それからもう一つ、これは今の話から数年後のことで、その頃にはわたしは本来の職場に戻っていました。その乗船中ですが、12月25日、クリスマスの日、部屋のテレビのスイッチを入れたら、『冬のソナタ』やっていたんですね。番組が終わってタイトルが出て、「あっ、これがあの話題になった『冬のソナタ』か」と知ったんですが、それが全20回のうちの第9回目でした。わたしは職場が船ですから、連続ドラマは見たことがないんですが、その時は何回目かの再放送で毎日2時間づつ連続放映するというので、年末でもあったし、それ以後楽しみにして見ていました。この後また再放送があった時、娘に録画してもらって結局全部見ましたが、私にとっては「お前は愛がどんなものかほとんど分かっていないようだから、これを見るがいい」と神さまに薦められたんじゃないかと思うほど教えられるところがありまして、そのうちの一つを聞いていただきたいと思います。
皆さん忙しい方ばかりで見ていないと思いますので、はじめに簡単に内容を紹介させてもらいますが、これは二人の男と一人の女の三角関係で、三角関係と言うとあまり良いイメージではないので使いたくないんですが、手っ取り早くいうとそういうことなんですね。で、一方の男は放つ愛、もう一方の男は縛る愛を演じ、「愛とは何か」を主題にしていたと思うんですね。
で、縛る愛を演じる男の方ですが、彼は失恋しかかっていて、始めのうちは「ああ、気の毒に」と思いながら見ていたんですが、失恋しているのがはっきりしてきても、いつまでも未練がましく彼女を放そうとしないもんですから、「この男は情けない奴だなあ、お前はもう失恋しているんだから、男らしくあきらめて、早く彼女を自由にしてやれ」と、そう思いながら見ていたんですね。
そうしたら、その瞬間に、自分もこの男と同じことをやっていたと気づいて、ビックリしたんですね。それはどういうことかといいますと、当時、私は生長の家の活動はほとんどしてなくて、一方、家内の方は相変わらず熱心で、やれ今日は誌友会、やれ白鳩会、講師会だとかいって、生長の家ばかりではないですが、とにかく出かけることが多くて、わたしは「お前は生長の家ばかり出かけすぎる」とかいって時折文句を言っていたんですね。つまり、私も家内を生長の家に取られているような気がして、テレビの男と同じように、文句を言っていたんですよ。それで、自分もこの男と同じことをやっていたと気がついてびっくりしたんですね。
それまで私は、生長の家は夫唱婦随だし、といってもそこまでは要求しませんけども、ともかく私にすれば、折角休暇で家に帰ってどこかに行楽に出かけたいと思っても、おちおち二人で出かけることもできんという訳で、わたしが不満に思うのも当たり前だと思っていたんですよ。
ところが、自分もテレビのこの男と同じことをやっていたと気がついた時に、手にバナナを握っていたつもりが、実はそれが蛇だったと気がついたように、慌ててその蛇を振り払うように「もう二度と家内を縛るようなことはすまい、これからは完全に好きにさせてやろう」と思ったんですね。そうしたら、その途端に、それまで経験したことのない、何とも言えない自由なひろびろとした気持ちになったんですね。わたしはこの時、他を縛れば自分が縛られるということがハッキリ分りました。そして、その良い気持ちに浸っている時に、「ああ、これが神様の愛か!」と、「一切縛ることのない、ただ愛するだけ」というような、そういう神さまの愛にふれた心地がしました。それで、ナポレオンじゃないですが、今まで自分の辞書には「愛」という文字がどこにもなかったなあということに気づかせてもらいました。
まあ、そういうことで『冬のソナタ』は女の人に人気でしたが、あれは女性より、むしろ男の人が見るといいんじゃないかというのがわたしの感想でした。つづく