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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>
<漢検1級 27-③に向けて その120>
●「文章題訓練」その㊾です。復習・おさらい用にどうぞ👍 「文章題訓練」・・・ここまできたら限の良い次回50回目でめでたく訓練終了~!!
●難度は
やや難・・・チャレンジャーは、なんとか80%(24点)以上・・・。リピーターはなんとか90%以上(^^)
●文章題㊾:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みを
ひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
(A)
「・・・もう一つこの日の新発見は、五重塔の動的な美しさであった。天平大塔がことごとく
(1)インメツし去った今日、高塔の美しいものを求めればこの塔の右にいづるものはない。塔の好きなわたくしはこの五重塔の美しさをあらゆる方角から味わおうと試みた。中門の壇上、金堂の壇上、講堂前の石燈籠の傍、講堂の壇上、それからまた石燈籠の傍へ帰り、右へ回って、回廊との間を中門の方へ出る。さらにまた塔の軒下を、頸が痛くなるほど仰向いたまま、ぐるぐる回って歩く。この
(2)マンポの間にこの塔がいかに美しく動くかを知ったのである。
塔は高い。従ってわたくしの目と五層の軒との距離は、五通りに違っている。各層の
(ア)勾欄や
(3)トキョウ(注)もおのおの五通りに違う。その軒や勾欄やトキョウがまた相互間に距離を異にしている。その他塔の形をつくりあげている無数の細かい形象は、ことごとく同じようにわたくしの眼からの距離を異にしているのである。しかしわたくしが静止している時には、これは必ずしも重大なことではない。静止の姿においてはむしろ塔の各層の釣り合いが――たとえば軒の出の多い割合に軸部が低く屋根の勾配が緩慢で、塔身の高さがその広さに対し最低限の
(4)ケンコウを示していること、あるいは上に行くほど縮まって行く軒のうちで第二と第四がこころもち多く引っ込み、従って上部にとがって行く塔勢が、かすかな変化のために一層美しく見えることなどが、重大な問題である。しかるにわたくしが一歩動きはじめると、このケンコウや塔勢を形づくっている無数の形象が一斉に位置を換え、わたくしの眼との距離を更新しはじめるのである。しかもその更新の度が一つとして同一でない。眼との距離の近いものは動きが多く、距離の遠い上層のものはきわめてかすかにしか動かない。だからわたくしが連続して歩くときには、非常に早く動く軒と緩慢に動く軒とがある。軒ばかりでなく勾欄もトキョウもことごとく速度が違う。塔全体としては非常に複雑な動き方で、しかもその複雑さが不動のケンコウと塔勢とに統一せられている。またこの複雑な塔の運動も、わたくしが塔身と同じき距離を保って塔の周囲を歩く場合と、塔に近づいてゆく場合と、また斜めに少しずつ遠ざかりあるいは近づく場合とで、ことごとく趣を異にする。斜めに歩く角度は伸縮自在であるから、塔の運動の趣も変幻自在である。わたくしの歩き方はもちろん不規則であった。塔の運動も従って変幻きわまりなかった。しかもその変幻を貫いている
(5)カイチョウは、――というよりも絶えず変転し流動するカイチョウは、崩れて行く危険の微塵もないものであった。
この運動にはもとより色彩がからみついている。五層の屋根の瓦は蒼然として緑青に近く、その屋根の上下両端には点々として濃い緑青がある、――そうしてこれらの色彩の最下層には、
(イ)裳階の板屋根の灰色と、その下に微妙な濃淡を示す
(ウ)櫺子の薄褐灰色と、それを極度に明快に仕切っている白壁の色とがある。――これらすべての色彩が、おのおの速度を異にして、入り乱れ、走(は)せちがい、流動するがごとくに動くのである。
法隆寺の印象についてはかつて木下杢太郎へあててこう書いたことがある。
わたくし一己の経験としては、あの中門の内側へ歩み入って、金堂と塔と歩廊とを一目にながめた瞬間に、サアァッというような、非常に透明な一種の音響のようなものを感じます。二度目からは、最初ほど強くは感じませんでしたが、しかしやはり同じ感触があって、同じようなショックが全身を走りました。痺れに似た感じです。次の瞬間にわたくしの心は「魂の森のなかにいる」といったような、妙な静けさを感じます。最初の時にはわたくしは何かの錯覚かと思いました。そうしてあの古い建物の、半ばははげてしまった古い朱の色が、そういう響きのようなものに感じられるのかとも考えてみました。しかしあとで熟考してみると、そのサアァッという透明な響きのようなものの記憶表象には、必ずあの建物の古びた朱の色と無数の櫺子との記憶表象が、非常に鮮明な姿で固く結びついているのです。金堂のまわりにも塔のまわりにもまた歩廊全体にも、古び黒ずんだ
