漢検1級198点!! 満点取るまで生涯学習!! ➪ “俳句”

我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記。漢検1級チャレンジャーの方の参考となるブログ。2018年7月から“俳句”も開始。

漢検1級 27-③に向けて その105 文章題訓練㉟

2016年01月15日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その105>
●模試で中断した「文章題訓練」その㉟です。随分とやりましたねえ・・・これだけやれば大丈夫?
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㉟:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「・・・三年後、孔子がたまたま蒲を通った。まず領内に入った時、「善い哉、由や、恭敬にして信なり」と言った。進んで邑に入った時、「善い哉、由や、忠信にして寛なり」と言った。いよいよ子路の邸に入るに及んで、「善い哉、由や、明察にして断なり」と言った。(ア)轡を執っていた子貢が、いまだ子路を見ずしてこれを褒める理由を聞くと、孔子が答えた。已すでにその領域に入れば(イ)田疇ことごとく治まり(1)ソウライ甚だ(ウ)辟(2)コウキョクは深く整っている。治者恭敬にして信なるが故に、民その力を尽くしたからである。その邑に入れば民家の(3)ショウオクは完備し樹木は繁茂している。治者忠信にして寛なるが故に、民その営を(エ)忽せにしないからである。さていよいよその庭に至れば甚だ(4)セイカンで従者(5)ボクドウ一人として命に(オ)違う者が無い。治者の言、明察にして断なるが故に、その政が(カ)紊れないからである。いまだ由を見ずしてことごとくその政を知った訳ではないかと。・・・」「弟子」(中島敦)

「・・・既に薄暮のこととて庭の隅々に(6)カガリ火が燃されている。それを指しながら子路が、「火を! 火を!」と叫ぶ。「先代孔叔文子(圉)の恩義に感ずる者共は火を取って台を焼け。そうして孔叔を救え!」
 台の上の簒奪者は大いに懼れ、石乞・盂黶の二剣士に命じて、子路を討たしめた。
 子路は二人を相手に激しく斬り結ぶ。往年の勇者子路も、しかし、年には勝てぬ。次第に疲労が加わり、呼吸が乱れる。子路の旗色の悪いのを見た群集は、この時ようやく(7)キシを明らかにした。罵声が子路に向って飛び、無数の石や棒が子路の身体に当った。敵の(キ)戟の尖端が頬を掠めた。(8)エイが断れて、冠が落ちかかる。左手でそれを支えようとした途端に、もう一人の敵の剣が肩先に喰い込む。血が(ク)迸り、子路は倒れ、冠が落ちる。倒れながら、子路は手を伸ばして冠を拾い、正しく頭に着けて素速くエイを結んだ。敵の刃の下で、真赤に血を浴びた子路が、最期の力を絞って絶叫する。
「見よ! 君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」
 全身(ケ)膾のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。
 魯に在って遥かに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「柴(子羔)や、それ帰らん。由や死なん。」と言った。果してその言のごとくなったことを知った時、老聖人は佇立瞑目することしばし、やがて(9)サンゼンとして涙下った。子路の屍が(コ)醢にされたと聞くや、家中の塩漬類をことごとく捨てさせ、(10)ジゴ、醢は一切食膳に上さなかったということである。・・・」「弟子」(中島敦)
👍👍👍 🐵 👍👍👍

<解答>
(1)草莱 (2)溝洫 (3)牆屋 (4)清閑 (5)僕僮 (6)篝(*「炬」「燎」は一字で「かがりび」だから、多分×) (7)旗幟 (8)纓 (9)潸然 (10)爾後
(ア)くつわ (イ)でんちゅう (ウ)ひら (エ)ゆるが (オ)たが (カ)みだ (キ)ほこ (ク)ほとばし (ケ)なます (コ)ししびしお(原文ルビは「ししびしお」。ひしお・しおからでも許容かも。)

👍👍👍 🐵 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その70  文章題訓練㉝&㉞

2015年12月13日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その70>
●夏目漱石の「趣味の遺伝」から・・・。<その1><その2>の2題です。
●難度は並み以上・・・チャレンジャーは80%(24点)程度が目標・・・。リピーターは90%以上(^^;)

●文章題㉝:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「趣味の遺伝」(夏目漱石) その1

「・・・将軍のあとに続いてオリーヴ色の新式の軍服を着けた士官が二三人通る。これは出迎えと見えてその表情が将軍とはだいぶ違う。(1)キョは気を移すと云う孟子の語は小供の時分から聞いていたが戦争から帰った者と内地に暮らした人とはかほどに顔つきが変って見えるかと思うと一層感慨が深い。どうかもう(2)イッペン、将軍の顔が見たいものだと延び上ったが駄目だ。ただ場外に群がる数万の市民が有らん限りの(ア)鬨を作って停車場の硝子窓が破れるほどに響くのみである。余の左右前後の人々はようやくに列を乱して入口の方へなだれかかる。見たいのは余と同感と見える。余も黒い波に押されて一二間石段の方へ流れたが、それぎり先へは進めぬ。こんな時には余の性分としていつでも損をする。寄席がはねて木戸を出る時、待ち合せて電車に乗る時、人込みに切符を買う時、何でも多人数競争の折には大抵最後に取り残される、この場合にも先例に洩れず首尾よく人後に落ちた。しかも普通の落ち方ではない。遥かこなたの人後だから心細い。葬式の赤飯に手を出し損なった時なら何とも思わないが、帝国の運命を決する活動力の断片を見損うのは残念である。どうにかして見てやりたい。広場を包む万歳の声はこの時四方から(イ)大濤の岸に崩れるような勢いで余の(3)コマクに響き渡った。もうたまらない。どうしても見なければならん。・・・
・・・浩さん! 浩さんは去年の十一月旅順で戦死した。二十六日は風の強く吹く日であったそうだ。遼東の大野を吹きめぐって、黒い日を海に吹き落そうとする野分の中に、松樹山の突撃は予定のごとく行われた。時は午後一時である。(4)エンゴのために味方の打ち出した大砲が敵塁の左突角に中たって五丈ほどの砂煙を捲き上げたのを相図に、散兵壕から飛び出した兵士の数は幾百か知らぬ。蟻の穴を蹴返したごとくに散り散りに乱れて前面の傾斜を(5)ヨじ登る。見渡す山腹は敵の敷いた鉄条網で足を容るる余地もない。ところを梯子を担い(6)ドノウを背負って区々に通り抜ける。工兵の切り開いた二間に足らぬ路は、先を争う者のために奪われて、後より詰めかくる人の勢いに波を打つ。こちらから眺めるとただ一筋の黒い河が山を裂いて流れるように見える。その黒い中に敵の弾丸は容赦なく落ちかかって、すべてが消え失せたと思うくらい濃い煙が立ち揚がる。怒る野分は横さまに煙りを千切って遥かの空に攫って行く。あとには依然として黒い者が  (ウ)簇然(エ)蠢いている。この蠢いているもののうちに浩さんがいる。
・・・占めた。敵塁の右の端の突角の所が朧気に見え出した。中央の厚く築き上げた石壁も見え出した。しかし人影はない。はてな、もうあすこらに旗が動いているはずだが、どうしたのだろう。それでは壁の下の土手の中頃にいるに相違ない。煙は拭うがごとく一掃きに上から下まで(7)ゼンジに晴れ渡る。浩さんはどこにも見えない。これはいけない。(オ)田螺のように蠢いていたほかの連中もどこにも出現せぬ様子だ。いよいよいけない。もう出るか知らん、五秒過ぎた。まだか知らん、十秒立った。五秒は十秒と変じ、十秒は二十、三十と重なっても誰一人の(8)ザンゴウから向うへ這い上がる者はない。ないはずである。ザンゴウに飛び込んだ者は向うへ渡すために飛び込んだのではない。死ぬために飛び込んだのである。彼らの足が(9)ゴウテイに着くや否や(カ)穹窖より覘(ねら)いを定めて打ち出す機関砲は、杖を引いて竹垣の側面を走らす時の音がして瞬く間に彼らを射殺した。殺されたものが這い上がれるはずがない。石を置いた沢庵のごとく積み重なって、人の眼に触れぬ坑内に横たわる者に、向うへ上がれと望むのは、望むものの無理である。横たわる者だって上がりたいだろう、上りたければこそ飛び込んだのである。いくら上がりたくても、手足が利かなくては上がれぬ。眼が暗んでは上がれぬ。胴に穴が開いては上がれぬ。血が通わなくなっても、脳味噌が潰れても、肩が飛んでも身体が棒のように(キ)鯱こ張っても上がる事は出来ん。二竜山から打出した砲煙が散じ尽した時に上がれぬばかりではない。寒い日が旅順の海に落ちて、寒い霜が旅順の山に降っても上がる事は出来ん。ステッセルが開城して二十の(10)ホウサイがことごとく日本の手に帰しても上る事は出来ん。日露の講和が成就して乃木将軍がめでたく凱旋しても上がる事は出来ん。百年三万六千日乾坤を(ク)提げて迎えに来ても上がる事はついにできぬ。これがこのザンゴウに飛び込んだものの運命である。しかしてまた浩さんの運命である。(ケ)蠢々として御玉杓子のごとく動いていたものは突然とこの底のない(コ)坑のうちに落ちて、浮世の表面から闇の裡に消えてしまった。旗を振ろうが振るまいが、人の目につこうがつくまいがこうなって見ると変りはない。浩さんがしきりに旗を振ったところはよかったが、壕の底では、ほかの兵士と同じように冷たくなって死んでいたそうだ。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)居 (2)一遍 (3)鼓膜 (4)掩護(「援護」でもOKでしょう) (5)攀 (6)土嚢 (7)漸次 (8)塹壕 (9)壕底 (10)砲砦 
(ア)とき (イ)おおなみ (ウ)そうぜん (エ)うごめ (オ)たにし (カ)きゅうこう (キ)しゃち (ク)ひっさ (ケ)しゅんしゅん (コ)あな 
👍👍👍 🐑 👍👍👍

●文章題㉞:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「趣味の遺伝」(夏目漱石) その2

「・・・しばらく化銀杏(ばけいちょう)の下に立って、上を見たり下を見たり(ア)佇んでいたが、ようやくの事、幹のもとを離れていよいよ墓地の中へ這入り込んだ。この寺は由緒のある寺だそうでところどころに大きな(1)レンダイの上に据えつけられた石塔が見える。右手の方に柵を控えたのには梅花院殿瘠鶴大居士とあるから大方、大名か旗本の墓だろう。中には至極簡略で尺たらずのもある。慈雲童子と楷書で彫ってある。小供だから小さい訳だ。このほか石塔も沢山ある、戒名も飽きるほど彫りつけてあるが、申し合わせたように古いのばかりである。近頃になって人間が死ななくなった訳でもあるまい、やはり従前のごとく相応の亡者は、年々御客様となって、あの剥げかかった額の下を潜るに違ない。しかし彼らがひとたび化銀杏の下を通り越すや否や急に古仏となってしまう。何も銀杏のせいと云う訳でもなかろうが、大方の檀家は寺僧の懇請で、余り広くない墓地の空所を狭めずに、先祖代々の墓の中に新仏を祭り込むからであろう。浩さんも祭り込まれた一人ひとりである。
・・・浩さんの墓は古いと云う点においてこの古い(2)ラントウバ内でだいぶ幅の利く方である。墓はいつ頃出来たものか(イ)確とは知らぬが、何でも浩さんの御父っさんが這入り、御爺さんも這入り、そのまた御爺さんも這入ったとあるからけっして新らしい墓とは申されない。古い代りには(3)ケイショウの地を占めている。隣り寺を境に一段高くなった土手の上に三坪ほどな平地があって石段を二つ踏んで行き当りの真中にあるのが、御爺さんも御父さんも浩さんも同居して眠っている河上家代々之墓である。極めて分りやすい。化銀杏を通り越して一筋道を北へ二十間歩けばよい。余は(ウ)馴れた所だから例のごとく例の路をたどって半分ほど来て、ふと何の気なしに眼をあげて自分の(エ)詣るべき墓の方を見た。
・・・百花の王をもって許す牡丹さえ崩れるときは、富貴の色もただ(オ)好事家の憐れを買うに足らぬほど脆いものだ。美人薄命と云う(カ)諺もあるくらいだからこの女の寿命も容易に保険はつけられない。しかし妙齢の娘は概して活気に充ちている。前途の希望に照らされて、見るからに陽気な心持ちのするものだ。のみならず友染とか、(キ)繻珍とか、ぱっとした色気のものに包まっているから、横から見ても縦から見ても派出である立派である、春景色である。その一人が――最も美くしきその一人が寂光院の墓場の中に立った。浮かない、古臭い、沈静な四顧の景物の中に立った。するとその愛らしき眼、そのはなやかな袖が忽然と本来の面目を変じて(4)ショウジョウたる周囲に流れ込んで、境内寂寞の感を一層深からしめた。天下に墓ほど落ついたものはない。しかしこの女が墓の前に延び上がった時は墓よりも落ちついていた。銀杏の(5)コウヨウは淋しい。まして化けるとあるからなお淋しい。しかしこの女が化銀杏の下に横顔を向けて佇んだときは、銀杏の精が幹から抜け出したと思われるくらい淋しかった。上野の音楽会でなければ釣り合わぬ服装をして、帝国ホテルの夜会にでも招待されそうなこの女が、なぜかくのごとく四辺の光景と(6)エイタイして索寞の観を添えるのか。これも諷語だからだ。マクベスの門番が怖しければ寂光院のこの女も淋しくなくてはならん
・・・とりあえず、書斎に立て籠こもって懐中から例の手帳を出したが、何分夕景ではっきりせん。実は途上でもあちこちと拾い読みに読んで来たのだが、鉛筆でなぐりがきに書いたものだから明るい所でも容易に分らない。ランプを点ける。下女が御飯はと云って来たから、めしは後で食うと追い返す。さて一頁から順々に見て行くと皆陣中の出来事のみである。しかも(7)コウソウの際に分陰を(ク)偸んで記しつけたものと見えて大概の事は一句二句で弁じている。「風、坑道内にて食事。握り飯二個。泥まぶれ」と云うのがある。「夜来風邪の気味、発熱。診察を受けず、例のごとく勤務」と云うのがある。「テント外の歩哨散弾に中たる。テントに(ケ)仆れかかる。血痕を印す」「五時大突撃。中隊全滅、不成功に終る。残念!!!残念の下に!が三本引いてある。無論記憶を助けるための手控えであるから、毫も文章らしいところはない。字句を修飾したり、彫琢したりした痕跡は薬にしたくも見当らぬ。しかしそれが非常に面白い。ただありのままをありのままに写しているところが大いに気に入った。ことに俗人の使用する壮士的(コ)口吻がないのが嬉しい。怒気天を衝くだの、暴慢なる露人だの、(8)シュウリョの胆を寒からしむだの、すべてえらそうで安っぽい辞句はどこにも使ってない。文体ははなはだ気に入った、さすがに浩さんだと感心したが、肝心の寂光院事件はまだ出て来ない。だんだん読んで行くうちに四行ばかり書いて上から棒を引いて消した所が出て来た。こんな所が怪しいものだ。・・・
・・・占めた占めたこれだけ聞けば充分だ。一から十まで余が鑑定の通りだ。こんな愉快な事はない。寂光院はこの小野田の令嬢に違いない。自分ながらかくまで機敏な才子とは今まで思わなかった。余が平生主張する趣味の遺伝と云う理論を証拠立てるに完全な例が出て来た。ロメオがジュリエットを一目見る、そうしてこの女に相違ないと先祖の経験を数十年の後に認識する。エレーンがランスロットに始めて逢う、この男だぞと思い詰める、やはり父母(9)ミショウ以前に受けた記憶と情緒が、長い時間を隔てて脳中に再現する。二十世紀の人間は散文的である。ちょっと見てすぐ惚れるような男女を捕えて軽薄と云う、小説だと云う、そんな馬鹿があるものかと云う。馬鹿でも何でも事実は曲げる訳には行かぬ、逆さにする訳にもならん。不思議な現象に逢わぬ前ならとにかく、逢おうた後にも、そんな事があるものかと冷淡に看過するのは、看過するものの方が馬鹿だ。かように学問的に研究的に調べて見れば、ある程度までは二十世紀を満足せしむるに足るくらいの説明はつくのである。とここまでは調子づいて考えて来たが、ふと思いついて見ると少し困る事がある。この老人の話によると、この男は小野田の令嬢も知っている、浩さんの戦死した事も覚えている。するとこの両人は同藩の縁故でこの屋敷へ平生出入して互いに顔くらいは見合っているかも知れん。ことによると話をした事があるかも分らん。そうすると余の(10)ヒョウボウする趣味の遺伝と云う新説もその論拠が少々薄弱になる。これは両人がただ一度本郷の郵便局で出合った事にして置かんと不都合だ。浩さんは徳川家へ出入する話をついにした事がないから大丈夫だろう、ことに日記にああ書いてあるから間違いはないはずだ。しかし念のため不用心だから尋ねて置こうと心を定めた。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)蓮台 (2)卵塔婆(原文)(「卵塔場」で可。)) (3)形勝 (4)蕭条 (5)黄葉 (6)映帯(光や色彩がうつりあうこと。映発。) (7)倥偬 (8)醜虜 (9)未生 (10)標榜 
(ア)たたず (イ)しか (ウ)な (エ)まい (オ)こうずか (カ)ことわざ (キ)しゅちん (ク)ぬす (ケ)たお (コ)こうふん 
*形勝:①地勢や風景のすぐれていること。その土地。②要害の地。
*(参考)景勝:景色のすぐれていること。その土地。
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漢検1級 27-③に向けて その68  文章題訓練㉜

