気の向くままに

山、花、人生を讃える

「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」第七番

2010年07月09日 | 映画
先日のしじみさんのブログを読んで、映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第七番」が始まっているのを知りました。

この「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」という映画は、多くの映画館から「こんな映画では観客が集まらない」というので、上映を断られ、やむなく有志による人たちによって自主上映されている映画です。

しかし、わたしも第一番から四番までは見ていましたが、とても良い映画で、今回しじみさんのブログですでに「第七番」が上映され始めているのを知って、是非見たいと思い、さっそくネットで近くでの上映日を調べ、今日見に行ってきました。

いやあ、良かった!
どう良かったかは言わないことにします。(実は言えないのですが)

画面は通常の映画の半分ほどの小さなサイズながら、映像も内容もとても素晴らしく、是非、お薦めしたい映画です。
今日の「第七番」も良かったのは勿論ですが、はじめての方には「第一番」「第二番」もお薦めです。
興味をもたれた方はネットでお近くでの上映場所や上映日を検索してみてください。

そして今日は映画の後で思いがけないサプライズがありました。
監督の滝村 仁(70歳)さんの1時間の講演もあり、第七番のエピソードなどを聞くことができました。
監督には「ガイアのささやき」という本がありますが、これも素晴らしいものです。

終了後、パンフレットを買って滝村さんにサインと握手をしてもらいました。
サインは「魂の友へ」と書かれ、日付と監督の名前が書かれていました。
家内に、「ミーハーだね」と笑われました。ははは。


以下は、パンフレットの滝村監督の言葉より抜粋したものです。


「神社は日本人にとって、原始的直観を新たにする霊的元気回復の場である」
日本の神社に関してこれほど明快・的確に表現した言葉を他に知りません。彼が(註:ジョセフ・メイスンのこと)外国人であり、ジャーナリストでありながら、ケルトの魂を内に秘めていたからこそ言い得た珠玉の言葉である、と言えるでしょう。

「第一番」のエンヤの章で触れたように、ケルトの自然観と日本神道の自然観の間には、深く通じるものがあるのです。
「原始的直観を新たにする」とか、「霊的元気回復の場である」とか言うメイソンの言葉は、まさに私が「第七番」を通して、観客おひとり、おひとりの中に甦ってほしい、と願っていることでした。そこで初めて「第七番」の中に「霊性の原風景」という章を設け、日本神道の源流を描いてみたい、という発想が生まれたのです。

しかし、この発想はもともと矛盾に満ちています。神道には「神ながらこと上げせぬ」という考え方があります。その意味は、神道の真髄は言葉で解説したり、説明したりできるものではなく、ただひたすら、気配によって感じ取るものである、というような意味です。すなわちメイソンの言う原始的直観が冴えわたって来たとき、自ずと感得されるのが神道の真髄なのです。それを、ドギュメンタリー映画という目に見える世界、耳に聞こえる世界で描こうとするのですから、初めから無理と言えば無理な話です。

しかし、振り返ってみると、映画「地球交響曲」は「第一番」の時から、目には見えないもの、耳には聞こえないものを描こうとしてきた映画でした。だからこそ逆に、わたしたちにとって最も生々しい存在、すなわち、今この地球に現実に生きている人の生き方を通して描こうとし続けてきたのです。
以下略。


今回は伊勢神宮の月次祭、他の神社の神事の様子なども収録されていて、「目に見えないもの、耳に聞こえないもの」が今まで以上に強く感じさせられるものでした。

そうそう、滝村さんは「こういう時代だからこそ、“生かされている”ということを思い出してほしいですね」と言っておられました。
コメント
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