わたしの父親は山野草を趣味にしていて、生前、「小さい花がかわいらしい」と、わたしに鉢植えの小さな花を見せてはよく話していた。その頃の私はまったく興味がなく、まさか自分が花が好きになるとは思いもしなかった。
ところが40代なって登山をするようになると、山に咲いている花を見るたび、「なんという花だろう?」と花の名前を知りたくなり、図鑑を買い、だんだん父と同じく、山の花が好きになっていった。ただ、好きになったとは言っても、育てることには関心がなく、ただ見るだけの好きである。
そして、仕事で乗船すると、港近くの野原に咲いている花を摘んだり、花がない時はスーパーで鉢植えの花を買って部屋に置いていた。小さな鉢植えがひとつあると、不思議なくらい部屋の雰囲気ががらりと変わるのだった。
曼殊沙華が終わると、今度はコスモスが日本の景色を彩ってくれる。一株のコスモスが風に揺れる姿も美しいが、一面に咲いているのもまた美しい。この花もまた日本人好みの花と言えるかもしれない。
花で思い出すのは韓国出身の呉 善花(オ・ソンファ)さん著『なぜ世界の人々は「日本の心」に惹かれるのか」という本に書かれていたことである。
幕末頃からいろいろな西洋人が日本に来ているが、彼らが一様に驚くことの一つが、日本人が無類の花好きである、ということらしい。
それによると、その頃に来たイギリスのフォーチュン(植物学者)は、見聞記で次のように書いているとのこと。
○日本人の国民性の著しい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしにしじゅう好きな花を一つ育てて、無上の楽しみにしている。
また、同じく幕末に来日したスイスのアンベール(スイスの時計業組合会長)は、次のように書いているとのこと。
○私はよく長崎や横浜の郊外を歩き回って、農村の人々に招かれ、その庭先に立ち寄って、庭に咲いている花を見せてもらったことがあった。そして、私がその花を気に入ったと見ると、彼らは、一番美しいところを切り取って束にし、私に勧めるのである。私がその代わりに金を出そうといくら努力しても無駄であった。彼らは金を受け取らなかったばかりか、私を家族のいる部屋に連れ込んで、お茶や米で作った饅頭(餅)をご馳走しない限り、私を放免しようとはしなかった。
そして、わたしに深く印象に残ったのは、先のアルベールの次の話である。
○日本人は美しい景色だけでなく、花も大好きなのだ。むっつりした顔つきの車夫が、がたの来ている人力車の梶棒をおろし、まるで小学生のように両手を拡げて丈の高い花叢(はなむら)へ駆け込んだとき、私はそれほど驚きもしなかった。熱狂の発作がいくらか静まると彼は、腕いっぱい、明るい黄色や白色のキク科の花や、オレンジ色の百合や、たくさんの美しい深紅の実のついた優美な枝を抱えて戻ってきて、それで彼の車を飾った。
と、紹介されていて、まさに粋な日焼けした車夫の顔が見えるようで、とても絵になる光景として強く印象に残ったことでした。
ちなみに、当時の世界で、花を見て喜び楽しむのはどこの国も上流階級の人たちで、このように下層階級の人まで花を楽しむのは、西洋人にとっても、また韓国出身の呉 善花(オ・ソンファ)さんにとっても、思い及ばないことだったそうです。
下の写真は、22日に撮影したものです。