2015年12月12日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その68>
●柳田邦夫の「山の人生」・・・。
●難度は並み・・・80%(24点)以上はとりたい・・・。

●文章題㉜:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「山の人生」(柳田国男)
「・・・中村・沢目・蘆谷村と云ふは、岩木山のふもとにして田畑も多からねば、炭を焼き薪を(ア)樵りて、 (1)カッケイの一助となす。此里に九助といふ者あり。常の如く斧を携へて山奥に入り、柴立ちを踏み分け渓水を越え、二里ばかりも(イ)躋りしが、(2)リョウカクたる平地に出でたり。年頃 此の山中を経過すれども、未だ見たること無き処なれば、始めて道に迷ひたることを悟り、且は山の広大なることを思ひ、歎息してたゝずみしが、偶、あたりの谷蔭に人語の聴えしまゝ、其声を知るべに谷を下りて打ち見やりたるに、身の長七八尺ばかりの大男二人、岩根の苔を摘み取る様子なり。背と腰には木葉を綴りたるものを纏ひたり。横の方を振り向きたる面構へは、色黒く眼円く鼻ひしげ (3)ホウトウにして鬚延びたり。其の状貌の醜怪なるに九助大いに怖れを為し、是や兼て赤倉に住むと聞きしオホヒトならんと思ひ急ぎ遁(に)げんとせしが、過ちて石に蹶き転び落ちて、却りて大人の傍に倒れたり。仰天し(ウ)慴慄して口は物言ふこと能はず、脚は立つこと能はず、唯 手を合せて拝むばかり也。かの者等は何事か語り合ひしが、やがて九助を小脇にかかへ、(4)ケンソ巌窟の嫌ひなく平地の如くに馳せ下り、一里余りも来たりと思ふ頃、其まゝ地上に引下して、忽ち形を隠し姿を見失ひぬ。九助は次第に心地元に復し、始めて幻夢の覚めたる如く、首を挙げて四辺を見廻らすに、時は既に申の下りとおぼしく、太陽(エ)巒際に臨み返照長く横たはれり。其時同じ業の者、手に手に薪を負ひて(オ)樵路を下り来るに逢ひ、顛末を語り介抱せられて家に帰り着きたりしが、心中鬱屈し顔色(5)ショウスイして食事も進まず、妻子等色々と保養を加へ、五十余日して漸く回復したりと也。・・・
・・・山男はまた酒がすきで酒のために働くという話が、『桃山人夜話』の巻三に出ている。「遠州秋葉の山奥などには、山男と云ふものありて折節出づることあり。(カ)杣(キ)山賤の為に重荷を負ひ、助けて里近くまで来りては山中に戻る。家も無く従類眷属とても無く、常に住む処更に知る者無し。賃銭を与ふれども取らず、只 酒を好みて与ふれば悦びつつ飲めり。物ごし更に分らざれば、唖(おし)を教ふる如くするに、その覚り得ること至つて早し、始も知らず終も知らず、丈の高さ六尺より低きは無し。山気の化して人の形と成りたるなりと謂ふ説あり。昔同国の白倉村に、又蔵と云ふ者あり。家に病人ありて、医者を喚びに行くとて、谷に踏みはづして落ち入りけるが樹の根にて足を痛め歩むこと能はず、谷の底に居たりしを、山男何処よりとも無く出で来りて又蔵を負ひ、屏風を立てたるが如き処を安々と登りて、医師の門口まで来りて掻き消すが如くに失せたり。又蔵は嬉しさの余りに之に謝せんとて(ク)竹筒に酒を入れてかの谷に至るに、山男二人まで出でて其酒を飲み、大いに悦びて去りしとぞ。此事、古老の言ひ伝へて、今に彼地にては知る人多し」(以上)。又蔵が医者の家を訪れることを知って、その門口まで送ってくれたという点だけが、特に信用しにくいように思うけれども、酒を礼にしたら悦んだということはありそうな話であった
・・・秋田方面の山鬼ももとは山中の異人の(6)ハンショウであったらしいのが、のちには大平山上に常住する者のみをそういうことになり、ついには三吉大権現とも書いて、儼然として今はすでに神である。しかも佐竹家が率先して夙にこれを(7)スウケイした動機は、すぐれて神通力という中にも、特に早道早飛脚で、しばしば江戸と領地との間に吉凶を報じた奇瑞からであった。
・・・最後になお一つ話が残っている。数多ある村里の住民の中で、特別に山の人と懇意にしていたという者が処々にあった。その問題だけは述べておかねばならぬ。天狗の方にも名山(8)レイサツの彼らを仏法の守護者と頼んだもの以外に、尋常民家の人であって、やはり時としてかの珍客の訪問を受けたという例は相応にあった。その中でもことに有名なのは、加賀の松任の餅屋であったが、たしか越中の高岡にも半分以上似た話があり、その他あの地方には少なくとも世間の噂で、天狗の恩顧を説かるる家は多かったのである。今ではほとんと広告の用にも立たぬか知らぬが、当初は決してうかうかとした笑話でなかった。訪問のあるという日は前兆があり、またはあらかじめ定まっていて、一家(9)カイシンして室を浄め、(ケ)叨りに人を近づけず、しかも出入坐臥飲食ともに、音もなく目にも触れなかったことは、他の多くの尊い神々も同じであった。災害を予報し、作法方式を示し、時あって憂いや迷いを抱く者が、この主人を介して神教を求めんとしたことも、想像にかたくないのであった。すなわちただ一歩を進むれば、建久八年の橘兼仲のごとく、専門の行者となって一代を風靡し、もしくは近世の野州古峰原のように一派の信仰の中心となるべき境まできていたので、しかもその大切なる(10)ケンメイ両界の連鎖をなしたものが、単に由緒久しき名物の(コ)餡餅であったことを知るに至っては、心窃かに在来の宗教起原論の研究者が、いたずらに天外の五里霧中に辛苦していたことを、感ぜざる者は少なくないであろう。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)活計 (2)寥廓 (3)蓬頭 (4)嶮岨(険阻) (5)憔悴 (6)汎称 (7)崇敬 (8)霊刹 (9)戒慎 (10)顕冥 
(ア)きこ(「こ」でもOKでしょう。) (イ)のぼ (ウ)*原文ルビは「しゅうりつ」。「しょうりつ」も可か。 (エ)らんさい (オ)しょうろ (カ)そま (キ)やまがつ (ク)ささえ (ケ)みだ (コ)あんもち 
👍👍👍 🐑 👍👍👍

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漢検1級 27-③に向けて その66  文章題訓練㉛

2015年12月11日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その66>
●福沢諭吉の「学問のすすめ」・・・。
●難度:意外に難かも・・・80%(24点)以上が目標・・・。

●文章題㉛:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「学問のすすめ」(福沢諭吉)

「・・・ゆえに学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きにあり。この働きを活用して実地に施すにはさまざまの工夫なかるべからず。
すなわち視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書、演説はもって智見を散ずるの術なり。然りしこうしてこの諸術のうちに、あるいは一人の私をもって能くすべきものありといえども、談話と演説とに至りては必ずしも人とともにせざるを得ず。演説会の(1)ヨウヨウなることもって知るべきなり。
 (2)ホウコンわが国民においてもっとも憂うべきはその見識の(ア)賤しきことなり。これを導きて高尚の域に進めんとするはもとより今の学者の職分なれば、いやしくもその方便あるを知らば力を尽くしてこれに従事せざるべからず。しかるに学問の道において、談話、演説の大切なるはすでに明白にして、今日これを実に行なう者なきはなんぞや。学者の(3)ランダと言うべし。人間の事には内外両様の別ありて、両つながらこれを勉めざるべからず。今の学者は内の一方に身を(イ)委して、外の務めを知らざる者多し。
・・・右のごとく、インドの文も、トルコの武も、かつてその国の文明に益せざるはなんぞや。その人民の所見わずかに一国内にとどまり、自国の有様に満足し、その有様の一部分をもって他国に比較し、その間に優劣なきを見てこれに欺かれ、議論もここに止まり、徒党もここに止まり、勝敗栄辱ともに他の有様の全体を目的とすることを知らずして、万民太平を謡うか、または兄弟墻(かき)に(ウ)鬩ぐのその間に、商売の権威に圧しられて国を失うたるものなり。洋商の向かうところはアジヤに敵なし。恐れざるべからず。もしこの(4)ケイテキを恐れて、兼ねてまたその国の文明を慕うことあらば、よく内外の有様を比較して勉むるところなかるべからず
・・・そもそもわが国の人民に気力なきその原因を尋ぬるに、数千百年の古より全国の権柄を政府の一手に握り、武備・文学より工業・商売に至るまで、人間些末の事務といえども政府の関わらざるものなく、人民はただ政府の(5)ソウするところに向かいて奔走するのみ。あたかも国は政府の私有にして、人民は国の食客たるがごとし。すでに無宿の食客となりてわずかにこの国中に寄食するを得るものなれば、国を視ること(6)ゲキリョのごとく、かつて深切の意を尽くすことなく、またその気力を(エ)見すべき機会をも得ずして、ついに全国の気風を養いなしたるなり。
 しかのみならず今日に至りては、なおこれよりはなはだしきことあり。おおよそ世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして(オ)潴滞する者はあるべからざるの理なり。
 ・・・第四、人にはおのおの至誠の本心あり。誠の心はもって情欲を制し、その方向を正しくして止まるところを定むべし。たとえば情欲には限りなきものにて、美服美食もいずれにて十分と(カ)界を定め難し。今もし働くべき仕事をば捨て置き、ひたすらわが欲するもののみを得んとせば、他人を害してわが身を利するよりほかに道なし。これを人間の所業と言うべからず。この時に当たりて欲と道理とを分別し、欲を離れて道理の内に入らしむるものは誠の本心なり。第五、人にはおのおの意思あり。意思はもって事をなすの志を立つべし。譬えば世の事は怪我の(キ)機にてできるものなし。善き事も悪き事もみな人のこれをなさんとする意ありてこそできるものなり。
・・・さて百姓に至りてはもはや目下の者もあらざれば少し当惑の次第なれども、元来この議論は人間世界に通用すべき当然の理に基づきたるものなれば、百万遍の道理にて、回れば本に返らざるを得ず。「百姓も人なり、禁裏さまも人なり、遠慮はなし」と御免を蒙り、百姓の心をもって禁裏さまの身を勝手次第に取り扱い、(ク)行幸あらんとすれば「止まれ」と言い、(ケ)行在に止まらんとすれば「(7)カンギョ」と言い、起居眠食、みな百姓の思いのままにて、金衣玉食を廃して麦飯を進むるなどのことに至らば如何。かくのごときはすなわち日本国中の人民、身みずからその身を制するの権義なくしてかえって他人を制するの権あり。
・・・ しかるに世の中にはこの蟻の所業をもってみずから満足する人あり。今その一例を挙げん。男子年長じて、あるいは工につき、あるいは商に帰し、あるいは官員となりて、ようやく親類朋友の厄介たるを免れ、相応に衣食して他人へ不義理の沙汰もなく、借屋にあらざれば自分にて手軽に家を作り、(8)カジュウはいまだ整わずとも細君だけはまずとりあえずとて、望みのとおりに若き婦人を(コ)娶り、身の治まりもつきて倹約を守り、子供は沢山に生まれたれども教育もひととおりのことなればさしたる銭もいらず、不時病気等の入用に三十円か五十円の金にはいつも差しつかえなくして、細く永く長久の策に心配し、とにもかくにも一軒の家を守る者あれば、みずから独立の活計を得たりとて得意の色をなし、世の人もこれを目して(9)フキ独立の人物と言い、過分の働きをなしたる手柄もののように称すれども、その実は大なる間違いならずや。
(十三編 ― 怨望の人間に害あるを論ず ―)
 およそ人間に不徳の筒条多しといえども、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし。(10)タンリン、奢侈、誹謗の類はいずれも不徳のいちじるしきものなれども、よくこれを吟味すれば、その働きの素質において不善なるにあらず。これを施すべき場所柄と、その強弱の度と、その向かうところの方角とによりて、不徳の名を免るることあり。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)要用(「①必要なこと。肝要。須要。②大切な要事。」(広辞苑) (2)方今 (3)懶惰 (4)勁敵(「勍敵」でも可か) (5)嗾 (6)逆旅 (7)還御 (8)家什 (9)不覊 (10)貪吝 
(ア)いや (イ)まか (ウ)せめ (エ)あらわ (オ)ちょたい (カ)さかい (キ)はずみ (ク)ぎょうこう (ケ)あんざい (コ)めと
👍👍👍 🐑 👍👍👍
 

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漢検1級 27-③に向けて その64  文章題訓練㉚

2015年12月10日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その64>
●徳富蘇峰と森鴎外の2本立てです。ちょっと難度高いかも・・・。漢字自体は決して難しい字ではないんですが・・・。
●80%(24点)以上は取りたいところ・・・・。

