明日のために

2020-06-29 23:16:00 | つぶやき
身体が先か気持ちが先か

わからないが、疲れてしまった。

こんなときは、人と話さない方がいい。

他人の気持ちまで、暗くしないために

静かに、何も考えず眠ろう。

明日のために。












大丈夫です

2020-06-27 17:50:00 | たわごと
夕食の買い出しに行って、
今夜はあかうしのステーキにしました。

帰りぎわに、若い女性に呼び止められ
宗教ものらしいパンフレットを渡されそうになりました。

「これを読んで下さい」
「大丈夫です」
「大丈夫でないです」と不満そうでした。

「大丈夫です」は若い人の言葉と考えていましたが、私も使うことにしました。

それで良いか分かりませんけどネ

旅に出る時ほほえみを

2020-06-27 16:00:00 | 本と雑誌
朝から読み始めた
「旅に出る時ほほえみを」は
詩情のあるタイトルですが
SF小説で、現代のおとぎ話と
紹介されていました。

人間が怪獣を作った。合金の骨格に緑色の人工血液、生肉を動力源とする怪獣17P。

文中、とある裁判の場面で
旅に出るとき、ほほえみを・・・・
怪獣がうたいだす。、
遠くから聞こえてくる金属的な声は、やはりいくぶん、おもちゃのように、鈍く、騒音をともなってきこえてきた。その振動音は、鉄がなりひびくというより、金属箔がさらさらと乾いた音をたてているみたいだった。



*著者は、ロシアのナターリャ・ソコローワ(1916-2002)

西瓜と白いトウモロコシは
小説とは関わりはありません。
読み終えての午後のおやつでした。







幸せの本質は、「何もない日常」

2020-06-25 22:12:00 | たわごと
小林正観の『ありがとうの魔法」68章の中の65章に
「何もない日常」こそ幸せの本質。
それに気づかせてくれる「贈り物=災難」の記述がある。

いま、ちまたで合唱されている「新しい日常」は感染を予防するための作法あって、目指す姿ではなく、また、のっかかってデジタル進化の社会だというのは
何か混同しているように感じる。
本来日常とは、生活の心のあり様であって「新しい日常」に惑わされている気がする。
小林正観がコロナの社会に生きておればなんと言うか知りたいと思った。