気の向くままに

山、花、人生を讃える

春の山で

2009年04月15日 | 人生
4月に入って晴天が続き、退職後しばらくは自分へのご褒美として、思う存分、山を楽しませてもらうつもりでいましたが、おかげで気候よし、季節良しで、思いっきり春の山を楽しませてもらっています。

雑木林の中のなんと明るくのどかなことでしょう。
もろもろの鳥は囀り、春の草花が、そして木々の花がわたしを迎えてくれる。
気温が高いせいで、4月の山というのに日差しが暖かくて本当に匂うような山の春に、否が応でも、うれしくなってきます。

家内も2回に一度ぐらいのペースで付き合ってくれるのですが、一人で行く時は、自分の思い通りに行動できるし、同伴の時は、喜びあえる相手がいてこれまた楽しいものです。

谷口雅春先生の「人間死んでも死なぬ」という本の中に、先だった夫から残された奥さんへの通信でしたか記憶は定かでありませんが、ともかく、生前二人であちらこちらよく歩いた思い出がとても美しく語られている場面がありました。わたしにはそれが深い印象となって残っていて、山を歩きながら、その印象がよみがえってくることがあり、そんな時には、自分が思っている以上に大切な時を過ごしているような気がしてきます。

小さな花をしゃがんで写真に撮るのは、手ぶれを起こしやすいし、ピントも合わせにくいので失敗のないように何枚も撮りまくるのですが、そんな時は完全に時間など忘れてしまっていて、ふと気付いたときには、時間なき世界に入っていたような気がして、一期一会の、なんだかすごい大切な時間だったような気がします。

先日、やはり夢中になって寝そべって花の写真を撮っていたとき、犬のような動くものがふと視界に入り、そちらへ目をやると、数メートル先を狸がとことこと登山道を横切り、そのまま斜面を下って行きました。
山中でこんな近くにタヌキを見るのは初めてのことで、「袖触れ合うもタヌキの縁」、まさに一期一会のうれしい瞬間でした。

若い頃は二人で散歩していると、近所の人が「まあ、仲がいいこと」などと、冷やかす人もありましたが、最近は夫婦でウォーキング楽しむ方も多く、微笑ましくていいですよね。
道端の花やのどかな風景を楽しみながらの散歩は、身近な中にも新しい発見もあり、本当にいいものだと思います。

勝海舟は回顧談の中で、平時によく市中を歩きまわり、それが楽しかったこと。そして、どこに何があるか市中の様子もよくわかって、いざ官軍を江戸へ迎え撃つという時、そのことが作戦計画に非常に役に立ったということを述べていました。(無血開城となって、喜ばしくもその作戦は使わずに済みましたが)

日本歴代のノーベル賞受賞者も口をそろえて、自然に接することを推薦しているのですが、たとえ短時間でも、忙しい日常を離れて自然に目をやるというのはとても素晴らしいことではないでしょうか。
ふと、立ち止まって我に返る、そんなところがありますよね。ありがとうございます。


○帽子がはらりと落ちる時、風があなたの顔を吹きすぎるとき、赤ん坊が初めて鳴き声を上げるとき、素晴らしい夕日が最後の光を投げかけるとき、そして、素晴らしい人生の最後の息をひきとる時、わたしは常に、時の終わりまで、あなた方とともにいる・・・・。
さあ、行きなさい。・・・
あなたの、今という一瞬一瞬を、あなたを通じて神が現れるという素晴らしい歓喜で満たしなさい。
                               「神との対話2」より


≪写真:イワカガミ≫
コメント (5)
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