金曜日の話になっちゃいますが、午前中幸感度ミーティングっていう会議に行ってきました。
めぐみ在宅クリニック緩和ケアチームと、瀬谷区区長チームとのミーティングです。
瀬谷区の取り組みとしても、在宅で最後まで過ごせる街作りのための基礎作りを始めるようです。
たぶん、めぐみ在宅クリニックの影響もあって、ここ数年瀬谷区での在宅での看取り件数がどんどん増えているからなのでしょうが、連携自体もかなりいい感じでされている現状を瀬谷区の特色とにしていこうという流れのようでした。
とはいえ、小澤先生のプレゼンテーションの趣旨は、自分だけではなく、瀬谷に来れば安心して最後まで過ごせるという目標のために、人材の育成をしていきましょうということでした。
私からは、10月28日の記事(怒っていいですか?や施設もいろいろ)で書いたことを事例として、現場では現実問題ショートステイ一つでも受け皿に問題が山積みであり、リスクばかりが先行して本当に必要なサービスを受けられない患者さんがいることをお話ししました。
実は、この話には後日談があって、例の有料老人ホームのスタッフが、県庁に説明に行ったところ、いきさつは理解してもらえたそうです。
が、そこでまた県庁の担当者から、「なんでそんな病状の人を入院させないんですか?」と言われたそうです。
すかさず、「いまどき、そんな状況の人をどこの病院が入院させてくれますか?!」と聞き返したら黙っちゃったそうです。
小澤先生も、「いやー、その県庁の担当者に一回会って話がしてみたいですねェ。そして、1週僕の往診について回ってもらいたいなー。」と言っていました。
でもなんで、自然死なのに施設で亡くなると事故報告書なんですか?と先生も不思議がっていました。
高齢担当係長からは、「事故報告書」という書式しかないから、全部をその書式にしているようです。とのコメントでした。
なんか、変なの・・・って感じです。
どちらにしても、人が自然に亡くなっていくという過程を、知らない人が多すぎるのだと思います。
たぶん、人は死ぬときは病院が当たり前だと考えている人のほうが、まだまだ圧倒的に多いのでしょうね。
そういうことも含めて、人が人として自分の望む場所で、最後を穏やかに過ごすことができるように、まだ病気とは無縁の時期から、そういうことを考えられるように啓発していく必要があるし、そのための人材育成も行政も一緒にやっていく必要があるという話になるわけです。
めぐみ在宅のもう一つのお仕事「命の授業」の講師をやっている三浦さんが「人は生まれれ来るとき、いろんな準備をしてもらって生まれてきます。そして、死はあちらの世界へ生まれていくのだと考えています。ですから、そのための準備も必要になります。と言っていました。
なるほど、うまいことを言うなー。と思いましたが半面、人それぞれ死生観は違いますから、何とも言えないですよね。
結局2時間をオーバーして2時間30分近い話し合いになりました。
本来医師会が主導でやるべき話し合いですが、たくさんの医師会員それこそ千差万別ですし、現状往診をしたり、まして看取りまでとなると、ほんの一握りの先生しかやっていません。
はっきり言って、そんな面倒なこと御免だと思っている先生も少なからずいる中で、医師会として手を挙げることは不可能なんでしょうね。
でも、自分はできないけれど、頑張ってね、陰ながら応援するからね。くらいは言ってくれてもいいのにと思いますが・・・
まあ、無理な話なんでしょう。
それに、区役所の人達は移動が多いので、今までだって盛り上がったプロジェクト、担当が異動になったとたん尻切れトンボみたいなことが多くて、またそんなことになるんじゃないの?と、冷ややかに見ている先生もいらしゃいます。
でも、そんなことばかり言ってても道は開けませんよね。
これからも、もっとたくさんの人に「病気になってもお家に帰ってこられるよ。」と伝えていきたいと思っています。
めぐみ在宅クリニック緩和ケアチームと、瀬谷区区長チームとのミーティングです。
瀬谷区の取り組みとしても、在宅で最後まで過ごせる街作りのための基礎作りを始めるようです。
たぶん、めぐみ在宅クリニックの影響もあって、ここ数年瀬谷区での在宅での看取り件数がどんどん増えているからなのでしょうが、連携自体もかなりいい感じでされている現状を瀬谷区の特色とにしていこうという流れのようでした。
とはいえ、小澤先生のプレゼンテーションの趣旨は、自分だけではなく、瀬谷に来れば安心して最後まで過ごせるという目標のために、人材の育成をしていきましょうということでした。
私からは、10月28日の記事(怒っていいですか?や施設もいろいろ)で書いたことを事例として、現場では現実問題ショートステイ一つでも受け皿に問題が山積みであり、リスクばかりが先行して本当に必要なサービスを受けられない患者さんがいることをお話ししました。
実は、この話には後日談があって、例の有料老人ホームのスタッフが、県庁に説明に行ったところ、いきさつは理解してもらえたそうです。
が、そこでまた県庁の担当者から、「なんでそんな病状の人を入院させないんですか?」と言われたそうです。
すかさず、「いまどき、そんな状況の人をどこの病院が入院させてくれますか?!」と聞き返したら黙っちゃったそうです。
小澤先生も、「いやー、その県庁の担当者に一回会って話がしてみたいですねェ。そして、1週僕の往診について回ってもらいたいなー。」と言っていました。
でもなんで、自然死なのに施設で亡くなると事故報告書なんですか?と先生も不思議がっていました。
高齢担当係長からは、「事故報告書」という書式しかないから、全部をその書式にしているようです。とのコメントでした。
なんか、変なの・・・って感じです。
どちらにしても、人が自然に亡くなっていくという過程を、知らない人が多すぎるのだと思います。
たぶん、人は死ぬときは病院が当たり前だと考えている人のほうが、まだまだ圧倒的に多いのでしょうね。
そういうことも含めて、人が人として自分の望む場所で、最後を穏やかに過ごすことができるように、まだ病気とは無縁の時期から、そういうことを考えられるように啓発していく必要があるし、そのための人材育成も行政も一緒にやっていく必要があるという話になるわけです。
めぐみ在宅のもう一つのお仕事「命の授業」の講師をやっている三浦さんが「人は生まれれ来るとき、いろんな準備をしてもらって生まれてきます。そして、死はあちらの世界へ生まれていくのだと考えています。ですから、そのための準備も必要になります。と言っていました。
なるほど、うまいことを言うなー。と思いましたが半面、人それぞれ死生観は違いますから、何とも言えないですよね。
結局2時間をオーバーして2時間30分近い話し合いになりました。
本来医師会が主導でやるべき話し合いですが、たくさんの医師会員それこそ千差万別ですし、現状往診をしたり、まして看取りまでとなると、ほんの一握りの先生しかやっていません。
はっきり言って、そんな面倒なこと御免だと思っている先生も少なからずいる中で、医師会として手を挙げることは不可能なんでしょうね。
でも、自分はできないけれど、頑張ってね、陰ながら応援するからね。くらいは言ってくれてもいいのにと思いますが・・・
まあ、無理な話なんでしょう。
それに、区役所の人達は移動が多いので、今までだって盛り上がったプロジェクト、担当が異動になったとたん尻切れトンボみたいなことが多くて、またそんなことになるんじゃないの?と、冷ややかに見ている先生もいらしゃいます。
でも、そんなことばかり言ってても道は開けませんよね。
これからも、もっとたくさんの人に「病気になってもお家に帰ってこられるよ。」と伝えていきたいと思っています。