●文章題㉚:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
A.「将来の日本」(徳富蘇峰)
「・・・ただ一見せば欧州は腕力の世界なり。少しくこれを観察するときには裏面にはさらに富の世界あるを見、兵と富とは二個の大勢力にして「いわゆる日月双び懸りて、(ア)乾坤を照らす」のありさまなるを見るべし。しかれどもさらに精密にこれを観察せば兵の太陽はその光輝燦爛たるがごとしといえども(1)セキキすでに斜めに西山に入らんとする絶望的のものにして、かの富の太陽は紅輪(イ)杲々としてまさに半天に躍り上らんとする希望的のものなるを見るべし。しかして今さらに一層の思考を凝らすときはこの絶望的の光輝も、(ウ)畢竟するにかの希望的の光輝に反映して(エ)霎時に幻出したるものにして、これをたとえばかの月はもとより光輝なきものなれどもただ太陽の光輝に反映して美妙の光を放つがごときを見るべし。それ月の光は太陽の光なり。もし太陽の光を除き去らば月光とて別に見るべきものはあらざるなり。今日において兵の勢力あるは富の勢力を仮りたればなり。もし富の勢力を除き去らば兵の勢力とて別に見るべきものはあらざるべし。おもうに世の活眼家はこの道理をたやすく承認すべし。
・・・頼襄曰く「余かつて東西を歴遊し、その山河起伏するところを考え、おもえらくわが邦の地脈東北より来たりて、ようやく西すればようやく小なり。これを人身にたとうれば、陸奥、出羽はその首なり。甲斐・信濃はその背なり。関東八州および東海諸国はその胸腹、しかして京畿はその (2)ヨウデンなり。山陽南海より西に至っては股のみ、脛のみ」と。吾人はこの比喩のはたして当を得たるや否やを知らず。しかれども実にわが邦の地形はもっとも不同にして東北より西南に向かって蜒々として一の(3)セイテイ形をなし、山岳うちに秀で、河海外を(オ)繞るがゆえに、その風土もおのずから適度の不同を得、これがために社会生産の発達を刺衝する、一にして足らず。それ形勢の不同よりして上古のギリシアは文明の先鞭者となれり。しからばいずくんぞ今日においてわが邦の前途を疑うものあらんや。しかしてかつわが邦人民はさらに一の記憶しかつ注意せざるべからざることあり。なんぞや曰くわが邦は島国なることこれなり。
・・・およそ政治上においても、経済上においても、媚びを呈し、(4)テンを献じ、百怜千悧、みずから幇間者流をもって任ずるの輩は、深く責むるにも足らず。ただ吾人が朋友味方とも思い、たのもしき人々と親信する、いわゆる自由の弁護者、民権の率先者、天下の志士をもって任じ、慷慨悲歌みずから禁ずるあたわざる正義諸君子の挙動に関しても、はなはだ敬服の情を表するあたわざるものなり。
 そもそもこの諸君子は純乎たる急進自由の率先者なればその政治上の意見・議論・運動・行為は徹上徹下、ただ自由主義と相始終するこそ志士の本色とも、真面目ともいうべきなれども、退いてその私を省みれば、なるほど自由主義は自由主義に相違なかるべしといえどもわが邦一種特別の自由主義にして、いわゆる江南の橘もこれを江北に移せば(カ)枳となるがごとく、アングロサクソンの自由主義もこれをわが邦に移せばおのずからその性質を一変し、むしろこれを日本流もしくは封建的の自由主義といわざるべからざるがごとき異相を呈したり。なんとなればかの諸君子は平生は諤々として単純なる自由民権の主義を論弁するにかかわらず、たちまち隣国に事あれば曰くなんぞすみやかに長白山頭の雲を踏み破って四百余州を蹂躙せざるやと。それ外戦ひとたび開かば、政府の権力いよいよ増大ならざるを得ず。政府の権力いよいよ増大なるときは一己人民の権力いよいよ減少せざるを得ず。武備機関いよいよ膨脹するときには生産機関はいよいよ収縮せざるを得ず、常備軍の威勢飛んで天を圧するときは、人民の権理舞うて地に墜つるのときなりといわざるをえず。しかるにかの諸君子はかかることを思うや思わざるや、人民の利害(5)キュウセキをば児戯のごとくに見なし、ただただ開戦論を主張し、ひとりこれにとどまらず、あわせてこれを実行せんと欲し、あるいは義捐金をなし、あるいは従軍の嘆願をなし、あるいは猛激粗暴なる檄文を投じ、あるいは(6)キゲキ無謀なる挙動をなし、(7)テンとしてみずから怪しまず、かえって志士の本色となすがごときはなんぞや。しかしてまた傍観者のこれを擯斥せざるのみならず、かえって喝采鼓舞するものあるはなんぞや。・・・」

B.「津下四郎左衛門」(森鴎外)
「・・・津下四郎左衛門は私の父である。(私とは誰かと云ふことは下に見えてゐる。)しかし其名は只聞く人の耳に空虚なる固有名詞として響くのみであらう。それも無理は無い。世に何の貢献もせずに死んだ、(キ)艸木と同じく朽ちたと云はれても、私はさうでないと弁ずることが出来ない。
 かうは云ふものの、若し私がここに一言を附け加へたら、人が、「ああ、さうか」とだけは云つてくれるだらう。其その一言はかうである。「津下四郎左衛門は横井平四郎の首を取つた男である。」
 丁度世間の人が私の父を知らぬやうに、世間の人は皆横井平四郎を知つてゐる。熊本の小楠先生を知つてゐる。
 私の立場から見れば、横井氏が栄誉あり(8)ケイショウある家である反対に、津下氏は恥辱あり(9)オウキュウある家であつて、私はそれを歎かずにはゐられない。
 此の禍福とそれに伴ふ晦顕とがどうして生じたか。私はそれを推し窮めて父の冤を雪ぎたいのである。
 徳川幕府の(ク)末造に当つて、天下の言論は尊王と佐幕とに分かれた。苟も気節を重んずるものは皆尊王に趨つた。其時尊王には攘夷が附帯し、佐幕には開国が附帯して唱道せられてゐた。どちらも二つ宛のものを一つ一つに引き離しては考へられなかつたのである。私は引き離しては考へられなかつたと云ふ。是れは群集心理の上から云ふのである。
・・・四郎左衛門は勇戦隊にゐるうちに、義戦隊長藤島政之進の下に参謀のやうな職務を取つてゐた上田立夫と心安くなつた。二人が会合すれば、いつも尊王攘夷の事を談じて慷慨し、所謂万機一新の朝廷の措置に、動もすれば(10)インジュンの形迹が見はれ、外国人が分外の尊敬を受けるのを(ケ)慊らぬことに思つた。それは議定参与の人々の間には、初から開国の下心があつて、それが漸く施政の上に発露して来たからである。
 或る日二人は相談して、藩籍を脱して京都に上ることにした。偕に(コ)輦轂の下に住んで、親しく政府の施設を見ようと云ふのである。二人の心底には、秕政の根本を窮めて、君側の奸を発見したら、直ちにこれを除かうと云ふ企図が、早くも此の時から萌してゐた。
 二人は京都に出た。さて議定参与の中で、誰が洋夷に心を傾けてゐるかと探つて見た。其時二人の目に奸人の巨魁として映じたのは、三月に徴士となつて熊本から入京し、制度局の判事を経て、参与に進んだ横井平四郎であつた。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)夕暉 (2)腰臀 (3)蜻蜓 (4)諂 (5)休戚 (6)詭激 (7)恬 (8)慶祥 (9)殃咎 (10)因循
(ア)けんこん (イ)こうこう (ウ)ひっきょう (エ)しょうじ (オ)めぐ (カ)からたち (キ)そうもく (ク)ばつぞう (ケ)あきた (コ)れんこく
👍👍👍 🐑 👍👍👍

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漢検1級 27-③に向けて その62  文章題訓練㉘&㉙

2015年12月09日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その62>
●夏目漱石の「一夜」から2題・・・。漢字は難しくはないんだけどなあ・・・。
●ちょっと難か・・・なんとか80%(24点)程度はとりたい・・・。

●文章題㉘:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「一夜」(夏目漱石)―その1―

「美くしき多くの人の、美くしき多くの夢を……」と(ア)髯ある人が二たび三たび(1)ビギンして、あとは思案の体である。灯に写る床柱にもたれたる直き背の、この時少しく前にかがんで、両手に抱いだく膝頭に険しき山が出来る。佳句を得て佳句を続ぎ能わざるを恨みてか、黒くゆるやかに引ける眉の下より安からぬ眼の色が光る。
「描けども成らず、描けども成らず」と椽(えん)に端居して天下晴れて(2)アグラかけるが繰り返す。兼ねて覚えたる禅語にて即興なれば間に合わすつもりか。剛(こわ)き髪を五分に刈りて髯貯えぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦し(イ)了わって、からからと笑いながら、室の中なる女を顧みる。
 (3)タケカゴに熱き光を避けて、微かにともすランプを隔てて、右手に違い棚、前は緑り深き庭に向えるが女である。
「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹を枠に張って、縫いにとりましょ」と云いながら、白地の浴衣に片足をそと崩せば、小豆皮の座布団を白き甲が滑り落ちて、なまめかしからぬほどは(4)エンなる居ずまいとなる。
「美しき多くの人の、美しき多くの夢を……」と膝抱く男が再び吟じ出すあとにつけて「縫いにやとらん。縫いとらば誰に贈らん。贈らん誰に」と女は(ウ)態とらしからぬ様ながらちょと笑う。やがて朱塗の団扇の柄にて、乱れかかる頬の黒髪をうるさしとばかり払えば、柄の先につけたる紫のふさが波を打って、緑り濃き香油の薫りの中に躍り入る。
「我に贈れ」と髯なき人が、すぐ言い添えてまたからからと笑う。女の頬には乳色の底から捕えがたき笑の渦が浮き上って、瞼にはさっと薄き紅を溶く。
「縫えばどんな色で」と髯あるは真面目にきく。
「絹買えば白き絹、糸買えば銀の糸、金の糸、消えなんとする虹の糸、夜と昼との界なる夕暮の糸、恋の色、恨みの色は無論ありましょ」と女は眼をあげて床柱の方を見る。愁いを溶いて錬り上げし珠の、烈しき火には堪えぬほどに涼しい。愁いの色は昔から黒である。
 隣へ通う路次を境に植え付けたる四五本の(エ)檜に雲を呼んで、今やんだ五月雨がまたふり出す。丸顔の人はいつか布団を捨てて椽(えん)より両足をぶら下げている。「あの木立は枝を卸した事がないと見える。梅雨もだいぶ続いた。よう飽きもせずに降るの」と独り言ごとのように言いながら、ふと思い出した体にて、吾が膝頭を(オ)丁々と平手をたてに切って敲く。「(カ)脚気かな、脚気かな」
 残る二人は夢の詩か、詩の夢か、ちょと解しがたき話の(キ)緒をたぐる。
「女の夢は男の夢よりも美しかろ」と男が云えば「せめて夢にでも美しき国へ行かねば」とこの世は汚れたりと云える顔つきである。「世の中が古くなって、よごれたか」と聞けば「よごれました」と・・・・・。「古き壺には古き酒があるはず、味わいたまえ」と男も(5)ガチョウの翼を畳んで(6)シタンの柄をつけたる羽団扇で膝のあたりを払う。「古き世に酔えるものなら嬉しかろ」と女はどこまでもすねた体である。
 この時「脚気かな、脚気かな」としきりにわが足を(ク)玩べる人、急に膝頭をうつ手を挙げて、叱と二人を制する。三人の声が一度に途切れる間をククーと鋭き鳥が、檜の上枝を掠めて裏の禅寺の方へ抜ける。ククー。
「あの声がほととぎすか」と羽団扇を棄ててこれも椽側(えんがわ)へ這い出す。見上げる軒端を斜めに黒い雨が顔にあたる。脚気を気にする男は、指を立てて(7)ヒツジサルの方をさして「あちらだ」と云う。鉄牛寺の本堂の上あたりでククー、ククー。
「一声でほととぎすだと覚る。二声で好い声だと思うた」と再び床柱に倚りながら嬉しそうに云う。この髯男は(ケ)杜鵑を生れて初めて聞いたと見える。「ひと目見てすぐ(8)ホれるのも、そんな事でしょか」と女が問をかける。別に恥しと云う気色も見えぬ。五分刈は向き直って「あの声は胸がすくよだが、ホれたら胸は(9)ツカえるだろ。ホれぬ事。ホれぬ事……。どうも脚気らしい」と(コ)拇指で向う脛へ力穴をあけて見る。「九仞の上に(10)イッキを加える。加えぬと足らぬ、加えると危うい。思う人には逢わぬがましだろ」と羽団扇がまた動く。「しかし鉄片が磁石に逢うたら?」「はじめて逢うても会釈はなかろ」と拇指の穴を逆に撫でて澄ましている。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)微吟 (2)胡坐 (3)竹籠 (4)艶 (5)鵞鳥 (6)紫檀 (7)坤(「未申」でも可か) (8)惚 (9)痞(「閊」でも可か) (10)一簣
(ア) ひげ(ほおひげ) (イ)お (ウ)わざ (エ)ひのき (オ)ちょうちょう (カ) かっけ (キ)いとぐち (ク)もてあそ (ケ)ほととぎす (コ)おやゆび(原文ルビによる。「ボシ」で可か。)
(参考)「丁丁(ちょうちょう)」=物をつづけて打つ音。「丁丁(とうとう」=①斧で木を伐る音。②碁を打つ音。また、琴の音。*いずれも広辞苑から。
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●文章題㉙:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「一夜」(夏目漱石)―その2―

