2月だったかに、「ジェネラル・ルージュの凱旋」という映画を見ました。
これは救急医療現場の問題点を取り上げた社会派映画で面白く見応えのあるものでしたが、主題とは離れた別のところで非常に感動させられたシーンがありました。
それはどんなことかと言うと、どこかで大惨事が起こり、ある病院の救急センターに救急車から受け入れ可能かどうかの連絡が入るのですが、堺雅人演ずるセンター長は受け入れ可能である返答をします。そして、惨事にあった救急患者が運ばれてきます。次から次へと連絡が入り、救急患者が次々に運ばれてきます。救急センターのスタッフの一人は、「これ以上は無理だ。やめてくれっ!」と叫ぶのですが、センター長は構わずに次から次へと受け入れ、最後には、電話応対者に向かって「全部引き受けろ!」と号令します。
話は、個人的な小さなものになりますが、
わたしがはじめて新米機関士として乗船して行った時、担当機器の一つに乗組員の食料となる肉や野菜を保冷するための冷凍機がありました。それで、まず注意されたのが、「不調になったら、その冷凍機のそばで寝るぐらいでないとだめだぞ」と言われました。乱暴なようですが、これがその頃の常識で、実際に不調になれば、いろいろ調整したりして寝ずに番をしていました。
また、車で言うターボチャージャーという機器がトラブルを起こした時は、機関部総員で連続2日間の徹夜で修理したことがありましたが、海上ですから、誰も応援に来てくれるわけでもなく、自己完結しなければならないのだから、過重労働などと文句を言うものはなく、酒盛りをした時には皆、満足感が漂っていました。
その後、フェリーに職場を変わったのですが、船が新しくなるにつれて近代化され、乗組員の数は減り、それに連れて時間と人手を要する仕事は陸上業者に頼まざるを得なくなり、だんだんにプロを志向することができにくい環境になっていきました。
プロか?それとも歯車か?
かけに出るか、安全策か?
組織という枠の中では、多くの現場で、このような命題を抱えているのかもしれませんね。
再び、映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」ですが、
「これ以上は無理だ、やめてくれ!」と、スタッフの一人が叫ぶ。
その通り、誰が見ても無理だ。
しかし、救急医療センター長はかまわずに受け入れていく。
最後は「全部引き受けろ」と号令する。
気違いにならないとできないことですね。
でも、その気違い的行為に、本当に感動させられました。
しびれるような感動の中で、人は「気違いになって飛び越えたい!」という欲求が、深いところで渦巻いているのかなと思いました。
≪写真:芽吹き前の雑木林≫
これは救急医療現場の問題点を取り上げた社会派映画で面白く見応えのあるものでしたが、主題とは離れた別のところで非常に感動させられたシーンがありました。
それはどんなことかと言うと、どこかで大惨事が起こり、ある病院の救急センターに救急車から受け入れ可能かどうかの連絡が入るのですが、堺雅人演ずるセンター長は受け入れ可能である返答をします。そして、惨事にあった救急患者が運ばれてきます。次から次へと連絡が入り、救急患者が次々に運ばれてきます。救急センターのスタッフの一人は、「これ以上は無理だ。やめてくれっ!」と叫ぶのですが、センター長は構わずに次から次へと受け入れ、最後には、電話応対者に向かって「全部引き受けろ!」と号令します。
話は、個人的な小さなものになりますが、
わたしがはじめて新米機関士として乗船して行った時、担当機器の一つに乗組員の食料となる肉や野菜を保冷するための冷凍機がありました。それで、まず注意されたのが、「不調になったら、その冷凍機のそばで寝るぐらいでないとだめだぞ」と言われました。乱暴なようですが、これがその頃の常識で、実際に不調になれば、いろいろ調整したりして寝ずに番をしていました。
また、車で言うターボチャージャーという機器がトラブルを起こした時は、機関部総員で連続2日間の徹夜で修理したことがありましたが、海上ですから、誰も応援に来てくれるわけでもなく、自己完結しなければならないのだから、過重労働などと文句を言うものはなく、酒盛りをした時には皆、満足感が漂っていました。
その後、フェリーに職場を変わったのですが、船が新しくなるにつれて近代化され、乗組員の数は減り、それに連れて時間と人手を要する仕事は陸上業者に頼まざるを得なくなり、だんだんにプロを志向することができにくい環境になっていきました。
プロか?それとも歯車か?
かけに出るか、安全策か?
組織という枠の中では、多くの現場で、このような命題を抱えているのかもしれませんね。
再び、映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」ですが、
「これ以上は無理だ、やめてくれ!」と、スタッフの一人が叫ぶ。
その通り、誰が見ても無理だ。
しかし、救急医療センター長はかまわずに受け入れていく。
最後は「全部引き受けろ」と号令する。
気違いにならないとできないことですね。
でも、その気違い的行為に、本当に感動させられました。
しびれるような感動の中で、人は「気違いになって飛び越えたい!」という欲求が、深いところで渦巻いているのかなと思いました。
≪写真:芽吹き前の雑木林≫