mikoさんの「不殺傷菜食者」をここに載せるのは第2弾までにするつもりでしたが、第3弾を読んでいましたらこれまた素晴らしく、男女の違いはあれども、自分もこのように愛深く、やさしき人間になりたいと感動せずにはいられませんでした。それで、またアップさせてもらうことにしました。
以下は『不殺傷菜食者 3』です。(当時プリントアウトしていたものを、写経するような気持でワードに入力し、それをアップさせてもらっています。)。
「不殺傷菜食者 3」
私のささやかな願いの投稿に、様々な反応を下さり、大変嬉しく感謝しております。『不殺生』について少しでも、多くの方が思いを巡らすご縁になれば、この上ない私の喜びであります。ありがとうございます。今回、食に関する以外の『不殺生』について投稿させていただきます。
『不殺生』を決意したときから、肉食をしないということもさることながら、私は虫を殺さないということも心掛けています。『不殺生』を決意する以前の私は、アリや蚊などが自分の目に映ればすぐに、何も考えることなく反射的にぶちっと潰したり、パチンとやっつけたりしていました。それまでの私にとって、それらの生命は明らかに自分を害する殺すべき『敵』だったのです。生まれたときからそういったことを疑いもせず、それが当たり前で過ごしてきたのですから無理もありません。
それに振り返ってみると、自分自身が実際『不殺生』を実践するまで、ベジタリアンや人間にとって害虫であるはずの虫の命を守る行動などに対し、心の中で距離を置き、どこか冷めた目で見ていた私がいたように思います。正直、不殺生採食も害虫たちを殺さないことも、実際に始めるまでは「栄養面では大丈夫だろうか?」「蚊や蜂の攻撃やアリやクモの侵入を、ただ受け止めることなんて本当にできるだろうか?」こういった思いを含め、「億劫だな、面倒だな、不安だな」などと私は思っていました。
しかし。すべては繋がっているいのち・・・生命礼拝・生命尊重・・・その思いは強く、谷口雅春先生の『心と食物と人相と』の御本にも巡り会い、私は決意を後押しされ、『すべての命あるものとの調和』を心に描き、『生命礼拝・生命尊重』を実践しはじめました。
例えば、洗面台にいた蚊に向かっては「ここでの体験を堪能したら出ていってくださいね」と声をかけ、「私はあなたを殺しません。ですから、どうぞ私たちの血を吸う代わりに、この水を存分にお使いください」と心の中で伝えてみたり、台所のちょっと困った場所におられるアリなどの場合は、「すみませんね」と言いながら、ティッシュなどでやさしく包んで外に移動させたりしています。我が家は昔ながらの古家で、ありとあらゆる害虫の出る今まさにその季節なのです。
しかし、『生命の実相』(第2巻だったと思います)に載っていた「すべての生物その所を得て相侵さざるは神の道なり」という祈りの言葉を支えに、ひたすら実践に勤しんでいます。すると実践するたび、不思議とあれほど憎っくき『敵』だった虫たちのことを「一個の生命が今を一生懸命生きているんだなあ」と愛おしく思えている自分がいることに気づきました。それは、私にとって衝撃でした。そう思える自分の心が「いかに平和で穏やかな気持ちに満たされていることか!!」私にとって何とも言えない嬉しい嬉しい驚きでした。「やってみないとわからない」、それが私の学んだことの一つです。
『虫たちを殺さない』それを実践する私に、友人がこんな話をしてくれました。
知り合いのおじさんの家に行ったら、軒先に大きな蜂の巣があった。でも、その蜂の巣、足れ下がっている部分がなんだか変な具合。よく見ると、ボンドで止めてある。おばさんに聞くと、「そうなの~、あの人モノ好きで、蜂がかわいそうだって言って、わざわざ落っこちた蜂の巣を拾ってボンドで治してあげたのよ。まったく変わり者なんだから~」とのこと。しかも、蜂の巣を修繕したおじさんは、蜂たちにまったく刺されなかったそうだ。ちなみに、「なんであんなことをするのかね~」と蜂に敵意を持つおばさんは、特に何の刺激もしないのになぜだかよく蜂に刺されるらしい。
この話を聞いて、なんだかちょっと嬉しい気持ちになりました。変わり者と変人扱いされるほど、生命の大切さを愛深く実践されているのかもしれないなあ、と。それならいっそ、おバカになるべきかもしれませんね。
我が家には小さい庭があり、少しばかりの畑を作っていいます。見よう見まねで作り始めたばかりですが、葉ものは虫たちの食べ放だいとなっていて、ほどんど芯しか残っておらず、全滅状態です。その状態を見かねた父母たちは、良かれと思い虫たちを捕殺してくれていますが、今までさんざん殺されるものとして扱われてきた彼らに対し、せめてもの償いと思い、「好きなだけ召し上がって下さい」と、私自身は全く何もしません。残念ながら、これらの野菜が、今旬の食卓に上がることはないでしょうが、それはそれでいいと私は思っています。私もちょっとおバカと映るでしょうね。水撒きなどでブンブン近寄ってくる蜂や蚊たちには「私はあなたたちを害する気は全くありません」と心の中で伝え、先ほどの祈りの言葉を唱えながらやり過ごしています。
調和しようとする心は伝わるのか、以前のようにむやみやたらに刺されることが減りました。刺されたとしてもかゆみが後を引くことがほとんどありません。またどうしても殺してしまった場合には、その虫の魂に向かって「このようなことになるので、もうこの場所には来ないように(人間に近づかないように)と仲間たちに伝えてください」そう言って葬っています。
大好きな生長の家の皆さんにお願いです!どうぞ、一匹の虫から始めてみて下さい。虫たちに愛を現わすことを実践してみて下さい。おバカになって「すべての生物その所を得て相侵さざるは神の道なり」という祈りの言葉を唱え、憎っくき『敵』だった]虫たちを愛おしいと感じてみて下さい。そこにいるのは虫ではなく、『一個の生命』だったと気づくことでしょう。そこには、目に見える現象の垣根を越え、『一個の生命』をいとおしい、そう感じられる自分の心が必ずあるはずですから・・・。そして、そう思える自分の心が、【いかに平和で穏やかな気持ちに満たされることか!!】平和な調和した世界は、その心を持ってしか表せないことを、お一人でも多くの方が実感して下さることを願っています。
拙い自分の体験から、実感したことを思わず綴らせていただき大変恐縮です。読んでくださりありがとうございました。
以上で、mikoさんの『不殺生菜食者』は終わりです。
プリントアウトしていたものを、ワードで入力していると、ひしひしとその心持が伝わってきて、特に最後の「平和な調和した世界は、その心を持ってしか表せないことを、お一人でも多くの方が実感して下さることを願っています」には、感動せずにはいられませんでした。どこの誰かは知りませんが、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
ちなみに文中の「すべての生物その所を得て相侵さざるは神の道なり」は『生命の実相』第12巻、129ページにも出ていて、この祈りの言葉を書いて立札をしたところ、ネズミが来て食物をかじられる被害が、それ以来なくなったという話が出ています。(2巻は確認していません)
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