以下は、自分が「有難さに」目覚めたいと思って、谷口雅春先生の多くの著書から抜き書きしていたものです。ここに来ていただいた方にも見て頂ければと思い、紹介させてもらいます。読んでいただければ幸いです。
○朝々が常にその人にとって「新生」なのである。神は、「今」新生するとき、過去をもって責めたまうことはないのである。神が「今」を与え給うことを、神に対して感謝しようではありませんか? 過去に何があったであろうとも、それは既に過ぎ去ったのである。「今」は一切の過去を変貌させる力をもっているのである。「今」ここに自分の生命に神が在(まし)ますことを自覚したとき、それは自己の魂に燈をともされたのと同じことなのである。
○紛争や不調和が起こる原因の一番根底には「自己嫌悪」が横たわっていることが往々にしてあるのである。自分自身を嫌悪しているために、それが他の人に移入されて文句を言いたくなるのである。吾々はもっと度々神想観(瞑想のこと)を実修して自分自身を祝福し自分自身に感謝し、自分自身に和解しなければならない。
○感謝の念こそ、天地一切のものと和解する最善の魂のひびきであり、既に受けたものに対する最も素直なる応答であり、これからまさに来らんとして、“実相の世界”に既に準備されている善きものを“現象世界”に受像するための魂のひびきの同調であるのである。
○また実際叶えられた事柄も随分沢山あるではありませんか。顔を洗うのに水もあったし、腹がへっているのに食事もいただけたし、空気を吸いたいのに空気も与えられたし、着物を着たいのに着物も与えられたし、お茶を飲みたいのにお茶も与えられたし、すべてこれらの事は、あなたの願いが叶えられた事柄であって、それに感謝しないで、叶えられない方面ばかりを心に留めてそれに不平をいってはならないのです。与えられたもの、願いの叶ったものに、「私の願いを叶えて下さいまして、ありがとうございます」と感謝していれば、次の願いも叶えられる事になるのです。
○吾々人間は神の子であり、自由意志を与えられており、自己の運命を如何に決定するかの自由選択の権利と、この選択したものを実現するための道具とを与えられている。その道具というのはほかでもない。自己の「想念」と「言葉」と「行動」である。吾々がよき想念をつくり出そうと思うならば、現実の不幸や病気などに心を振向けていてはならないのである。まず神の方へ心を振向け、神のもちたまえる凡ゆる善き性質を思い浮かべ、それを讃嘆し、それに感謝する想念を起こすようにするがよいのである。
○既に求むるものを受けたりと云う信念から衷心からの熱情的な感謝をするならば、奇跡的にその求むるものを得ることができるものである。「実際に求むるものがまだ現実にあらわれて来ていないのに感謝できません」という人が往々にしてあるけれども、これは大変間違った考え方なのである。
先ず、既に与えられている無数の恵みについて感謝せよ。空気、日光、住宅、衣類、家族、食物、健康等既になくてはならぬ多くのものを与えられているのであって、其の事実に対して感謝せよ。
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