アインシュタインが5歳の時、父親がお土産にコンパス(方位磁石)を買ってきてくれた。そして、そのコンパスの針が、手で触れもしないのに勝手に動くのを見て、この世には目に見えない不思議な力があるのを感じ、神秘な感に打たれたとのこと。そして、そのことが後年物理学を志すきっかけになったのだそうです。
以前にもどこかで書いたと思いますが、私が生長の家の教えにふれる前、小・中学と仲のよかった同級生が、ある宗教に入っていて、その宗教の悪い噂は聞いてはいましたが、その同級生にどんな教えなのか聞きに行ったことがありました。そして、その後、別の日に幹部らしい人を交えて話を聞いたことがありました。どんな話だったかほとんど記憶はないのですが、相手の言ったことに対して「片手、片足がなくても、人間の値打ちには何の関係もない」と反論したことをよく覚えています。
たとえば、好きでたまらない恋人がいたとして、その恋人が顔にひどい火傷をし、顔が醜くなったとしても、それでもやっぱり気持ちが変わらないのが本当の恋愛だと、純情な青・少年年時代には多くがそう考えると思う。
しかし、「片手、片足がなくても人間の値打ちは変わらない」と反論した私も、「なぜ?」と聞かれたら、説明はできなかったし、「ほんとうの恋愛なら、たとえ火傷して顔が醜くなっても、好きな気持ちは一つも変わらない、それが本当の恋愛だ」と言う人も、「なぜ?」と聞かれて答えられる人はまずいないのではないかと思う。
その疑問は、生長の家の「人間は肉体ではない。ほんとうの人間は神の生命(いのち)である」という人間観になってはじめて「成るほど」と得心できるのだと思う。それは電灯が明るく輝くのは電灯自身が輝くのではなく、発電所から送られている眼に見えない電気が電灯の中を流れて輝いているのと同じで、その電気に相当するものこそが本当の人間であるというわけですね。
谷口雅春先生の『生命の実相』という本には、そのことが諄々と説かれていて、そして「神は本当にいたんだ!」という驚きとともに、神秘の感に打たれる。そして多くの人が、このような人間観、世界観があったのかと驚き、神秘の感に打たれ、もっと教えを理解したいと思って生長の家にやって来ます。
私はこのごろ、実際の自分ははなはだ不完全でありながらも、神想観で神と一体であることを念じ、また、日常生活の中でも、「完全円満な素晴らしい神と一体である、自分の内に神が生きている」と念じるとき、とてもありがたい気持ちにならせていただくことができ、「人間、神の子」の教えの有難さをしみじみ思います。
2月の練成会で、ある女性講師が講話の中でこんな体験談を聞かせてくれました。
彼女は4人兄弟で、彼女が一番上で18歳の時、1番下の子は3歳だった。そんな時、母親は子供たちを残して家出をしてしまった。彼女は「3歳の子をおいて家を出ていくなんて、どうしてそんなことができるんだ」と、母親を恨んだ。そして生長の家を知り、練成会に参加し、浄心行をするようになった。どうしても母を許せなかったが、浄心行で母に対する恨みを思いのたけ、書き連ねた。そして書き終わったとき、とてもすっきりした。そして彼女は講話の中で、こう言いました。
○母が生んでくれなかったら、私は今ここにいない。何をしてくれたからありがたい、これをしてくれたから有難いじゃないんです。産んでくれたそのことが有難いんです。
聞きながら、涙がこぼれそうになりましたよ。そして、「産んでくれたそのことが有難い」ということが、初めて私にも実感として伝わってきました。
世の中、A1か人工知能か知りませんが、そんなことに驚くより、もっと驚くべきことがたくさんあるのにと思います。もし、神がいること、そして、その神が自分の内に生きていること、しかもそれこそが本当の自分であるとしたら、人工知能どころではないだろうに、と思います。名人に勝つ人工知能などより、この彼女の話の方がよほど素敵で感動的な話ではないかと思います。
ちなみに彼女の母は今80歳を超え、○○に住み、舞妓や芸者さんたちの着物を縫う仕事をしていて、元気で、裕福に、そしてカラオケなどしながら楽しく生活しているとのこと。よかったですね。蛇足ですが、別に男ができて家を出たわけではないそうです。きっと何か事情があったのでしょうね。いずれにしても、すべては神の栄光顕われんがためですね。
○この何事にも絶対に必要な直覚力を養成するにはいかにすべきか。幼時より子供の「神秘がる心」を押し消さないようにすることだ。神秘なることを神秘として教えよ。深く考えれば実に神秘であるところの現象を、当たり前の茶飯事だとして、見逃してしまうような習慣をつけてはならぬ。人間を心臓というモーターで動く機械だと教えてはならぬ。草木をただの毛細管現象で生長する機械だと教えてはならぬ。神仏を偶像であると教えてはならぬ。あらゆる物にやどる生命の神秘を教えよ。神秘に驚異し、生命を崇敬し、その生命の神秘に一歩でも近づくことを名誉と思い、生命を合掌礼拝するように子供に教えよ。 (『生命の実相』第14巻 P161)
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