「・・・ 「わしのはこうじゃ」と話がまた元へ返る。火をつけ直した蚊遣の煙が、筒に穿てる三つの穴を洩れて三つの煙となる。「今度はつきました」と女が云う。三つの煙が蓋の上に塊って茶色の球が出来ると思うと、雨を帯びた風が颯と来て吹き散らす。塊まらぬ間に吹かるるときには三つの煙が三つの輪を描いて、黒塗に(1)マキエを散らした筒の周囲を(ア)遶る。あるものは緩く、あるものは疾く遶る。またある時は輪さえ描く隙なきに乱れてしまう。「(2)ダビだ、ダビだ」と丸顔の男は急に焼場の光景を思い出す。「蚊の世界も楽じゃなかろ」と女は人間を蚊に比較する。元へ戻りかけた話しも蚊遣火と共に吹き散らされてしもうた。話しかけた男は別に語りつづけようともせぬ。世の中はすべてこれだと疾うから知っている。
「御夢の物語は」とややありて女が聞く。男は傍らにある(3)ヨウヒの表紙に朱で書名を入れた詩集をとりあげて膝の上に置く。読みさした所に象牙を薄く削った紙小刀が挟んである。巻に余って長く外へ食み出した所だけは細かい汗をかいている。指の(イ)尖で触ると、ぬらりとあやしい字が出来る。「こう湿気てはたまらん」と眉をひそめる。女も「じめじめする事」と片手に袂の先を握って見て、「香でも焚きましょか」と立つ。夢の話はまた延びる。
 宣徳の香炉に紫檀の蓋があって、紫檀の蓋の真中には猿を彫んだ青玉のつまみ手がついている。女の手がこの蓋にかかったとき「あら蜘蛛が」と云うて長い袖が横に靡く、二人の男は共に床の方を見る。香炉に隣る白磁の(4)ヘイには蓮の花がさしてある。昨日の雨を蓑着て剪りし人の情を床に眺むる(ウ)莟は一輪、巻葉は二つ。その葉を去る三寸ばかりの上に、天井から白金の糸を長く引いて一匹の蜘蛛が――すこぶる(5)ガだ。
「蓮の葉に蜘蛛下りけり香を焚く」と吟じながら女一度に数弁を(エ)攫んで香炉の裏になげ込む。・・・
・・・「夢の話を蜘蛛もききに来たのだろ」と丸い男が笑うと、「そうじゃ夢に画を活かす話じゃ。ききたくば蜘蛛も聞け」と膝の上なる詩集を読む気もなしに開く。眼は文字の上に落つれども(6)トウリに映ずるは詩の国の事か。夢の国の事か。
「百二十間の廻廊があって、百二十個の(7)トウロウをつける。百二十間の廻廊に春の潮が寄せて、百二十個のトウロウが春風にまたたく、(オ)朧の中、海の中には大きな華表(とりい)が浮ばれぬ巨人の化物のごとくに立つ。……」
・・・「ありがとう」と云う女の眼の中には憂をこめて笑の光が漲る。
 この時いずくよりか二疋の蟻が這い出して一疋は女の膝の上に攀じ上る。おそらくは戸迷いをしたものであろう。上がり詰めた上には獲物もなくて下り路をすら失うた。女は驚いた様もなく、うろうろする黒きものを、そと白き指で軽く払い落す。落されたる拍子に、はたと他の一疋と(カ)高麗縁の上で出逢う。しばらくは首と首を合せて何かささやき合えるようであったが、このたびは女の方へは向わず、古伊万里の菓子皿を端まで同行して、ここで右と左へ分れる。三人の眼は期せずして二疋の蟻の上に落つる。髯なき男がやがて云う。
・・・ 「造り花なら(8)ランジャでも焚き込めばなるまい」これは女の申し分だ。三人が三様の解釈をしたが、三様共すこぶる解しにくい。
「珊瑚の枝は海の底、薬を飲んで毒を吐く軽薄の児」と言いかけて吾に帰りたる髯が「それそれ。合奏より夢の続きが肝心じゃ。――画から抜けだした女の顔は……」とばかりで口ごもる。
「描けども成らず、描けども成らず」と丸き男は調子をとりて軽く銀椀を叩く。葛餅を獲たる蟻はこの響きに度を失して菓子椀の中を右左へ馳け廻る。
「蟻の夢が醒めました」と女は夢を語る人に向って云う。
「蟻の夢は葛餅か」と相手は高からぬほどに笑う。
「抜け出ぬか、抜け出ぬか」としきりに菓子器を叩くは丸い男である。
・・・五月雨に四尺伸びたる女竹の、(キ)手水鉢の上に蔽い重なりて、余れる一二本は高く軒に逼れば、風誘うたびに戸袋をすって椽(えん)の上にもはらはらと所択ばず緑を滴らす。「あすこに画がある」と葉巻の煙をぷっとそなたへ吹きやる。
 床柱に懸けたる(ク)払子の先には焚き残る香の煙が染み込んで、軸は若冲の(9)ロガンと見える。雁の数は七十三羽、蘆は固より数えがたい。籠ランプの灯を浅く受けて、深さ三尺の床なれば、古き画のそれと見分けのつかぬところに、あからさまならぬ趣がある。「ここにも画が出来る」と柱に靠れる人が振り向きながら眺める。
・・・「画になるのもやはり骨が折れます」と女は二人の眼を嬉しがらしょうともせず、膝に乗せた右手をいきなり後へ廻して体をどうと斜めに反らす。丈長き黒髪がきらりと灯を受けて、さらさらと青畳に(ケ)障る音さえ聞える。
「南無三、好事魔多し」と髯ある人が軽く膝頭を打つ。「刹那に千金を惜しまず」と髯なき人が葉巻の飲み殻を庭先へ抛(たた)きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、(10)ヒを伝う雨点の音のみが高く響く。蚊遣火はいつの間にやら消えた。
「夜もだいぶ更けた」
「ほととぎすも鳴かぬ」
「寝ましょか」
 夢の話はつい中途で流れた。三人は思い思いに(コ)臥床に入る。
 三十分の後、彼らは美くしき多くの人の……と云う句も忘れた。ククーと云う声も忘れた。蜜を含んで針を吹く隣りの合奏も忘れた、蟻の灰吹を攀じ上った事も、蓮の葉に下りた蜘蛛の事も忘れた。彼らはようやく太平に入る。
 すべてを忘れ尽したる後、女はわがうつくしき眼と、うつくしき髪の主である事を忘れた。一人の男は髯のある事を忘れた。他の一人は髯のない事を忘れた。彼らはますます太平である。・・・」(三十八年七月二十六日)
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)蒔絵 (2)荼毘 (3)羊皮 (4)瓶 (5)雅 (6)瞳裏 (7)灯籠 (8)蘭麝 (9)蘆雁 (10)樋 
(ア)めぐ (イ)さき (ウ)つぼみ (エ)つか (オ)おぼろ (カ)こうらいべり (キ)ちょうずばち (ク)ほっす (ケ)さわ (コ)ふしど 
👍👍👍 🐑 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その60  文章題訓練㉗

2015年12月08日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その60>
●夏目漱石の「イズムの功過」・・・。
●難度は並みか・・・80%(24点)以上が目標・・・。

●文章題㉗:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「イズムの功過」(夏目漱石)
「大抵のイズムとか主義とかいうものは無数の事実を(1)キチョウメンな男が束にして頭の(ア)抽出へ入れやすいように(イ)拵えてくれたものである。一纏めにきちりと片付いている代りには、出すのが(2)オックウになったり、(ウ)解くのに手数がかかったりするので、いざという場合には間に合わない事が多い。大抵のイズムはこの点において、実生活上の行為を直接に支配するために作られたる指南車というよりは、吾人の知識欲を充たすための統一函である。文章ではなくって字引である。
 同時に多くのイズムは、零砕の類例が、比較的緻密な頭脳に(3)ロカされて(4)ギョウケツした時に取る一種の形である。形といわんよりはむしろ輪廓である。中味のないものである。中味を棄てて輪廓だけを畳み込むのは、(エ)天保銭を脊負う代りに紙幣を懐にすると同じく小さな人間として軽便だからである。
 この意味においてイズムは会社の決算報告に比較すべきものである。更に生徒の学年成績に匹敵すべきものである。僅か一行の数字の裏面に、僅か二位の得点の背景に殆どありのままには繰返しがたき、多くの時と事と人間と、その人間の努力と悲喜と(5)セイハイとが潜んでいる。
 従ってイズムは既に経過せる事実を土台として成立するものである。過去を総束するものである。経験の歴史を簡略にするものである。与えられたる事実の輪廓である。型である。この型を以て未来に臨むのは、天の展開する未来の内容を、人の頭で拵えた器に盛り終(おお)せようと、あらかじめ待ち設けると一般である。器械的な自然界の現象のうち、尤も単調な重複を(オ)厭わざるものには、すぐこの型を応用して実生活の便宜を計る事が出来るかも知れない。科学者の研究が未来に反射するというのはこのためである。しかし人間精神上の生活において、吾人がもし一イズムに支配されんとするとき、吾人は直ちに与えられたる輪廓のために生存するの苦痛を感ずるものである。単に与えられたる輪廓の方便として生存するのは、(6)ケイガイのために器械の用をなすと一般だからである。その時わが精神の発展が自個天然の法則に(カ)遵って、自己に真実なる輪廓を、自らと自らに付与し得ざる屈辱を憤る事さえある。
 精神がこの屈辱を感ずるとき、吾人はこれを過去の輪廓がまさに崩れんとする前兆と見る。未来に引き延ばしがたきものを引き延ばして無理にあるいは盲目的に利用せんとしたる罪過と見る。
 過去はこれらのイズムに因って支配せられたるが故に、これからもまたこのイズムに支配せられざるべからずと(7)オクダンして、一短期の過程より得たる輪廓を胸に蔵して、凡てを断ぜんとするものは、升を抱いて高さを計り、かねて長さを(キ)量らんとするが如き暴挙である。
 自然主義なるものが起って既に五、六年になる。これを口にする人は皆それぞれの根拠あっての事と思う。わが知る限りにおいては、またわが了解し得たる限りにおいては(了解し得ざる論議は(ク)暫く措いて)必ずしも非難すべき点ばかりはない。けれども自然主義もまた一つのイズムである。人生上芸術上、ともに一種の因果によって、西洋に発展した歴史の断面を、輪廓にして(8)ハクサイした品物である。・・・
・・・一般の世間は自然主義を嫌っている。自然主義者はこれを永久の真理の如くにいいなして吾人生活の全面に渉って強いんとしつつある。自然主義者にして今少し手強く、また今少し根気よく猛進したなら、自ずから(ケ)覆るの未来を早めつつある事に気がつくだろう。人生の全局面を(コ)蔽う大輪廓を描いて、未来をその中に追い込もうとするよりも、(9)ボウバクたる輪廓中の一小片を堅固に(10)ハジして、其処に自然主義の恒久を認識してもらう方が彼らのために得策ではなかろうかと思う。」――明治四三、七、二三『東京朝日新聞』――
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)几帳面 (2)臆劫(億劫) (3)濾過 (4)凝結 (5)成敗(参考:「成敗(セイバイ)」は別義) (6)形骸 (7)臆断 (8)舶載 (9)茫漠 (10)把持 
(ア)ひきだし (イ)こしら (ウ)ほど (エ)てんぽうせん (オ)いと (カ)したが (キ)はか (ク)しばら (ケ)くつがえ (コ)おお 
👍👍👍 🐑 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その58   文章題訓練㉖

2015年12月07日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その58>
●永井荷風「梅雨晴」から・・・それほど難解な文章ではありません。
●80%(24点)以上は取りたいところ・・・・。

●文章題㉖:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「梅雨晴」(永井荷風)

「・・・森先生の渋江抽斎の伝を読んで、抽斎の一子優善(やすよし)なるものがその友と相謀って父の蔵書を持ち出し、酒色の資となす記事に及んだ時、わたしは自らわが過去を顧みて(ア)慚悔の念に堪えなかった。
 天保の世に抽斎の子のなした所は、明治の末にわたしの為したところとよく似ていた。抽斎の子は飛蝶と名乗り寄席の高座に上って身振(イ)声色をつかい、また大川に舟を浮べて影絵芝居を演じた。わたしは朝寝坊夢楽という落語家の弟子となり夢之助と名乗って前座をつとめ、毎月師匠の持席の変るごとに、引幕を(ウ)萌黄の大風呂敷に包んで背負って歩いた。明治三十一、二年の頃のことなので、まだ電車はなかった。
 当時のわたしを知っているものは井上唖々子ばかりである。唖々子は今年六月のはじめ突然病に伏して、七月十一日の朝四十六歳を以て世を謝した。
 二十年前わたしの唖々子における関係は、あたかも抽斎の子のその友某におけると同じであった。
 六月下旬の或日、めずらしく晴れた梅雨の空には、風も凉しく吹き通っていたのを幸い、わたしは唖々子の病を東大久保西向天神の傍なるその僦居(注)に問うた。枕元に有朋堂文庫本の『先哲叢談』が投げ出されてあった。唖々子は英語の外に独逸語にも通じていたが、晩年には専ら漢文の書にのみ親しみ、現時文壇の新作等には見向きだもせず、常にその言文一致の陋なることを憤っていた。
 わたしは抽斎伝の興味を説き、伝中に現れ来る(1)トウシのわれらがむかしに似ていることを語った。唖々子は既に形容(2)ココウして一カ月前に見た時とは別人のようになっていたが、しかし談話はなお平生と変りがなかったので、夏の夕陽の枕元にさし込んで来る頃まで倶に旧事を談じ合った。(3)ナイシはわれわれの談話の奇怪に渉るのを知ってか後堂にかくれて姿を見せない。庭に飼ってある鶏が一羽縁先から病室へ上って来て菓子鉢の中の菓子を啄みかけたが、二人はそんな事にはかまわず話をつづけた。
(注)僦居(しゅうきょ):借家住まいをすること
・・・路傍にしゃがんで休みながらこんな話をした。その頃われわれが漢籍の種別とその価格とについて少しく知る所のあったのは、わたしと倶に支那語を学んでいた島田のおかげである。ここに少しく彼について言わなければならない。島田、名は翰(かん)、自ら元章と字していた。世に知られた4)シュクジュ篁村先生の次男で、われわれとは小学校からの友である。翰は一時神童といわれていた。われわれが漢文の教科書として『文章軌範』を読んでいた頃、翰は(エ)夙に唐宋諸家の中でも殊に王荊公の文を(オ)諳んじていたが、性質(5)キョウカンにして校則を守らず、漢文の外他の学課は悉く棄てて顧みないので、試業の度に落第をした結果、遂に学校でも持てあまして卒業証書を授与した。強面に中学校を出たのは翰とわたしだけであろう。わたしの事はここに言わない。翰は平生手紙をかくにも、むずかしい漢文を用いて、同輩を困らせては喜んでいたが、それは他日大いにわたしを(6)ヒエキする所となった。わたしは西洋文学の研究に(カ)倦んだ折々、目を支那文学に移し、殊に清初詩家の随筆(7)ショトクなぞを読もうとした時、さほどに苦しまずしてその意を解することを得たのは今は既に世になき翰の (キ)賚であると言わねばならない。
・・・事は直ちに成った。二人は意気揚々として九段坂を下り車を北廓に飛した。
・・・腕車(注)と(8)ケンヨ(注)と物は既に異っているが、昔も今も、(9)ホウトウの子のなすところに変りはない。トウシのその(10)シュウコウを蔽うに詩文の美を借来らん事を欲するのも古今また相同じである。揚州十年の痴夢より一覚する時、(ク)贏ち得るものは青楼薄倖の名より他には何物もない。病床の談話はたまたま樊川(はんせん)の詩を言うに及んでここに尽きた。
 縁側から上って来た鶏は人の追わざるに再び庭に下りて頻りに友を呼んでいる。日暮の餌をあさる鶏には、菓子鉢の菓子は甘すぎたのであろう。
 唖々子は既にこの世にいない。その俳句文章には誦すべきものが(ケ)尠なくない。子は別に不願醒客と号した。白氏の自ら酔吟先生といったのに倣ったのであろうか。子の著『猿論語』、『酒行脚』、『裏店列伝』、『烏牙庵漫筆』、皆酔中に筆を(コ)駆ったものである。
 わたしは子の遺稿を再読して世にこれを紹介する機会のあらんことを望んでいる・・・」
(注)腕車:人力車の別称 (注)ケンヨ:駕籠、乗物のこと。
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)蕩子 (2)枯槁 (3)内子 (4)宿儒 (5)驕悍 (6)裨益 (7)書牘 (8)肩輿 (9)放蕩 (10)醜行 
(ア)ざんかい (イ)こわいろ (ウ)もえぎ (エ)つと (オ)そら (カ)う (キ)たまもの (ク)か (ケ)すく (コ)か 
*内子:「・・・②自分の妻の称。」(広辞苑)
👍👍👍 🐑 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて  その56  文章題訓練㉔&㉕

2015年12月06日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その55>
●饗庭篁村の「良夜」から2題・・・。たまにはこういう古くさい文章も新鮮です(^^)
●難度は並みレベルでしょうか・・・80%(24点)以上が目標・・・。

