しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

超ー目が痒い

2013-03-09 00:42:20 | 日記
私はアレルギー持ちだけど花粉症では無いと思います。

それにしても金曜日の関東の空気の汚れの酷さったらwww

トラックを運転してても目が痒くて辛かったです。

原因は花粉でも無く放射能でもない、

中国の汚染された空気が流れ込んだせいでしょう。

花粉は自動車の排気ガスなどと結びついて悪さをするが

徹底した排ガス規制で効果はてきめんでしょう。

放射能なんて食べても排出すれば心配は無い。

問題は経済を優先して公害を垂れ流している中国からの

偏西風に乗ってやって来るPM2.5だろう。

原発アレルギーの連中が焦っている部分だよね。

福島はもう安全なんだよ。

放射能を恐れて東京から九州に移住したら

とんでもない災難に見舞われてしまった方には同情するよ(笑)


金曜日の産経新聞の一面。

南三陸町の避難所で撮影された小学生達の写真があった。

体育館でメッセージボードを持ち写真に写った表情には不安が感じとれる。

目の前で町のほとんどの建物が津波により破壊されて

通っている学校の体育館で避難生活を始めて数日後の事。

雪が舞う寒い時期に電気も水道も使えない体育館での

避難生活の中で子供たちも歯を食いしばって耐えたと想像する。

多分、その場所は志津川小学校だと思う。

5月8日、初めてのボランティアで行った場所だった。

被災者を他の場所に移動してもらい、学校を再開させるための

避難所の引越し作業をトラック持ち込みでの参加募集に応じたものだった。

家も家族も失い、命からがら助かった被災者は総てを失い

支援で貰った衣類が全財産と知り、打ちひしがれてしまった。

全国から馳せ参じたトラックボランティアの先頭2台で

引越し荷物は全部積み終えた。

残りの4台のトラックで物資を運んだ。

昼間なのに天井近くまで積み上げられた物資で教室の中は薄暗い。

陣頭指揮にあたっているのは校長先生でした。

そのへんの事はカテゴリーボランティアで詳しく書いてある。

移転先の避難所は志津川中学校の体育館だった。

床の上にダンボールをテープで固定するのも別働隊のボランティアだった。

政府は非常事態宣言を下すべき状況が目の前にあったのに

原発、原発、原発、話題はそればかりwww

優先すべきは津波被害への対処だろっ!

ボランティアはみな怒っていた。

今、何をすべきかが間違っていた政府の対応。


あれから2年後、当時の子供たちの集合写真が掲載されていた。

大きい子は志津川中学校に通っているそうです。

2番目の避難所になった学校に通っているみたい。

南三陸町の中心部志津川地区は学校は高台に在るから避難所にされていた。

youtubeの映像は志津川高校から撮影された物が有名です。


色々と書きたい事はあるけれど、当時を思い出すと

上手く書けません(-_-;)






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