(エ)菱角の櫺子は、整然とした平行直線の姿で、無数に並列しています。歩廊の櫺子窓からは、外の光や樹木の緑が、透かして見えています。この櫺子の並列した線と、全体の古びた朱の色とが、特に、そのサアァッという響きのようなものに関係しているのです。二度目に行った時には、この神々しい直線の並列をながめまわして、自分にショックを与えた美の真相を、十分味わおうとすることができました。
・・・
このフェノロサの発見はわれわれ日本人の感謝すべきものである。しかしその見解には必ずしもことごとく同意することができない。たとえばこの微笑をモナリザの微笑に比するのは正当でない。なるほど二者はともに内部から肉の上に造られた美しさである。そうして深い微笑である。しかしモナリザの微笑には、人類のあらゆる光明とともに人類のあらゆる暗黒が宿っている。この観音の微笑は
(6)メイソウの奥で得られた自由の境地の純一な表現である。モナリザの内にひそむヴィナスは、聖者の情熱によって修道院に追い込まれ、騎士の情熱によって霊的憧憬の対象となり、奔放な人間性の自覚によって反抗的に罪悪の国の女王となった。この観音の内にひそむヴィナスは、単に従順な慈悲の
(オ)婢に過ぎぬ。この観音の像が感覚的な肉の美しさを閑却して、ただ瞑想の美しさにのみ人を引き入れるのはそのためである。・・・」「古寺巡礼」(和辻哲郎)
(注)トキョウ:建築物の柱上にあって軒を支える部分
(B)
「・・・かくしてエレーンは眼を眠る。眠りたる眼は開く期なし。父と兄とは唯々として遺言の如く、憐れなる少女の
(カ)亡骸を舟に運ぶ。
古き江に
(キ)漣さえ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今 緑
(ク)罩むる陰を離れて中流に漕ぎ出づる。櫂操るはただ一人、白き髪の白き髯の翁と見ゆ。ゆるく掻く水は、物憂げに動いて、一櫂ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は波に浮ぶ睡蓮の睡れる中に、音もせず乗り入りては乗り越して行く。
(ケ)萼傾けて舟を通したるあとには、軽く曳く波足と共にしばらく揺れて花の姿は常の静けさに帰る。押し分けられた葉の再び浮き上る表には、時ならぬ露が珠を走らす。
舟は
(7)ヨウゼンとして何処ともなく去る。美しき亡骸と、美しき衣と、美しき花と、人とも見えぬ一個の翁とを載せて去る。翁は物をもいわぬ。ただ静かなる波の中に長き櫂をくぐらせては、くぐらす。木に彫る人を鞭って起たしめたるか、櫂を動かす腕の外には活きたる所なきが如くに見ゆる。
と見れば雪よりも白き白鳥が、収めたる翼に、波を裂いて王者の如く
(8)ユウゼンと水を練り行く。長き頸の高く
(コ)伸したるに、気高き姿はあたりを払って、恐るるもののありとしも見えず。うねる流を傍目もふらず、舳に立って舟を導く。舟はいずくまでもと、鳥の羽に裂けたる波の合わぬ間を随う。両岸の柳は青い。
シャロットを過ぐる時、いずくともなく悲しき声が、左の岸より古き水の
(9)ジャクマクを破って、動かぬ波の上に響く。「うつせみの世を、……うつつ……に住めば……」絶えたる音はあとを引いて、引きたるはまたしばらくに絶えんとす。聞くものは死せるエレーンと、
(10)トモに坐る翁のみ。翁は耳さえ借さぬ。ただ長き櫂をくぐらせてはくぐらする。思うに聾なるべし。・・・」「薤露行」(夏目漱石)
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(1)堙滅(湮滅) (2)漫歩 (3)斗拱(または「斗栱」。ただし、「栱」は対象外だが・・・) (4)権衡 (5)諧調 (6)瞑想 (7)杳然 (8)悠然(優然) (9)寂寞 (10)艫
(ア)こうらん (イ)もこし (ウ)れんじ (エ)りょうかく (オ)はしため (カ)なきがら (キ)さざなみ (ク)こ (ケ)うてな (コ)の
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