●文章題㉔:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「良夜」(饗庭篁村) その1

「予は越後三条の生れなり。父は農と商を兼ねたり。伯父は春庵とて医師なり。余は父よりは伯父に愛せられて、幼きより手習い学問のこと、皆、伯父の世話なりし。自ら言うは異な事なれど、予は物覚えよく、一を聞て二三は知るほどなりしゆえ、伯父はなお身を入れてこの子こそ穂垂という家の苗字を世に知らせ、またその生国としてこの地の名をも挙るものなれとて、いよいよ珍重して教えられ、人に逢えばその事を吹聴さるるに予も嬉しき事に思い、ますます学問に身を入れしゆえ、九歳の時に神童と言われ、十三の年に小学校の助教となれり。父の名誉、伯父の面目、予のためには三条の町の町幅も狭きようにて、この所ばかりか近郷の褒め草。ある時、県令学校を巡廻あり。予が講義を聴かれて「(ア)天晴(イ)慧しき子かな、これまで巡廻せし学校生徒のうちに比べる者なし」と校長に語られたりと。予この事を洩れ聞きてさては我はこの郷に冠たるのみならず、新潟県下第一の(1)シュンケツなりしか、この県下に第一ならば全国の英雄が集まる東京に出るとも第二流には落つまじと俄かに気強くなりて、密かに我腕を我と握りて打笑みたり。この頃の考えには学者政治家などという区別の考えはなく、豪傑英雄という字のみ予が胸にはありしなり。さりければなおさらに学問を励み、新たに来る教師には難問をかけて閉口させ、後には父にも伯父にも口を開かせぬ程になり、十五の歳新潟へ出て英学をせしが教師の教うるところ低くして予が心に満足せず。八大家文を読み論語をさえ講義し天下を(2)ケイリンせんとする者が、オメオメと猿が手を持つ蟻が臑を持つの風船に乗って旅しつつ廻るのと、(3)ジギに類する事を学ばんや。東京に出でばかかる事はあるまじ。龍は深淵にあらねば潜れず、東京へ出て我が才識を研ぎ世を驚かすほどの大功業を建てるか、天下第一の大学者とならんと一詩をのこして新潟の学校を去り在所にかえりて伯父に出京の事を語りしに、伯父は眉を(ウ)顰め、「東京にて勉学の事は我も汝に望むところなり、しかしまだ早し、卑近なり」とて「字を知り語を覚ゆるだけの方便なり。今二三年は新潟にて英学をなしその上にて東京へ出でよ、学問は所にはよらじ、上磨きだけを東京にてせよ」と止められ、志を屈して一年程は独学したれど、はしる馬の如き出京の志、弱き手綱に繋ぐべきにあらず。十七の春なりし。・・・
 穂垂の息子が東京へエライ者になりに行くぞ目出とう送りてやれよとて、親族よりの(4)センベツ見送り、父はそれらに勇みを付けて笑いを作りて居られたれど、母はおろおろとして、「宜いかエ周吉、気をお付けなさいよ、早く帰ってお出でよ」と同じ言を繰り返されたり。予は(5)ガイセンの将の如く得々として伯父より譲られたる銀側の時計をかけ革提を持ち、「皆様御健勝で」と言うまでは勇気ありしが、この暇乞いの語を出し終りたる後は胸一杯、言うべからざる(6)アンシュウを醸し生じたり。自ら呼吸を強くし力足を踏み、町はずれまで送りし人々の影を見かえり勝ちに明神の森まで来りしが、この曲りの三股原に至り、またつとめて勇気を振い起し大願成就なさしめたまえと明神の(エ)祠(7)ヨウハイして、おぼつかなき旅に上りぬ。(8)ロヨウとして六円余、また東京へ着して三四ヶ月の分とて三十円、母が縫いて与えられし腹帯と見ゆる(オ)鬱金木綿の胴巻に入れて膚にしっかと着けたり。
・・・翌朝騒がしくまた慌ただしく(カ)催されて馬車に乗る。乗ればなかなか馬車は出ず。やがて九時にもならんとする頃一鞭あてて走り出せしが、そのガタガタさその危なさ腰を馬車台に打ちて宙に跳ね上りあたかも人間を(キ)鞠にして弄ぶが如し。目は眩み腹は揉める。死なざりし事を幸いとして、東京神田万世橋の傍らへ下ろされたり。この時の予はもとの新潟県下第一の豪傑穂垂周吉にあらずして、唖然たる痴呆の一書生なり。馬車の動揺に精神を(9)コウランし、単純なる空気を呼吸したる肺臓は砂煙りに混じたる汚濁(ク)臭穢の空気を吸い込み、馬車人力車の(10)トドロきさながらに地獄の如く、各種商店の飾りあだかも極楽の荘厳の如く恍然として東西を弁ぜず、乱雑して人語を明らめがたし。我自ら我身を顧りみれば(ケ)孑然として小虫の如く、車夫に罵られ(コ)馬丁に叱られ右に避け左にかがまりて、ようやくに志す浅草三間町へたどり着きたり。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)俊傑 (2)経綸 (3)児戯 (4)餞別 (5)凱旋 (6)暗愁 (7)遙拝 (8)路用 (9)撹乱 (10)轟 
(ア)あっぱれ (イ)さと (ウ)ひそ (エ)ほこら (オ)うこん (カ)うなが (キ)まり (ク)しゅうわい・しゅうあい (ケ)げつぜん・けつぜん (コ)ばてい 
👍👍👍 🐑 👍👍👍

●文章題㉕:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「良夜」(饗庭篁村) その2

「・・・月日の経つは活字を拾うより速かに、器械の廻るより早し。その年の夏となりしが四五月頃の気候のよき頃はさてありしも、六七月となりては西洋擬(なぞら)いの外見(1)レンガ蒸暑きこと言わん方なく、蚤の多きことさながらに足へ植えたるごとし。呉牛の喘ぎ苦しく胡馬の(ア)嘶きを願えども甲斐なし。夜はなおさら昼のホテリの残りて堪えがたければ迚も寝られぬ事ならば、今宵は月も明らかなり、夜もすがら涼み歩かんと十時ごろより立ち出で、観音へ参詣して吾妻橋の上へ来り。四方を眺むれば橋の袂に焼くもろこしの匂い、煎豆の音、氷屋の呼声かえッて熱さを加え、立売の西瓜日を視るの想あり。半ば渡りて立ち止り、欄干に倚りて眺むれば、両岸の家々の火、水に映じて涼しさを加え、いずこともなく聞く絃声流るるに似て清し。月あれども地上の光天をかすめて無きが如く、来往の船は自ら点す燈におのが形を示し、棹に砕けてちらめく火影櫓行く跡に白く引く波、見る者として皆な暑さを忘るる物なるに、まして川風の肌に心地よき、汗に濡れたる単衣をここに始めて乾かしたり。紅蓮の魚の仏手に掏い出されて無熱池に放されたるように我身ながら快よく思われて、造化広大の恩人も木も石も金もともに(イ)燬くるかと疑わるる炎暑の候にまたかくの如く無尽の涼味を貯えて人の取るに任すとは有難き事なりと、古人の作中、得意の詩や歌を誦するともなく謡うともなくうめきながら欄干を撫でつつ歩むともなくたたずむともなく立ち戻り居るに、往来の人はいぶかしみ、しばしば見かえりて何か詞をかけんとして思いかえして行く老人あり、振りかえりながら「死して再び花は咲かず」と(2)リカを低声に唄うて暗に死をとどむる如く(ウ)誡め行く職人もあり。老婆などはわざわざ立ちかえりて、「お前さんそこにそうよっかかって居ては危のうございますよ、危ないことをするものではありませんよ」と(3)ジュンジュンと諭さるる深切。さては我をこの橋上より身を投ずる者と思いてかくねんごろには言わるるよと心付きて恥かしく、人の来るを見れば歩きてその疑いを避くるこの心遣い出来てより、涼しさ元のごとくならず。されどこの清風明月の間にしばらくなりと居た者が活版所へ戻りて半夜なりとて明かさるべきにあらねば、次第に更けて人の通りの少なくなるを心待にして西へ東へと行きかえるうち、巡行の巡査の見咎むるところとなり、「御身は何の所用ありてこの橋上を徘徊さるるぞ」と問われたり。予もこの頃は巡査に訊問さるるは何にかかわらず不快に感ずる頃なれば、「イヤ所用なければこそこの橋上を徘徊致すなれ」と、天晴よき返答と思いて答えたり。
・・・巡査はまた一かえりして予が未だ涼み居るを(4)ベッシして過ぎたり。金龍山の鐘の響くを欄干に背を(エ)倚せてかぞうれば十二時なり。これより(5)コウジン稀となりて両岸の火も消え漕ぎ去る船の波も平らに月の光り水にも空にも満ちて川風に音ある時となりて清涼の気味滴る計りなり。人に怪しめられ巡査に咎められ懊悩としたる気分も洗い去りて清くなりぬ。ただ看れば橋の中央の欄干に倚りて川面を覗き居る者あり。我と同感の人と頼もしく近寄れば、かの人は渡り過ぎぬ。しばしありて見ればまたその人は欄干に倚り仰いで明月は看ずして水のみ見入れるは、もしくは我が疑われたる投身の人か、我未ださる者を救いたる事なし、面白き事こそ起りたれと折しもかかる(オ)叢雲に月の光のうすれたるを幸い、足音を忍びて近づきて見れば男ならで女なり。ますます思いせまる事ありて覚悟を極めしならんと身を潜まして窺うに、幾度か欄干へ手をかけて幾度か(6)チュウチョし、やがて下駄を脱ぎすつる様子に走り倚りて抱き留めたり。振り放さんともがくを力をきわめて欄干より引き放し、「まずまず待たれよ死ぬ事はいつでもなる」詞せわしくなだむるところへ早足に巡査の来りてともに詞を添え、ともかくもと橋際の警察署へ連れ行く。(7)シサイを問えど女は袖を顔にあてて忍び音に泣くばかりなり。予に一通りシサイを問われしゆえ、得意になりてその様子を語りたり。警官は詞を和らげて種々に諭されしに、女もようやく心を翻し涙を収めて予に一礼したるこの時始めて顔を見しが、思いの外に年若く十四五なれば、浮きたる筋の事にはあるまじと憐れさを催しぬ。「死なんと決心せし次第は」と問われて口籠り、「ただ母が違うより親子の間よからず、私のために父母のいさかいの絶えぬを悲しく思いて」とばかりにて跡は言わず。
・・・巡査の証言にかの人も車夫も手持不沙汰なれば予は厚くその注意を謝し、今は我輩も帰るべしと巡査にも(カ)一揖して月と水とに別れたり。この夜の清風明月、予の感情を強く動かして、終に文学を以て世に立たんという考えを固くさせたり。
・・・懐しき父母の許より手紙届きたり。それは西風(キ)槭樹を揺がすの候にして、予はまずその郵書を手にするより父の手にて記されたる我が姓名の上に涙を落したり。書中には無事を問い、無事を知らせたるほかに袷、襦袢などを便りにつけて送るとの事、そのほか在所の細事を委しく記されたり。予よりは隠すべきにあらねば当時の境界を申し送り、人世を以て学校とすれば書冊の学校へ入らずも御心配あるなと、例の空想に(ク)聊か実歴したる着実らしき事を交えて書送りたり。折返して今度は伯父よりの手紙に、学資を失いて活版職工となりしよし驚き気遣うところなり、さらに学資も送るべし、また幸いに我が西京に留学せし頃の旧知今はよき人となりて下谷西町に住まうよし、久しぶりにて便りを得たり、別紙を持参して諸事の指揮をその人にうけよと懇ろに予が空想に走する事を誡められたり。
・・・先に茶を運びし小女は、予が先夜吾妻橋にて死をとどめたる女なりし。主公は予をまた車夫に命じて抱き止めさせし人なりし。小女は浅草清島町という所の(8)サイミンの娘なり。形は小さなれど年は十五にて(9)レイリなり。かの事ありしのち、この家へ小間使いというものに来りしとなり。貧苦心配の間に成長したれど悪びれたる所なく、内気なれど情心あり。主公は朋友の懇親会に幹事となりてかの夜、木母寺の植半にて夜を更して帰途なりしとなり。その事を言い出て大いに笑われたり。予は面目なく覚えたり。小女を見知りし事は主公も知らねば、人口を(ケ)憚りてともに知らぬ顔にて居たり。
 予はこれまでにて筆を措くべし。これよりして悦び悲しみ大(10)ユウシュウ大歓喜の事は老後を待ちて記すべし。これよりは予一人の関係にあらず。お梅(かの女の名にして今は予が敬愛の妻なり)の苦心、折々(コ)撓まんとする予が心を勤め励まして今日あるにいたらせたる功績をも叙せざるべからず。愛情のこまやかなるを記さんとしては、思わず人の嘲笑を招くこともあるべければ、それらの情冷かになりそれらの譏り遠くなりての後にまた筆を執ることを楽しむべし。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)煉瓦 (2)俚歌 (3)諄々 (4)瞥視 (5)行人 (6)躊躇 (7)仔細 (8)細民 (9)怜悧 (10) 憂愁
(ア)いなな (イ)や (ウ)いまし (エ)よ (オ)むらくも (カ)いちゆう (キ)せきじゅ (ク)いささ (ケ)はばか (コ)たわ 
👍👍👍 🐑 👍👍👍

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漢検1級 27-③に向けて その54  文章題訓練㉓

2015年12月05日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その54>
●今回は易しいかも・・・初合格をめざすチャレンジャーは80%(24点)前後が目標・・・。

●文章題㉓:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「濹東綺譚」(永井荷風)

「・・・九月も半ばちかくなったが残暑はすこしも退かぬばかりか、八月中よりも却って烈しくなったように思われた。(1)スダレ(ア)撲つ風ばかり時にはいかにも秋らしい響を立てながら、それも毎日のように夕方になるとぱったり(イ)凪いでしまって、夜はさながら関西の町に在るが如く、(ウ)深けるにつれてますます蒸暑くなるような日が幾日もつづく。
 草稿をつくるのと、蔵書を(エ)曝すのとで、案外いそがしく、わたくしは三日ばかり外へ出なかった。
 残暑の日盛り蔵書を曝すのと、風のない初冬の午後 庭の落葉を(オ)焚く事とは、わたくしが独居の生涯の最も娯しみとしている処である。(カ)曝書は久しく(2)コウカク(キ)束ねた書物を眺めやって、初め熟読した時分の事を回想し時勢と趣味との変遷を思い知る機会をつくるからである。落葉を焚く楽しみは其身の(3)シセイに在ることをしばしなりとも忘れさせるが故である。
・・・わたくしは若い時から(4)シフンの巷に入り込み、今にその非を悟らない。或時は事情に捉われて、彼女達の望むがまま家に納れて(5)キソウを把らせたこともあったが、然しそれは皆失敗に終った。彼女達は一たび其境遇を替え、其身を卑しいものではないと思うようになれば、一変して教う可からざる(6)ランプとなるか、然らざれば制御しがたい(7)カンプになってしまうからであった。
・・・濹東綺譚(ぼくとうきたん)はここに筆を(ク)擱くべきであろう。然しながら若しここに古風な小説的結末をつけようと欲するならば、半年或は一年の後、わたくしが偶然思いがけない処で、既に素人になっているお雪に(ケ)廻り逢う一節を書き添えればよいであろう。猶お又、この偶然の(8)カイコウをして更に感傷的ならしめようと思ったなら、摺れちがう自動車とか或は列車の窓から、互に顔を見合しながら、言葉を交したいにも交すことの出来ない場面を設ければよいであろう。(9)フウヨウ(10)テキカ、秋は(コ)瑟々たる刀禰河(とねがわ)あたりの渡し船で摺れちがう処などは、殊に妙であろう。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)簾 (2)高閣 (3)市井 (4)脂粉 (5)箕帚 (6)懶婦 (7)悍婦 (8)邂逅 (9)楓葉 (10)荻花 
(ア)う (イ)な (ウ)ふ (エ)さら (オ)た (カ)ばくしょ (キ)つか (ク)お (ケ)めぐ (コ)しつしつ 

