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電子ピアノと生・アコースティックピアノ、その超えられない差、それをしのぐ技術力・楽器愛

2024年04月13日 00時09分20秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・カリンバ・電子ピアノキーボード

 私は、あるユーチューブ動画を見た。そこで、男性の方(声楽家?=後で判明。私と同じ安高の車田和寿氏。彼は音大卒)が、ピアノと電子ピアノの差について語っていた。

 そこでは、電子ピアノと生・アコースティックピアノとは、その生ピアノとチェンバロやオルガン程、違いがあり、電子ピアノという分野と、生ピアノと言う分野、これらに二極化・二分化できると言う。

 それでも、その方は、音大に入る時に、父親から、これは高級なんだからと、当時、ヤマハの電子ピアノ、クラビノーバを買ってもらう。

 しかし、音楽教室だったか、その学校の先生か、いずれかの先生に、絶対にアコースティックピアノじゃなきゃ、学習に偏りが出て、いけません、と言われて、二度目に、生ピアノを買う。

 そして、妻と結婚して、妻も生ピアノを持ち寄って、しばらくはそれらで弾いていて、その二台は日本に置いて来た。今はドイツに住んでいて、確か、今は、電子ピアノを使っているという所。これが電子ピアノ2台目だとか。

 それで、まずは電子ピアノを使うメリットとして、音量を変えられる、ヘッドフォンにして、無音にも出来る、という点。

 それから、音色を変えて、違う雰囲気の楽器の音を鳴らせられる点。この二点を挙げた。

 しかし、生・アコースティックピアノに、音源も限りなく近づけたにせよ、それは模倣に過ぎず、本物ではない。限りなく、「偽」に近いモノではある事は否めない。

 そして、電子ピアノでピアノは上達できるか、との自らの問いに、その方は、電子ピアノ同士として弾くのは出来るが、電子ピアノから生ピアノへとは上達が出来ないと言い切った。

 そして、長くお話をされて、最後には、現地のドイツでは極めて安いのだが、日本では若干高くて食べられないようなチョコレートと、普通のコーヒーを飲んで、動画を締めくくった。

 私はこれを見て、そうさなあ、そうだろうなあ、と、嘆息した。

 私にとって、電子ピアノは、どうしても、プアマンピアノ、なんちゃってピアノ、の最たるものである。絶対に、高価なアコースティック生ピアノは、憧れではあるが、おそらく永遠に手には出来ないだろう、という位、諦めもあるし、経済観念からして、楽器に少なくとも数十万とは、かなりの冒険だ。

 まあ、それ位、余裕やゆとりがないという事。だから、この現実を受け入れるのは容易である。最初から、そんな、生ピアノなんて諦めている。敢えて距離を取っている。見ない振り。別段、そんなに欲しいとも今の所思わない。どっちが優れているのかは判ってはいるが。むしろ、要らない。代用はその、電子ピアノが占めているのも大きいが。

 まあ、そんなに本格的でもないかな、とも私は私の音楽・ピアノの指向性を認めて、思う。

 初めから分っていたのだ。そんな事は。しかし、今の楽器メーカーの技術が、生のピアノを弾いているような錯覚を起こさせる程、現代の電子ピアノの性能は凄いものがある。

 これも、その方は批判していて、今の電子ピアノ業界が、そういう風に、このコロナ禍も終わったが、その間に、世の中の人の引きこもり需要を見込んで、ピアノがバカみたいに売れて、第何次のピアノブームが沸き起こり、これに乗り遅れるな、とばかりに今まで来たとその方は言う。

 その楽器業界も、何の説明もなしに、生ピアノと電子ピアノの違いを皆に周知徹底しないで、そこがおかしいと。これは一理はあるだろう。

 それ以前にも、ヤマハが、電子オルガン・エレクトーンを発売した時、その商品を売り出すにあたって、テレビで全国ネットで、一時間だか、番組そのものを買い取り、その中で、子供が必ずエレクトーンを弾くシーンを見せるというコーナーまで作り、その番組が当たって、それ以降、電子オルガン=エレクトーン、という図式が成立、見事に成功したと言うのは周知の事実。

 その二匹目のどじょうを狙っているのだろうと、その動画でも言っていた。

 しかし、あくまでも、生ピアノと電子ピアノは、構造から音の出し方から違う、別物だ、という意識を持ってもらいたいとその動画作者は言っていた。

 今現在は、その方は夫婦でドイツに住んでいて、重たい生ピアノは海外へは持ち込めなかった。だから割り切って電子ピアノにしているのだと思う。いずれにせよ、今は旅の途上なのだろう。

 私の家には、アコースティックピアノを置く場所、広さがない。経済的な観点を言う前に。それに、防音や、重さに耐えられる床、等々の、幾つもの難所、難題、断念せざるを得ない事柄が多すぎた。

 だから、今現在の、私が電子ピアノにした、と言う選択は、全くの、大ありなのである。これを否定されると、非常に困ってしまう。

 電子と生、その差を縮められるように、各メーカーも頑張っている。今日の電子ピアノの隆盛たらしめた、各々メーカー独自の技術力も、大したものだと、私は却って改めて褒めて上げたくもある。

 とにかく、現代では、私も特に「軽薄短小」の、電子ピアノが、楽器の中でも最良最大の選択足り得る、そんな時代なんだと。私は、小難しい事は抜きにして、便利な世の中になったものだと、むしろ、電子ピアノにおける隔世の感に慶びと拍手と喝采と讃嘆を送りたいと思う。

 その、生ピアノと、電子ピアノとの、差については、良く吟味して、別物だとの意識を常に置けば、これは応用が効き、何でも対処が出来得ると思う。

 その違いも、十年二十年前の比ではないのだから、その進歩をまずは慶びたい。

以上。よしなに。wainai

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