気の向くままに

山、花、人生を讃える

おう、ビューティフル

2018年03月19日 | 

ラッパスイセンが咲き出すと、庭がいっぺんに春が来たようになる。ゴッホの絵の黄色は激しく燃えるような印象を与えるが、この花の黄色はいかにも明るい。仏壇に挿してあるラッパスイセンは、お参りするたび、ニコニコと微笑みかけているようである。それで、はじめてこの花のアップを撮りたくなったが、なかなか微笑みかけているようには撮れない。

下の写真は「ヒメオドリコソウ」だが、こんな写真が撮れると嬉しいものだ。まさに「ワンダフル、ビューティフル」と言ったところ。

 

 

 

 ヒメオドリコソウ

 

  

○毎朝、顔を洗って「顔を洗った、ああ、ありがたい」と分かるのが悟りであります。空気を吸うた、ああ、ありがたいと感謝できるのが悟りであります。 

○われわれの心が麻痺していませんでしたら、いつも顔を洗って嬉しい、いつも空気を吸って嬉しい、いつもご飯を食べて嬉しい、というように、ありがたさは天地の間に満ちているのです。このあたりまえのことに天地の恵みを自覚してありがたいと分かるのが悟りであります。 

○物質を物質として観るかぎり本当のありがたさは湧いてこないのであります。化学方程式の世界であって、あるべきものがあるべきように動いているのですから、ありがたさは湧いてこないのです。ところが物質を見ても「物質は無い」と知り、そこに神仏の愛、兄弟の愛が現われているのであると知ると初めてありがたさが湧いてくるのであります。  『生命の実相』26巻  P5~6  

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2 コメント

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Unknown (スズキ)
2021-01-07 08:39:50
おはようございます。
ヒメオドリコソウ、道端にいくらでも生えているので気づきませんでしたが、
言われてみれば確かに高山植物の雰囲気がありますね。
昔は高級カメラでしか、花をこの様なアップで撮ることは出来なかったのに、
今はデジカメのお蔭でこのようなアップも容易になりました。

祈りについてですが、イエスキリストは
「汝ら、何ごとにても祈るとき、既にそれを受けたりと信ぜよ」と教えていますが、
生長の家でも、『神との対話』でも、これが本当の祈りだと教えています。
イエスキリストは、「汝らが祈る前に既に与えられている」とも教えています。

しかし、まだそのような段階に達しない人にとっては、
「神様何々をしてください」と祈る方が、
父と子の人格的交わりが感じられてよいということもあり、
それは信仰のレベルによることで、私はまだこちらの段階です。
ただ、このように祈る場合でも、最後には
「既にわが願いが聞かれましたことを感謝します。ありがとうございます」
と云うようなことを唱えて終わることにしています。

知ったかぶりのことを書きましたが、失礼があればお許しください。
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こんばんは (Imacoco)
2021-01-06 19:48:12
おう、ビューティフル👏
ヒメオドリコソウ、高山植物の雰囲気がありますねぇ。

今日「神との対話」をYouTubeで作業しながら聞きました。
「すでに成就したと思いで感謝していると実現する」
と言われていたような。
谷口先生が達成感という言葉で
言われていたのを思い出しました✨

トチノキの記事。
よろしければ、そのまま公開されてください。
すばらしい記事でした。
*これもオープンで(^^)
きっと神様のおみちびきでしょう。

曽野綾子さん、佐藤愛子さん、瀬戸内寂聴さん。
ズバズバおっしゃられても妙に納得できますね。
年の功でしょうか(笑)

ありがとうございました☘️
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