👍👍👍 🐑 👍👍👍
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漢検1級 27-③に向けて その51  文章題訓練㉒

2015年12月04日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その51>
●ちょっと古くさいけど「金色夜叉」・・・
●目標は80%(24点)以上・・・・。

●文章題㉒:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「金色夜叉」(尾崎紅葉)
ー第七章ー
「・・・ 熱海は東京に比して温きこと十余度なれば、今日漸く一月の半ばを過ぎぬるに、梅林の花は二千本の梢に咲き乱れて、日に映ろへる光は(1)レイロウとして人の面を照し、路を埋むる幾斗の清香は凝りて(ア)掬ぶに堪へたり。梅の外には一木無く、処々の乱石の低く横たはるのみにて、地は坦らかに(2)セン(イ)鋪きたるやうの芝生の園の中を、玉の砕けて迸しり、(ウ)練の裂けて飜る如き早瀬の流ありて横さまに貫けり。後に負へる松杉の緑は麗かに霽れたる空を攅(さ)してその頂に方(あた)りて(エ)懶げに懸れる雲は眠むるに似たり。習(そよ)との風もあらぬに花は頻りに散りぬ。散る時に軽く舞ふを鶯は争ひて歌へり。
 宮は母親と連立ちて入り来りぬ。彼等は橋を渡りて、船板の牀几を据ゑたる木の下を指して緩く歩めり。彼の病は未だ快からぬにや、薄仮粧したる顔色も散りたる葩のやうに衰へて、足の運びも怠(たゆ)げに、動ともすれば頭の(オ)低るるを、思い出しては努めて梢を眺むるなりけり。彼の常として物案じすれば必ず唇を咬むなり。彼は今頻りに唇を咬みたりしが、・・・ 「御母さん、どうしませうねえ」
・・・」
ー続金色夜叉ー
「・・・彼は己の死ぬべきを忘れて又起てり。駈け寄る岸の柳を潜りて、水は深きか、宮は何処に、と葎の露に踏み滑る身を危くも淵に臨めば、鞺鞳と瀉ぐ早瀬の水は、駭く浪の体を尽し、乱るる流の文を捲いて、眼下に幾個の怪しき大石、かの鰲背(ごうはい)を聚めて丘の如く、その勢ひを拒がんと為れど、触るれば払ひ、当れば飜り、長波の邁くところ滔々として破らざる為き奮迅の力は、両岸も為に震ひ、坤軸も為に轟き、蹈み居る土も今にや崩れなんと疑ふところ、衣袂の雨濃やかに灑ぎ、(3)ビンパツの風 転た急なり。
 あな(4)スサまじ、と貫一は身の毛も弥竪ちて、縋れる枝を放ちかねつつ、看れば、(カ)叢の底に秋蛇の行くに似たる径有りて、ほとほと逆落しに(5)ケンガイを下るべし。危き哉と差し覗けば、茅葛の頻りに動きて、小笹棘(おざさうばら)に見えつ隠れつ段々と(6)スベり行くは、求むる宮なり。
 その死を止めんの一念より他あらぬ貫一なれば、かくと見るより心も空に、足は地を踏む(7)イトマもあらず、唯遅れじと思ふばかりよ、(キ)壑間の嵐の誘ふに委せて、驀直(ましぐら)に身を堕せり。
 或ひは(ク)摧けて死ぬべかりしを、恙無きこそ天の佑けと、彼は数歩の内に宮を追ひしが、流に浸れる巌を渉りて、既に渦巻く滝津瀬に生憎! 花は散りかかるを、 「宮!」 と後に呼ぶ声残りて、前には人の影も在らず。
 咄嗟の遅れを天に叫び、地に号(わめ)き、流に悶え、巌に狂へる貫一は、血走る眼に水を射て、此処や彼処と恋しき水屑を(ケ)覓むれば、正しく浮木芥の類とも見えざる物の、十間ばかり彼方を揉みに揉んで、波間隠れに推し流さるるは、人ならず哉、宮なるかと瞳を定むる折しもあれ、水勢其処に一段急なり、在りける影は弦を放れし箭飛びを作して、行方も知らずと胸潰るれば、忽ち遠く浮き出でたり。
 嬉しやと貫一は、道無き道の木を攀ぢ、崖を伝ひ、或ひは下りて水を踰え、石を躡み、巌を廻り、心地死ぬべく(8)ロウソウとして近づき見れば、緑樹蔭愁ひ、潺湲 声咽びて、浅瀬に繋れる宮が骸よ!
 貫一は唯その上に泣き伏したり。
 ・・・
「宮、待つてゐろ、俺も死ぬぞ! 貴様の死んでくれたのが余り嬉しいから、さあ、貫一の命も貴様に遣る!来世で二人が夫婦に成る、これが結納だと思つて、幾久しく受けてくれ。貴様も定めて本望だらう、俺も不足は少しも無いぞ」
 さらば往きて汝の陥りし淵に沈まん。沈まば諸共と、彼は宮が屍を引起して背(うしろ)に負へば、その軽きこと一片の紙に等し。怪しと見返れば、更に怪し! (9)ホウフン鼻を撲ちて、(10)イチダの白百合大いさ人面の若きが、満開の(コ)葩を垂れて肩に懸れり。・・・
 不思議に愕くと為れば目覚めさめぬ。覚むれば暁の夢なり。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍


(1)玲瓏 (2)氈 (3)鬢髪 (4)凄(凛・凜) (5)懸崖 (6)辷 (7)遑(暇) (8)踉蹌 (9)芳芬 (10)一朶 
(ア)むす (イ)し (ウ)ねりぎぬ (エ)ものう (オ)た (カ)くさむら (キ)たにま (ク)くだ (ケ)もと (コ)はな(はなびら)
👍👍👍 🐑 👍👍👍
 
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漢検1級 27-③に向けて その50  文章題訓練㉑

2015年12月03日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その50>
●福沢諭吉の「日本男子論」から・・・。
●今回も前回ほどではないが、ちょっと難度ありと思われる・・・80%(24点)以上が目標か・・・。

●文章題㉑:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「日本男子論」(福沢諭吉)

「明治十八年夏の頃、『時事新報』に「日本婦人論」と題して、婦人の身は男子と同等たるべし、夫婦家に居て、男子のみ独り快楽を専らにし独り威張るべきにあらず云々の旨を記して、数日の社説に掲げ、また十九年五月の『時事新報』「男女交際論」には、男女両性の間は肉交のみにあらず、別に情交の大切なるものあれば、両性の交際自由自在なるべき道理を陳べたるに、世上に反対論も少なくして(1)ヒケンの行われたるは、記者の喜ぶ所なれども、右の「婦人論」なり、また「交際論」なり、いずれも婦人の方を本にして論を立てたるものにして、今の婦人の有様を憐れみ、何とかして少しにてもその地位の高まるようにと思う一片の(2)バシンより筆を下したるが故に、その筆法は常に婦人の気を引き立つるの勢いを催して、男子の方に筆の(ア)鋒の向かわざりしは些(ち)と不都合にして、これを譬えば、ここに高きものと低きものと二様ありて、いずれも程好き中を得ざるゆえ、これを矯め直さんとして、ひたすらその低きものを助け、いかようにもしてこれを高くせんとて、ただ一方に苦心するのみにして、他の一方の高きに過ぐるものを低くせんとするの手段に力を尽さざりしものの如し。物の低きに過ぐるは固より宜しからずといえども、これを高くして高きに過ぐるに至るが如きは、むしろ初めのままに捨て置くに若ず。故に他の一方について高きものを低くせんとするの工風は随分(イ)難き事なれども、これを行のうて失策なかるべきが故に、この一編の文においては、かの男子の高き頭を取って押さえて低くし、自然に男女両性の釣合をして程好き中を得せしめんとの腹案を以て筆を立て、「日本男子論」と題したるものなり。
・・・主人の内行修まらざるがために、一家内に様々の風波を起こして家人の情を痛ましめ、以てその私徳の発達を妨げ、不孝の子を生じ、  (3)フテイ不友の兄弟姉妹を作るは、固より免るべからざるの結果にして、怪しむに足らざる所なれども、ここに最も憐れむべきは、家に男尊女卑の悪習を(ウ)醸して、子孫に圧制卑屈の根性を成さしむるの一事なり。男子の不品行は既に一般の習慣となりて、人の怪しむ者なしというといえども、人類天性の本心において、自ら犯すその不品行を人間の美事として誇る者はあるべからず。否、百人は百人、千人は千人、皆これを心の底に愧じざるものなし。内心にこれを愧じて外面に(4)ゴウマンなる色を装い、(5)ライラクなるが如く無頓着なるが如くにして、強いて自ら慰むるのみなれども、俗にいわゆる疵持つ身にして、常に悠々として安心するを得ず。その家人と共に一家に(6)ミンショクして団欒たる最中にも、時として禁句に触れらるることあれば、その時の不愉快は譬えんに物なし。無心の小児が父を共にして母を異にするの理由を問い、隣家には父母二人に限りて吾が家に一父二、三母あるは如何などと、不審を起こして詰問に及ぶときは、さすが鉄面皮の(7)ダイフも答うるに辞なく、ただ黙して冷笑するか顧みて他を言うのほかなし。即ちその身の弱点にして、小児の一言、寸鉄(エ)腸を断つものなり。既にこの弱点あれば常にこれを防禦するの工風なかるべからず。その策如何というに、朝夕主人の言行を厳重正格にして、家人を視ること他人の如くし、妻妾児孫をして己れに事うること奴隷の主君におけるが如くならしめ、あたかも一家の至尊には近づくべからず、その(8)キキには触るべからず、俗にいえば殿様旦那様の御機嫌は損ずべからずとして、上下尊卑の分を明らかにし、例の内行禁句の一事に至りては、言の端にもこれをいわずして、家内、目を以てするの家風を養成すること最も必要にして、この一策は取りも直さず内行防禦の胸壁とも称すべきものなり。
・・・君子の世に処するには、自ら信じ自ら重んずる所のものなかるべからず。即ち自身の他に(オ)擢んでて他人の得て我に及ばざる所のものを恃みにするの(カ)謂にして、あるいは才学の抜群なるあり、あるいは資産の非常なるあり、皆以て身の重きを成して自信自重の(キ)資けたるべきものなれども、就中、私徳の盛んにしていわゆる(9)オクロウに恥じざるの一義は最も恃むべきものにして、能くその徳義を(ク)脩めて家内に恥ずることなく戸外に憚る所なき者は、貧富・才不才に論なく、その身の重きを知って自ら信ぜざるはなし。これを君子の身の位という。洋語にいうヂグニチーなるもの、これなり。そもそも人の私徳を脩むる者は、何故に自信自重の気象を生じて、自ら天下の高所に居るやと尋ぬるに、能く難きを忍んで他人の能くせざる所を能くするが故なり。例えば読書生が徹夜勉強すれば、その学芸の進歩如何にかかわらず、ただその勉強の一事のみを以て自ら信じ自ら重んずるに足るべし。寺の僧侶が毎朝早起、経を誦し粗衣粗食して寒暑の苦しみをも憚らざれば、その事は直ちに世の利害に関係せざるも、本人の精神は、ただその(10)カンクに当たるのみを以て凡俗を目下に見下すの気位を生ずべし。天下の人皆財を貪るその中に居て独り寡慾なるが如き、詐偽の行わるる社会に独り正直なるが如き、軽薄無情の浮世に独り深切なるが如き、いずれも皆抜群の嗜みにして、自信自重の元素たらざるはなし。如何となれば、書生の勉強、僧侶のミンショクは身体の苦痛にして、寡慾、正直、深切の如きは精神の忍耐、即ち一方よりいえばその苦痛なればなり。
・・・例えばその文の大意に嫉妬の心あるべからずというも、片落ちに婦人のみを責むればこそ不都合なれども、男女双方の心得としては争うべからざるの格言なるべし。また(ケ)姦しく多言するなかれ、(コ)漫りに外出するなかれというも、男女共にその程度を過ぐるは誉むべきことにあらず。また巫覡に迷うべからず、衣服分限に従うべし、年少きとき男子と猥れ猥れしくすべからず云々は最も可なり。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)鄙見 (2)婆心 (3)不悌(「不弟」とも。兄に対して弟としての道を守らないこと) (4)傲慢 (5)磊落 (6)眠食(睡眠と食事。寝食。起居。) (7)乃父 (8)忌諱 (9)屋漏 (10)艱苦 
(ア)ほこさき (イ)かた (ウ)かも (エ)はらわた (オ)ぬき (カ)いい (キ)たす (ク)おさ (ケ)かしま (コ)みだ 
👍👍👍 🐑 👍👍👍




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漢検1級 27-③に向けて その48  文章題訓練⑳

2015年12月02日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その48>
●夏目漱石の「元日」&「思い出すことなど」から・・・。漱石は意外と云うか、ホント、むずかしい。漢字でなく、文章が・・・。
●ハッキリ言って、今回は書き問題は相当の難度と思われる・・・80%(24点)とれたら大したもの・・・・漢字自体は難しくないが・・・。
●文章題⑳:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「元日」(夏目漱石)
「元日を御目出たいものと極めたのは、一体何処の誰か知らないが、世間が夫れに雷同しているうちは新聞社が困る丈である。雑録でも短篇でも小説でも乃至は俳句漢詩和歌でも、(ア)苟も元日の紙上にあらわれる以上は、いくら元日らしい顔をしたって、元日の作でないに極まっている。尤も師走に想像を(イ)逞しくしてはならぬと申し渡された次第でないから、節季に正月らしい振をして何か書いて置けば、年内に餅を搗いといて、一夜明けるや否や雑煮として頬張る位のものには違いないが、御目出たい実景の乏しい今日、御目出たい想像などは容易に新聞社の頭に宿るものではない。それを無理に御目出たがろうとすると、所謂、太倉の粟(1)チンチン相依るという頗る目出度くない現象に腐化して仕舞う。
諸君子は已むを得ず年にちなんで、鶏の事を書いたり、犬の事を書いたりするが、これは寧ろ駄洒落を引き延ばした位のもので、要するに元日及び新年の実質とは痛痒相冒す所なき(2)カンジギョウである。いくら初刷だって、そんな無駄話で十頁も二十頁も埋られた日には、元日の新聞は単に重量に於て各社ともに競争する訳になるんだから、其の出来不出来に対する具眼の審判者は、読者のうちでただ屑屋丈だろうと云われたって仕方がない。・・・」

