今日は、看護学生を連れて、めぐみ在宅クリニックでの「デスケースカンファレンス」に行ってきました。
デスケースカンファじたい、あまり一般的ではないのですが、そのなかでもめぐみ在宅のデスカンファは、ちょっと違った視野で行っています。
通常は、亡くなられた患者さんの振り返りとして、主に治療経過やどのような緩和医療を行い、どのくらい効果があったかのかなどが中心になり、かかわりそのものを突きつめることは少ないのではと思います。
しかしここでは、個々の苦痛はなにか、その苦痛の中においての支えは何か、どうすればその支えを太くすることが出来るか、そのためにはどのような私たちであればよいのか、などについて話し合われます。
今日のケースは隣の区の方で、最後まで自宅を選択し、人の世話にならないで、たとえ一人の時に死が訪れようとも、そこにとどまりたい。
という方で、実際お一人の時に吐血をし、亡くなられていた方でした。
この方のケアマネは、困難ケースを数多く抱えている方で、いつもきちんと寄り添う姿勢を持っている方です。
いろいろ話し合った中で、学生さんからの一言を、先生がふりました。
男子A君は、「苦しんでいる患者さんを見たとき、自分が何かしてあげないといけない。何かできないかと考えてしまうが、結局それをどうすればいいかわからないんです。」と言いました。
女子Bさんは「片肺で、残った肺も機能が低下して、毎日苦しい、苦しいと言っていた患者さんがいました。私が訪室すると、いつも苦しいんだよ、と繰り返すんです。でも私にはどうすることもできなかった。どう答えることも・・・そして、その患者さんが亡くなった時、どうしようもない無力感に包まれました。
私は、どうすればよかったのか、どうすればそれに立ち向かっていけるパワーが生まれるのでしょうか?」
彼女は、涙をぽろぽろとこぼしながら、そう話しました。
実際は、医師がきちんとした緩和をしないことが、一番の問題です。
その主治医は「どうする事も出来ない。がんではないし、麻薬を使えば意識が落ちるから使えない」と言っていたそうです。
緩和ケアの観点からいえば、全くナンセンスな話ですが、それ以前の問題として、苦しむ人の前で自分の無力を受け止められないことが辛いのです。
「苦しんでいる人の苦しみは、わからないんです。しかし、患者さんから見てこの人は理解してくれる人、と思ってもらえればいいんです。人は、自分の苦しみを分かってもらえる人がいると、うれしいんです。まずはそこからです。」
そして、反復の話にも触れ、「マイナスの訴えを聴き続けることは苦しいことですが、その会話の中から、支えを見つけられれば、苦しみの中にも、希望は見つけられる。そのためには逃げないことです。」
これは、いつも反復して私たちが聴き、肝に銘じていることです。
このことを理解するのは、本当に難しいことです。
何度も体験し、勉強し、実践し、反省しながら、見つけていくものです。
彼女たちは、来週の緩和ケア研究会に参加したいと、自ら言ってくれました。
カンファが終わっても、めぐみのスタッフの方が、学生さんのフォローにあたってくれました。本当にありがたいことです。
こうして、後輩たちが一人でも多く、援助の本質を理解しようと努力していくことが、これからの未来を創っていくのだと感じました。
一人でも多く、この在宅現場での仲間になってくれることを祈ります。
ちなみに、現在も訪問看護師は、引き続き募集中です。
デスケースカンファじたい、あまり一般的ではないのですが、そのなかでもめぐみ在宅のデスカンファは、ちょっと違った視野で行っています。
通常は、亡くなられた患者さんの振り返りとして、主に治療経過やどのような緩和医療を行い、どのくらい効果があったかのかなどが中心になり、かかわりそのものを突きつめることは少ないのではと思います。
しかしここでは、個々の苦痛はなにか、その苦痛の中においての支えは何か、どうすればその支えを太くすることが出来るか、そのためにはどのような私たちであればよいのか、などについて話し合われます。
今日のケースは隣の区の方で、最後まで自宅を選択し、人の世話にならないで、たとえ一人の時に死が訪れようとも、そこにとどまりたい。
という方で、実際お一人の時に吐血をし、亡くなられていた方でした。
この方のケアマネは、困難ケースを数多く抱えている方で、いつもきちんと寄り添う姿勢を持っている方です。
いろいろ話し合った中で、学生さんからの一言を、先生がふりました。
男子A君は、「苦しんでいる患者さんを見たとき、自分が何かしてあげないといけない。何かできないかと考えてしまうが、結局それをどうすればいいかわからないんです。」と言いました。
女子Bさんは「片肺で、残った肺も機能が低下して、毎日苦しい、苦しいと言っていた患者さんがいました。私が訪室すると、いつも苦しいんだよ、と繰り返すんです。でも私にはどうすることもできなかった。どう答えることも・・・そして、その患者さんが亡くなった時、どうしようもない無力感に包まれました。
私は、どうすればよかったのか、どうすればそれに立ち向かっていけるパワーが生まれるのでしょうか?」
彼女は、涙をぽろぽろとこぼしながら、そう話しました。
実際は、医師がきちんとした緩和をしないことが、一番の問題です。
その主治医は「どうする事も出来ない。がんではないし、麻薬を使えば意識が落ちるから使えない」と言っていたそうです。
緩和ケアの観点からいえば、全くナンセンスな話ですが、それ以前の問題として、苦しむ人の前で自分の無力を受け止められないことが辛いのです。
「苦しんでいる人の苦しみは、わからないんです。しかし、患者さんから見てこの人は理解してくれる人、と思ってもらえればいいんです。人は、自分の苦しみを分かってもらえる人がいると、うれしいんです。まずはそこからです。」
そして、反復の話にも触れ、「マイナスの訴えを聴き続けることは苦しいことですが、その会話の中から、支えを見つけられれば、苦しみの中にも、希望は見つけられる。そのためには逃げないことです。」
これは、いつも反復して私たちが聴き、肝に銘じていることです。
このことを理解するのは、本当に難しいことです。
何度も体験し、勉強し、実践し、反省しながら、見つけていくものです。
彼女たちは、来週の緩和ケア研究会に参加したいと、自ら言ってくれました。
カンファが終わっても、めぐみのスタッフの方が、学生さんのフォローにあたってくれました。本当にありがたいことです。
こうして、後輩たちが一人でも多く、援助の本質を理解しようと努力していくことが、これからの未来を創っていくのだと感じました。
一人でも多く、この在宅現場での仲間になってくれることを祈ります。
ちなみに、現在も訪問看護師は、引き続き募集中です。