何度も来たことがあり、
「幸せな、幸せな時間を過ごしていました。」
と、奥様が教えてくださいました。
この冊子
を読んでも、本当に素晴らしい先生だったことが分かります。
同僚、教え子の皆さんからの、心からの追悼の言葉が書かれてあり、
「こんな先生に、出逢えた人は幸せだなぁ・・。」
と、私の机にいつもおいてあります。
でも、いつも見ているわけではなく、あのタイミングでなぜ手に取ったのかも自分でも分からないけど、きっと先生が教えてくれようとしていたんだなぁ・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_zzz.gif)
。
本当にありがとうございます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
お礼が天国に届くといいな
。
2007年、先生の奥様、お子さん達が初めて須永博士のサイン会のときに来てくださり、
書いた詩をご紹介します。
「男をやりとげた
人間をやりとげた
教師をやりとげた
もちろん悔いはある
やりたいこともある
しかし これも人生の運命だ
後はたのむ
俺の分まで
力出しきって生きてくれ
俺の分まで
人生幸せになってください」
この他、奥様や、息子さん、娘さんへの詩も書き、
須永もそれからも、陰ながら応援しています。
2ヵ月後に届いたお手紙には、
「子供たちは、あの日に書いていただいた詩を毎日読み上げ学校へ行きます。
“やれる やれる 絶対やれる”そうつぶやきながらがんばっています。」
と書かれてありました。
お子さん達は水泳を頑張っていて、夏休みには阿蘇へ合宿にも来ていたり、奥様もその時に須永博士美術館へ立ち寄ってくださっていました。
そんな中の出来事で、このことはお客様にも話していませんが
、ひとり感動していた私でした
。
「花よ」の詩が入った詩集が欲しいとご注文いただき、美術館にある全ての詩集を探したのですが、無いのです。
「申し訳ございません。」
と、あきらめかけた時、ふと手にした冊子の中で、存在を教えてくれました!!
鳥肌がたちました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
メールで送ってくださった詩、その通りの詩が掲載されている!!
「須永博士 ひとりぼっちの愛の詩より」
と書かれている!!
あるんだ!
と、もう一度詩集を見てみると、3集だけが在庫が無かったのでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
最後の望みで、木魂館に並んでいる中にあるかも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
と、行ってみたら、3集があり、中を開くと、
「あったぁ~~~!!」
ひとりで大感激してしまいました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_pink.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_pink.gif)
早速、お客様に連絡して、美術館に在庫が無かったため、出版社さんから直接お送りすることができたのでした。
その、教えてくれた冊子は、平成14年、35歳という若さでこの世を旅立った、福岡県で教師をされていた方の、追悼集です。
学級通信などで、いつも須永博士の詩を使用してくださっていたそうです。
奥様と、須永博士作品館へ何度も来たことがあり、
「幸せな、幸せな時間を過ごしていました。」
と、奥様が教えてくださいました。
この冊子
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
同僚、教え子の皆さんからの、心からの追悼の言葉が書かれてあり、
「こんな先生に、出逢えた人は幸せだなぁ・・。」
と、私の机にいつもおいてあります。
でも、いつも見ているわけではなく、あのタイミングでなぜ手に取ったのかも自分でも分からないけど、きっと先生が教えてくれようとしていたんだなぁ・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_zzz.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
本当にありがとうございます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
お礼が天国に届くといいな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_zzz.gif)
2007年、先生の奥様、お子さん達が初めて須永博士のサイン会のときに来てくださり、
書いた詩をご紹介します。
「男をやりとげた
人間をやりとげた
教師をやりとげた
もちろん悔いはある
やりたいこともある
しかし これも人生の運命だ
後はたのむ
俺の分まで
力出しきって生きてくれ
俺の分まで
人生幸せになってください」
この他、奥様や、息子さん、娘さんへの詩も書き、
須永もそれからも、陰ながら応援しています。
2ヵ月後に届いたお手紙には、
「子供たちは、あの日に書いていただいた詩を毎日読み上げ学校へ行きます。
“やれる やれる 絶対やれる”そうつぶやきながらがんばっています。」
と書かれてありました。
お子さん達は水泳を頑張っていて、夏休みには阿蘇へ合宿にも来ていたり、奥様もその時に須永博士美術館へ立ち寄ってくださっていました。
そんな中の出来事で、このことはお客様にも話していませんが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_nika.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hikari_pink.gif)