「思い出す事など」(夏目漱石)
「・・・当初から余に好意を表して、間接に治療上の心配をしてくれた院長はかくのごとくしだいに死に近づきつつある間に、余は不思議にも命の幅の縮まってほとんど絹糸のごとく細くなった上を、ようやく無難に通り越した・・・そうして回復の上病院を出たら礼にでも行こうと思っていた。もし病院で会えたら(ウ)篤く謝意でも述べようと思っていた。・・・
・・・考えると余が無事に東京まで帰れたのは(3)テンコウである。こうなるのが当り前のように思うのは、いまだに生きているからの悪度胸に過ぎない。生き延びた自分だけを頭に置かずに、命の綱を踏み外した人の有様も思い浮べて、幸福な自分と照らし合せて見ないと、わがありがたさも分らない、人の気の毒さも分らない・・・
・・・宮本博士が退屈をすると酸がたまると云ったごとく、忙殺されて酸が出過ぎる事も、余は親しく経験している。詮ずるところ、人間は  (4)カンテキの境界に立たなくては不幸だと思うので、そのカンテキをしばらくなりとも貪り得る今の身の嬉しさが、この五十六字に形を変じたのである。
 ・・・修善寺にいる間は仰向けに寝たままよく俳句を作っては、それを日記の中に記(つ)け込んだ。時々は面倒な(5)ヒョウソクを合わして漢詩さえ作って見た。そうしてその漢詩も一つ残らず未定稿として日記の中に書きつけた。
・・・けれども余が病中に作り得た俳句と漢詩の価値は、余自身から云うと、全くその出来不出来に関係しないのである。平生はいかに心持ちの好くない時でも、いやしくも(6)ジンジに堪え得るだけの健康をもっていると自信する以上、またもっていると人から認められる以上、われは常住日夜共に生存競争裏に立つ悪戦の人である。仏語で形容すれば絶えず火宅の苦を受けて、夢の中でさえいらいらしている。時には人から勧められる事もあり、たまには自ら進む事もあって、ふと十七字を並べて見たりまたは起承転結の四句ぐらい組み合せないとも限らないけれどもいつもどこかに間隙があるような心持ちがして、隈も残さず心を引き(エ)包んで、詩と句の中に放り込む事ができない。それは歓楽を嫉む実生活の鬼の影が風流に纏わるためかも知れず、または句に熱し詩に狂するのあまり、かえって句と詩に翻弄されて、いらいらすまじき風流にいらいらする結果かも知れないが、それではいくら佳句と好詩ができたにしても、(オ)贏ち得る当人の愉快はただ二三同好の評判だけで、その評判を差し引くと、後に残るものは多量の不安と苦痛に過ぎない事に帰着してしまう。
・・・限りなき星霜を経て固まりかかった地球の皮が熱を得て溶解し、なお膨脹して瓦斯(ガス)に変形すると同時に、他の天体もまたこれに等しき革命を受けて、今日まで分離して運行した軌道と軌道の間が隙間なく充された時、今の秩序ある太陽系は日月星辰の区別を失って、爛たる一大火雲のごとくに(7)バンセンするだろう。
・・・そのうち穏かな心の隅が、いつか薄く(カ)暈されて、そこを照らす意識の色が微かになった。すると、ヴェイルに似た靄が軽く全面に向って万遍なく展びて来た。そうして総体の意識がどこもかしこも稀薄になった。それは普通の夢のように濃いものではなかった。尋常の自覚のように混雑したものでもなかった。またその中間に横たわる重い影でもなかった。魂が身体を抜けると云ってはすでに語弊がある。霊が細かい神経の末端にまで行き亘って、泥でできた肉体の内部を、軽く清くすると共に、官能の実覚から杳かに遠からしめた状態であった。余は余の周囲に何事が起りつつあるかを自覚した。同時にその自覚が(キ)窈窕として地の臭いを帯びぬ一種特別のものであると云う事を知った。床の下に水が廻って、自然と畳が浮き出すように、余の心は己れの宿る身体と共に、蒲団から浮き上がった。より適当に云えば、腰と肩と頭に触れる堅い蒲団がどこかへ行ってしまったのに、心と身体は元の位置に安く漂っていた。発作前に起るドストイェフスキーの歓喜は、瞬刻のために十年もしくは終生の命を賭しても然るべき性質のものとか聞いている。余のそれはさように強烈のものではなかった。むしろ恍惚として幽かな趣を生活面の全部に軽くかつ深く印し去ったのみであった。したがって余にはドストイェフスキーの受けたような憂鬱性の反動が来なかった。余は朝からしばしばこの状態に入った。 (ク)午過ぎにもよくこの(ケ)蕩漾を味わった。そうして覚めたときはいつでもその楽しい記憶を抱いて幸福の記念としたくらいであった。

それにもかかわらず、回復期に向った余は、病牀の上に寝ながら、しばしばドストイェフスキーの事を考えた。ことに彼が死の宣告から蘇った最後の一幕を眼に浮べた。――寒い空、新しい刑壇、刑壇の上に立つ彼の姿、(コ)襯衣一枚のまま顫えている彼の姿、――ことごとく鮮やかな想像の鏡に映った。独り彼が死刑を免れたと自覚し得た咄嗟の表情が、どうしても判然(はっきり)映らなかった。しかも余はただこの咄嗟の表情が見たいばかりに、すべての画面を組み立てていたのである。
 余は自然の手に罹って死のうとした。現に少しの間死んでいた。後から当時の記憶を呼び起した上、なおところどころの穴へ、妻から聞いた顛末を埋めて、始めて全くでき上る構図をふり返って見ると、いわゆる慄然と云う感じに打たれなければやまなかった。その恐ろしさに比例して、 (8)キュウジンに失った命を(9)イッキに取り留める嬉しさはまた特別であった。この死この生に伴う恐ろしさと嬉しさが紙の裏表のごとく重なったため、余は連想上常にドストイェフスキーを思い出したのである。
「もし最後の一節を欠いたなら、余はけっして正気ではいられなかったろう」と彼自身が物語っている。気が狂うほどの緊張を幸いに受けずとすんだ余には、彼の恐ろしさ嬉しさの程度を料り得ぬと云う方がむしろ適当かも知れぬ。それであればこそ、画竜点睛とも云うべき肝心の刹那の表情が、どう想像しても漠として眼の前に描き出せないのだろう。運命の(10)キンショウを感ずる点において、ドストイェフスキーと余とは、ほとんど詩と散文ほどの相違がある。
 それにもかかわらず、余はしばしばドストイェフスキーを想像してやまなかった。そうして寒い空と、新しい刑壇と、刑壇の上に立つ彼の姿と、襯衣一枚で顫えている彼の姿とを、根気よく描き去り描き来たってやまなかった。
 今はこの想像の鏡もいつとなく曇って来た。同時に、生き返ったわが嬉しさが日に日にわれを遠ざかって行く。あの嬉しさが始終わが傍にあるならば、――ドストイェフスキーは自己の幸福に対して、生涯感謝する事を忘れぬ人であった・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)陳々 (2)閑事業 (3)天幸 (4)閑適 (5)平仄 (6)塵事 (7)盤旋 (8)九仞 (9)一簣 (10)擒縦 
(ア)いやしく (イ)たくま (ウ)あつ (エ)くる (オ)か (カ)ぼか (キ)ようちょう (ク)ひる (ケ)とうよう (コ)しゃつ(シャツ) 
*「陳々相依る」:おそらく、次の故事成語からと思われる→「陳陳相因る」(史記)=「陳」は“陳穀”、古い米のこと。古い一方で少しも新味がないさまのこと。
*閑事業:急を要せぬ事業。実用に適さない事業。(広辞苑)
*天幸:自然に与えられた幸い。天の恵み。(広辞苑)
*閑適:「間適」とも。しずかに心を安んずること(閑静安適の意)。(広辞苑)
*塵事:世間のわずらわしい事柄。俗事。(広辞苑)
*擒縦:捕えたりゆるしたり、自在にあやつりあつかうこと。(広辞苑)

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漢検1級 27-③に向けて その47  文章題訓練 ⑰&⑱&⑲

2015年12月01日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その47 >
●「李陵」(中島敦)から、文章題⑰、⑱、⑲の3題です。
●各問題とも並みよりちょっと上の程度かも・・・80%(24点)はクリアしたいところ・・・・。

●文章題⑰~⑲:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

A.文章題⑰ 「李陵」(中島敦)
「・・・漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣(しゃりょしょう)を発して北へ向かった。阿爾泰(アルタイ)山脈の東南端が(ア)戈壁沙漠に没せんとする辺の磽确(こうかく)たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。朔風は戎衣を吹いて寒く、いかにも万里孤軍来たるの感が深い。(1)バクホク、浚稽山の麓に至って軍はようやく止営した。すでに敵匈奴の勢力圏に深く進み入っているのである。秋とはいっても北地のこととて、(イ)苜蓿も枯れ、(ウ)楡やかわやなぎの葉ももはや落ちつくしている。木の葉どころか、木そのものさえ(宿営地の近傍を除いては)、容易に見つからないほどの、ただ砂と岩と(エ)磧と、水のない河床との荒涼たる風景であった。極目人煙を見ず、まれに訪れるものとては曠野に水を求める (オ)羚羊ぐらいのものである。(2)トツコツと秋空を(カ)劃る遠山の上を高く雁の列が南へ急ぐのを見ても、しかし、将卒一同誰一人として甘い懐郷の情などに唆られるものはない。それほどに、彼らの位置は危険極まるものだったのである。
 騎兵を主力とする匈奴に向かって、一隊の騎馬兵をも連れずに歩兵ばかり(馬に(3)マタがる者は、陵とその幕僚数人にすぎなかった)で奥地深く侵入することからして、無謀の極みというほかはない。その歩兵も僅か五千、絶えて後援はなく、しかもこの浚稽山は、最も近い漢塞の居延からでも優に一千五百里(支那里程)は離れている。統率者李陵への絶対的な信頼と心服とがなかったならとうてい続けられるような行軍ではなかった。
 毎年秋風が立ちはじめると決まって漢の北辺には、胡馬に(キ)鞭った(4)ヒョウカンな侵略者の大部隊が現われる。辺吏が殺され、人民が(ク)掠められ、家畜が奪略される。
・・・(ケ)山峡の疎林の外れに兵車を並べて囲い、その中に(5)イバクを連ねた陣営である。夜になると、気温が急に下がった。士卒は乏しい木々を折取って(コ)焚いては暖をとった。十日もいるうちに月はなくなった。空気の乾いているせいか、ひどく星が美しい。黒々とした山影とすれすれに、夜ごと、(6)ロウセイが、青白い  (7)コウボウを斜めに曳いて輝いていた。十数日事なく過ごしたのち、明日はいよいよここを立ち退いて、指定された進路を東南へ向かって取ろうと決したその晩である。一人の(8)ホショウが見るともなくこの(9)ランランたるロウセイを見上げていると、突然、その星のすぐ下の所にすこぶる大きい赤黄色い星が現われた。オヤと思っているうちに、その見なれぬ巨きな星が赤く太い尾を引いて動いた。と続いて、二つ三つ四つ五つ、同じような光がその周囲に現われて、動いた。思わずホショウが声を立てようとしたとき、それらの遠くの灯はフッと一時に消えた。まるで今見たことが夢だったかのように。
 ホショウの報告に接した李陵は、全軍に命じて、明朝天明とともにただちに戦闘に入るべき準備を整えさせた。外に出て一応各部署を点検し終わると、ふたたび幕営に入り、雷のごとき(10)カンセイを立てて熟睡した。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)漠北 (2)突兀 (3)跨(胯) (4)剽悍 (5)帷幕 (6)狼星(*シリウスのことらしい) (7)光芒 (8)歩哨 (9)爛々(爛爛) (10)鼾声 
(ア)ごび(ゴビ) (イ)うまごやし (ウ)にれ (エ)かわら (オ)かもしか (カ)くぎ (キ)むちう (ク)かす (ケ)さんきょう(やまかい) (コ)た 
👍👍👍🐑 👍👍👍

B.文章題⑱ 李陵」(中島敦)
「・・・翌朝李陵が目を(ア)醒まして外へ出て見ると、全軍はすでに昨夜の命令どおりの陣形をとり、静かに敵を待ち構えていた。全部が、兵車を並べた外側に出、(イ)戟と盾とを持った者が前列に、(1)キュウドを手にした者が後列にと配置されているのである。この谷を挾んだ二つの山はまだ(2)ギョウアンの中に(3)シンカンとはしているが、そこここの巌蔭に何かのひそんでいるらしい気配がなんとなく感じられる。
・・・その夜、李陵は小袖短衣の(4)ベンイを着け、誰もついて来るなと禁じて独り幕営の外に出た。月が山の峡から覗いて谷間に堆い(ウ)屍を照らした。浚稽山の陣を撤するときは夜が暗かったのに、またも月が明るくなりはじめたのである。月光と満地の霜とで片岡の斜面は水に濡れたように見えた。幕営の中に残った将士は、李陵の服装からして、彼が単身敵陣を窺ってあわよくば単于と刺違える所存に違いないことを察した。李陵はなかなか戻って来なかった。彼らは息をひそめてしばらく外の様子を窺った。遠く山上の敵塁から(5)コカの声が響く。かなり久しくたってから、音もなく(エ)帷をかかげて李陵が幕の内にはいって来た。だめだ。と一言吐き出すように言うと、(オ)踞牀に腰を下した。全軍斬死のほか、途はないようだなと、またしばらくしてから、誰に向かってともなく言った。
(注)コカ:古の中国北方の異民族が吹いた葦(あし)の葉の笛のこと。
・・・居延まではなお数日の行程ゆえ、成否のほどはおぼつかないが、ともかく今となっては、そのほかに残された途はないではないか。諸将僚もこれに(カ)頷いた。全軍の将卒に各二升の(キ)糒と一個の氷片とが(ク)頒かたれ、(6)シャニ無二、遮虜鄣(しゃりょしょう)に向かって走るべき旨がふくめられた。さて、一方、ことごとく漢陣の(7)セイキを倒しこれを斬って地中に埋めたのち、武器兵車等の敵に利用されうる(ケ)惧れのあるものも皆打ち毀した。夜半、鼓して兵を起こした。
・・・翌、天漢三年の春になって、李陵は戦死したのではない。捕えられて虜に降ったのだという確報が届いた。武帝ははじめて(8)カクドした。即位後四十余年。帝はすでに六十に近かったが、気象の烈しさは壮時に超えている。神仙の説を好み方士(コ)巫覡の類を信じた彼は、それまでに己れの絶対に尊信する方士どもに幾度か欺かれていた。漢の勢威の絶頂に当たって五十余年の間君臨したこの大皇帝は、その中年以後ずっと、霊魂の世界への不安な関心に執拗につきまとわれていた。それだけに、その方面での失望は彼にとって大きな打撃となった。こうした打撃は、生来(9)カッタツだった彼の心に、年とともに群臣への暗い(10)サイギを植えつけていった。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)弓弩 (2)暁暗(出典は「暁暗」だが、「暁闇」のほうが適切か) (3)森閑(深閑) (4)便衣 (5)胡笳 (6)遮二 (7)旌旗 (8)嚇怒 (9)闊達(豁達) (10)猜疑 
(ア)さ (イ)ほこ (ウ)しかばね(「かばね」でも可か) (エ)とばり (オ)きょしょう (カ)うなず (キ)ほしいい(「かれいい」でも可か) (ク)わ (ケ)おそ (コ)ふげき 
👍👍👍 🐑 👍👍👍

C.文章題⑲ 「李陵」(中島敦)
「・・・さて、武帝は諸重臣を召して李陵の処置について計った。李陵の身体は都にはないが、その罪の決定によって、彼の妻子(1)ケンゾク家財などの処分が行なわれるのである。酷吏として聞こえた一廷尉が常に帝の顔色を窺い合法的に法を(ア)枉げて帝の意を迎えることに巧みであった。ある人が法の権威を説いてこれを(イ)詰ったところ、これに答えていう。前主の是とするところこれが律となり、後主の是とするところこれが令となる。当時の君主の意のほかになんの法があろうぞと。群臣皆この廷尉の類であった。丞相・公孫賀が、御史大夫・杜周、太常、趙弟以下、誰一人として、帝の(2)シンドを犯してまで陵のために弁じようとする者はない。口を極めて彼らは李陵の売国的行為を罵る。陵のごとき変節漢と肩を比べて朝に仕えていたことを思うといまさらながら愧(はずか)しいと言い出した。平生の陵の行為の一つ一つがすべて疑わしかったことに意見が一致した。陵の従弟に当たる李敢が太子の(3)チョウを頼んで(4)キョウシであることまでが、陵への(5)ヒボウの種子になった。口を(6)カンして意見を洩さぬ者が、結局陵に対して最大の好意を有つものだったが、それも数えるほどしかいない。
 ただ一人、苦々しい顔をしてこれらを見守っている男がいた。今、口を極めて李陵を(ウ)讒誣しているのは、数か月前李陵が都を辞するときに(エ)盃をあげて、その行を(オ)壮んにした連中ではなかったか。漠北からの使者が来て李陵の軍の健在を伝えたとき、さすがは名将李広の孫と李陵の孤軍奮闘を(カ)讃えたのもまた同じ連中ではないのか。(7)テンとして既往を忘れたふりのできる(8)ケンカン連や、彼らの(9)テンユを見破るほどに聡明ではありながらなお真実に耳を傾けることを嫌う君主が、この男には不思議に思われた。いや、不思議ではない。人間がそういうものとは昔からいやになるほど知ってはいるのだが、それにしてもその不愉快さに変わりはないのである。下大夫の一人として朝につらなっていたために彼もまた下問を受けた。そのとき、この男はハッキリと李陵を褒め上げた。言う。陵の平生を見るに、親に(キ)事えて孝、士と交わって信、常に奮って身を顧みずもって国家の急に殉ずるは誠に国士のふうありというべく、今不幸にして事一度、破れたが、身を全うし妻子を保んずることをのみただ念願とする君側の(10)ネイジンばらが、この陵の一失を取り上げてこれを誇大歪曲しもって上(ショウ)の聡明を(ク)蔽おうとしているのは、遺憾この上もない。そもそも陵の今回の軍たる、五千にも満たぬ歩卒を率いて深く敵地に入り、匈奴数万の師を奔命に疲れしめ、転戦千里、矢尽き道窮まるに至るもなお全軍(ケ)空弩を張り、白刃を冒して死闘している。部下の心を得てこれに死力を尽くさしむること、古の名将といえどもこれには過ぎまい。軍敗れたりとはいえ、その善戦のあとはまさに天下に顕彰するに足る。思うに、彼が死せずして虜に降ったというのも、ひそかにかの地にあって何事か漢に報いんと期してのことではあるまいか。……
 並いる群臣は驚いた。こんなことのいえる男が世にいようとは考えなかったからである。彼らはこめかみを(コ)顫わせた武帝の顔を恐る恐る見上げた。それから、自分らをあえて全躯保妻子(くをまっとうしさいしをたもつ)の臣と呼んだこの男を待つものが何であるかを考えて、ニヤリとするのである。・・・」
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(1)眷属(眷族) (2)震怒(「瞋怒」も「いかり、はらだち」で同義だが、ここは天子の怒りなので「震怒=激しく怒ること。天神または天子の怒りにいう。(広辞苑)」) (3)寵 (4)驕恣 (5)誹謗 (6)緘 (7)恬 (8)顕官 (9)諂諛 (10)佞人 
(ア)ま (イ)なじ (ウ)ざんぶ (エ)さかずき (オ)さか (カ)たた (キ)つか (ク)おお (ケ)くうど (コ)ふる 
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漢検1級 27-③に向けて その45  文章題訓練⑮ & 文章題訓練⑯

2015年11月30日 | 文章題
日本漢字能力検定(漢検) ブログランキングへ
<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その45>
●「カインの末裔」(有島武郎)から、<その1>&<その2>として、文章題⑮&⑯の2題です。
●今回の難度は、並みよりちょっと上・・・80%(24点)はクリアしたいところ・・・・。
●文章題⑮:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「カインの末裔」(有島武郎) ―その1―

「・・・K市街地の町端(はず)れには空屋が四軒までならんでいた。小さな窓は(1)ドクロのそれのような真暗(まっくら)な眼を往来に向けて開いていた。五軒目には人が住んでいたがうごめく人影の間に囲炉裡の(ア)根粗朶がちょろちょろと燃えるのが見えるだけだった。六軒目には(2)テイテツ屋があった。怪しげな煙筒からは風にこきおろされた煙の中にまじって火花が飛び散っていた。店は(3)ヨウロの火口を開いたように明るくて、馬鹿馬鹿しくだだっ広い北海道の七間道路が向う側まではっきりと照らされていた。片側町ではあるけれども、とにかく家並があるだけに、強いて方向(むき)を変えさせられた風の脚が(4)イシュに砂を(イ)捲き上げた。砂はテイテツ屋の前の火の光に照りかえされて濛々と渦巻く姿を見せた。仕事場の(ウ)鞴の囲りには三人の男が働いていた
(注)テイテツ屋:馬のひづめを保護する装置を作る鍛冶屋
四、五町歩いたと思うと彼らはもう町はずれに来てしまっていた。道がへし折られたように曲って、その先は、真闇(まっくら)な (5)クボチに、急な勾配を取って下っていた。彼らはその突角まで行ってまた立停った。遙か下の方からは、うざうざするほど繁り合った(6)カツヨウジュ林に風の這入る音の外に、シリベシ河のかすかな水の音だけが聞こえていた。

夫婦はかじかんだ手で荷物を提げながら小屋に這入った。永く火の気は絶えていても、吹きさらしから這入るとさすがに気持ちよく暖かかった。二人は真暗な中を手さぐりであり合せの(エ)古蓆や藁をよせ集めてどっかと腰を据えた。妻は大きな溜息をして背の荷と一緒に赤坊を卸して胸に抱き取った。乳房をあてがって見たが乳は枯れていた。赤坊は堅くなりかかった歯齦(はぐき)でいやというほどそれを噛んだ。そして泣き募った。
「腐孩子(くされにが)! 乳首たたら食いちぎるに」
 妻は(7)ケンドンにこういって、懐から(8)シオセンベイを三枚出して、ぽりぽりと噛みくだいては赤坊の口にあてがった。
「俺(おらが)にも越(く)せ」
 いきなり仁右衛門が(9)エンピを延ばして残りを奪い取ろうとした。二人は黙ったままで本気に争った。食べるものといっては三枚のセンベイしかないのだから。

仁右衛門は(オ)眼路のかぎりに見える小作小屋の幾軒かを眺めやって糞でも喰らえと思った。未来の夢がはっきりと頭に浮んだ。三年経たった後には彼は農場一の大小作だった。五年の後には小さいながら一箇の独立した農民だった。十年目にはかなり広い農場を譲り受けていた。その時彼は三十七だった。帽子を被って二重マントを着た、(カ)護謨長靴の彼の姿が、自分ながら小恥しいように想像された

・・・炉を間に置いて佐藤の妻と広岡の妻とはさし向いに(キ)罵り合あっていた。佐藤の妻は安座(あぐら)をかいて長い火箸を右手に握っていた。広岡の妻も背に赤ん坊を背負って、早口にいい募っていた。顔を血だらけにして泥まみれになった佐藤の跡から仁右衛門が這入って来るのを見ると、佐藤の妻は訳を聞く事もせずにがたがた震える歯を噛み合せて猿のように唇の間からむき出しながら仁右衛門の前に立ちはだかって、飛び出しそうな怒りの眼で睨みつけた。物がいえなかった。いきなり火箸を振上げた。仁右衛門は他愛もなくそれを奪い取った。噛みつこうとするのを押しのけた。そして仲裁者が一杯飲もうと勧めるのも聴かずに妻を促して自分の小屋に帰って行った。佐藤の妻は(ク)素跣のまま仁右衛門の背に(10)バリを浴せながら怒精フューリーのようについて来た。そして小屋の前に立ちはだかって、(ケ)囀るように半ば夢中で仁右衛門夫婦を罵りつづけた
・・・よくこれほどあるもんだと思わせた長雨も一カ月ほど降り続いて漸く晴れた。一足飛びに夏が来た。何時の間に花が咲いて散ったのか、天気になって見ると林の間にある山桜も、(コ)辛夷も青々とした広葉になっていた。蒸風呂のような気持ちの悪い暑さが襲って来て、畑の中の雑草は作物を乗りこえて葎のように延びた。雨のため傷められたに相異ないと、長雨のただ一つの功徳に農夫らのいい合った昆虫も、すさまじい勢いで発生した。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)髑髏 (2)蹄鉄 (3)熔炉 (4)意趣 (5)窪地 (6)濶葉樹(闊葉樹) (7)慳貪 (8)塩煎餅 (9)猿臂 (10)罵詈 
(ア)ねそだ (イ)ま (ウ)ふいご (エ)ふるむしろ (オ)めじ (カ)ごむ(ゴム) (キ)ののし (ク)すはだし (ケ)さえず (コ)こぶし 
(注)意趣:(4つぐらい意味があるが、ここでは)「①心の向かうところ。考え。意向。」(広辞苑)の意味と思われる。 
(注)眼路:広辞苑では「目路(めじ)=目で見通せる範囲。眼界。」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

●文章題⑯:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10

「カインの末裔」(有島武郎) ―その2―

「・・・(ア)甘藍のまわりには、えぞしろちょうが(イ)夥しく飛び廻った。大豆には、くちかきむしの成虫がうざうざするほど集まった。麦類には黒穂の、(1)バレイショには、べと病の徴候が見えた。
(2)アブ(3)ブヨとは自然の(4)セッコウのようにもやもやと飛び廻った。濡れたままに積み重ねておいた汚れ物をかけわたした小屋の中からは、あらん限りの農夫の家族が武具(えもの)を持って畑に出た。自然に歯向う必死な争闘の幕は開かれた。
 鼻歌も歌わずに、汗を肥料のように畑の土に滴らしながら、農夫は腰を二つに折って地面に噛じり付いた。耕馬は首を下げられるだけ下げて、乾き切らない土の中に脚を深く踏みこみながら、絶えず尻尾(しりっぽ)でアブを追った。しゅっと音をたてて襲って来る毛の束にしたたか打れたアブは、血を吸って丸くなったまま、馬の腹からぽとりと地に落ちた。仰向けになって鋼線(はりがね)のような脚を伸したり縮めたりして藻掻く様は命の薄れるもののように見えた。暫くするとしかしそれはまた器用に(ウ)翅を使って起きかえった。そしてよろよろと草の葉裏に這いよった。そして十四、五分の後にはまた翅をはってうなりを立てながら、眼を射るような日の光の中に勇ましく飛び立って行った。

・・・競馬場の(5)ラチの周囲は人垣で埋った。三、四軒の農場の主人たちは決勝点の所に一段高く(6)サジキをしつらえてそこから見物した。松川場主の側には子供に付添って笠井の娘が坐っていた。その娘は二、三年前から函館に出て松川の家に奉公していたのだ。父に似て細面の彼女は函館の生活に磨きをかけられて、この辺では際立って垢抜けがしていた。競馬に加わる若い者はその妙齢な娘の前で手柄を見せようと争った。他人の妾に目星をつけて何になると皮肉をいうものもあった。
 何しろ競馬は非常な景気だった。勝負がつく度に揚る(7)カッサイの声は乾いた空気を伝わって、人々を家の内にじっとさしては置かなかった。
 仁右衛門はその頃(エ)博奕に耽っていた。始めの中うちはわざと負けて見せる博徒の手段に甘々うまうまと乗せられて、勢い込んだのが失敗の基で、深入りするほど損をしたが、損をするほど深入りしないではいられなかった。亜麻の収利は(オ)疾うの昔にけし飛んでいた。
それでも馬は金輪際売る気がなかった。(カ)剰す所は燕麦(からすむぎ)があるだけだったが、これは播種時(たねまきどき)から事務所と契約して、事務所から一手に陸軍(8)リョウマツショウに納める事になっていた。その方が競争して商人に売るのよりも割がよかったのだ。商人どもはこのボイコットを如何して見過していよう。彼らは農家の戸別訪問をしてリョウマツショウよりも遙かに高価に引受けると勧誘した。リョウマツショウから買入代金が下ってもそれは一応事務所にまとまって下るのだ。その中から小作料だけを差引いて小作人に渡すのだから、農場としては小作料を回収する上にこれほど便利な事はない。小作料を払うまいと決心している仁右衛門は馬鹿な話だと思った。彼は腹をきめた。そして競馬のために人の注意がおろそかになった機会を見すまして、商人と結托して、事務所へ廻わすべき燕麦をどんどん商人に渡してしまった。
 仁右衛門はこの取引をすましてから競馬場にやって来た。彼は自分の馬で競走に加わるはずになっていたからだ。彼は裸乗りの名人だった。
 自分の番が来ると彼は鞍も置かずに自分の馬に乗って出て行った。人々はその馬を見ると敬意を払うように互いにうなずき合って今年の(キ)糶では一番物だと賞め合った。
・・・仁右衛門は死体を背負ったまま、小さな墓標や石塔の立ち列なった間の空地に穴を掘りだした。鍬の土に喰い込む音だけが景色に少しも調和しない鈍い音を立てた。妻はしゃがんだままで時々頬に来る蚊をたたき殺しながら泣いていた。三尺ほどの穴を掘り終ると仁右衛門は鍬の手を休めて額の汗を手の甲で押し拭った。夏の夜は静かだった。その時突然恐ろしい考が彼の(ク)吐胸を突いて浮んだ。彼はその考えに自分ながら驚いたように呆れて眼を見張っていたが、やがて大声を立てて(9)ガンドウの如く泣きおめき始めた。その声は醜く物凄かった。妻はきょっとんとして、顔中を涙にしながら恐ろしげに良人を見守った。
「笠井の四国猿めが、嬰子(にが)事殺しただ。殺しただあ」
 彼は醜い泣声の中からそう叫んだ。
 翌日彼はまた亜麻の束を馬力に積もうとした。そこには華手なモスリンの端切れが乱雲の中に現われた虹のようにしっとり朝露にしめったまま(ケ)穢い馬力の上にしまい忘られていた。
・・・彼が気がついた時には、何方をどう歩いたのか、昆布岳の下を流れるシリベシ河の河岸の丸石に腰かけてぼんやり河面を眺めていた。彼の眼の前を透明な水が跡から跡から同じような(10)カモンを描いては消し描いては消して流れていた。彼はじっとその戯れを見詰めながら、遠い過去の記憶でも追うように今日の出来事を頭の中で思い浮べていた。(コ)凡ての事が他人事のように順序よく手に取るように記憶に甦った。・・・」
👍👍👍 🐑 👍👍👍

(1)馬鈴薯 (2)虻 (3)蚋 (4)斥候 (5)埒 (6)桟敷 (7)喝采 (8)糧秣廠 (9)頑童 (10)渦紋 
(ア)きゃべつ(キャベツ) (イ)おびただ (ウ)はね (エ)ばくち(「バクエキ」でもいいんだろうが・・・) (オ)と (カ)あま (キ)せり (ク)とむね(「と胸を衝く」の当て字と思われる。「と(ト)」は強意の接頭語。) (ケ)きたな (コ)すべ 
(注)頑童=(①男色の相手となる少年) ②かたくなで、聞き分けのない子供。(広辞苑)
👍👍👍 🐑 👍👍👍


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