17世紀のフランス料理-フランスの大国化と食の革命(6)
近世はフランス料理が現代の形に変化した重要な時代です。中世までの料理の世界では、食事を通して健康になることが重視されていました。すなわち、古代ギリシアのヒポクラテスやローマ帝国時代のガレノスによって作られた「四体液説」と呼ばれる理論に従って、体液のバランスを保つための料理が作られていました。香辛料がたくさん使用されていた理由も、四体液説によるところが大きかったと言われています。
ところが、14世紀にイタリアから始まったルネサンスが一つの大きなきっかけになって社会が大きく変化するとともに、料理の作り方も見直されるようになりました。ルネサンスによって、昔から守られてきた習慣に対して疑問の目が向けられると同時に、美味しさを純粋に追及する動きが見られるようになったのです。
ルネサンス振興のパトロンとなったイタリアのメディチ家から、カテリーナ・デ・メディチ(1519~1589年)とマリア・デ・メディチ(1575~1642年)が王妃としてフランス王家に入ってきたことによって、フランス料理はルネサンスによって始まった新しい料理の影響を受けることになりました。
今回は、17世紀に見られたフランス料理の変革について、その時代に出版された料理書を中心に見て行くことにします。
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フランス料理の料理書と言うと、ギヨーム・ティレル(通称タイユヴァン)(1310~1395年)が出版した『ル・ヴィアンディエ (le Viandier)』がとても有名で、17世紀まで版を重ねて広く読み継がれていた。その間にいくつかの料理書が刊行されるが、料理の世界には大きな影響を与えなかったとされている。
ところが1651年になると、『ル・ヴィアンディエ』に肩を並べる料理書が登場する。それがフランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌ(1618~1678年)が書いた『フランスの料理人 (le Cuisinier français)』だ。なお、「Cuisinier」に「料理人」という訳がついているが、当時は「料理書」と言う意味があり、本の中身もフランス料理のレシピ集であるため、「フランス料理の書」と訳した方が正しいようだ。この本はベストセラーになり、18世紀にかけて何度も版を重ねたという。
ラ・ヴァレンヌはデュクセル侯爵らに仕えた料理人で、ルイ14世に料理を出したこともあると言われている。ラ・ヴァレンヌは『フランスの料理人』を出した後に、『フランスのジャム職人』と『フランスの菓子職人』というレシピ集も出版しており、菓子などの世界でも後世に大きな影響を与えた人物だ。
ラ・ヴァレンヌの『フランスの料理人』が刊行されると、その成功をきっかけに料理書が続々と出版された。それらの中でも、1674年のL.S.R.(著者の本名は不明)による『巧みに饗応する技(L’Art de bien traiter)』と1691年のマシアロによる『宮廷とブルジョワ家庭の料理人(Le Cuisinier royal et bourgrois)』が17世紀のフランス料理を知る上で重要とみなされている。なお、L.S.R.は著作の中でラ・ヴァレンヌを辛辣に批判したことでも有名だ。
これらの料理書を見ると、17世紀に起きたフランス料理の変革がよく分かる。その変革を以下にあげて行こう。
・香辛料の減少とハーブの増加
中世までの料理では大量の香辛料が使用されていた。例えば、タイユヴァンの『ル・ヴィアンディエ』では大量のコショウやショウガなどが使用されている。それが、17世紀のフランスでは激減して、それぞれの料理に少しずつしか使わないようになった。
また、料理に使用される香辛料の種類も減少した。中世で使用されていたショウガ、シナモン、ナガコショウ(コショウに似た香辛料)、アニス、クミンはほとんど使用されなくなり、コショウ、クローブ、ナツメグだけが少量使用された。ただし、ショウガについては豚肉料理に使われることが増えた。
このような香辛料の減少は、四体液説が廃れてきたことが一つの理由として考えられるが、それに加えて、大航海時代に入って香辛料が大量に市場に出回るようになったこともある。
中世ではヨーロッパに輸入される香辛料はとても少なかった。このため、料理に大量の香辛料を使用することが上流階級の権威を誇示することになっていたのだ。ところが、海外貿易が盛んになって香辛料が容易に手に入るようになると、権威を誇示する目的で大量の香辛料を使用することは無くなったのである。
なお、17世紀には香辛料に代わって、タイムやパセリ、ネギなどの香味野菜(ハーブ)がよく使用されるようになった。
・酸味料の変化
中世では料理に酸味をつける目的でワインビネガーやヴェルジュと呼ばれる未熟のブドウをしぼったジュースがよく使用されていた。17世紀にはその代わりに、レモンがよく使用されるようになった。
レモンはインド原産の植物で、9世紀頃にイスラム教徒によって地中海のシチリア島に持ちこまれた。その後、ノルマン人やスペイン人によってシチリア島が征服された結果、温暖な南ヨーロッパを中心に盛んに栽培されるようになった。そして17世紀になると、フランスでも貴族の間で柑橘類を育てるための温室を作ることが流行し、レモンもよく栽培されるようになったのだ。その結果、レモンを料理に使用することは貴族の一種のステータスとなり、見栄えのためにカットしたレモンが料理に添えられることも多かったようだ。
ただし、17世紀には中世に比べて酸味料の使用量は全体的に減少した。香辛料の使用量の減少も考えると、料理の風味はよりマイルドなものに変化したと言える。
・ソースとフォンの発達とバターの利用
焼いたり煮たりした食品に添えるソースは古くからあったものだが、17世紀になるとその中身がより複雑になった。料理におけるソースの重要性が認識されるようになったからだ。
この時代には、煮汁に香辛料や香味野菜を加えたりすることで風味を高めたり、とろみをつけることで食材にからませるようになった。
とろみをつけるためによく使用されたのが小麦粉で、熱した液体をかき混ぜながら少しずつ小麦粉を加えることで、とろみをつけるようになったのだ。また、単純に煮汁を煮詰めることでとろみをつけることもあった。
さらに、17世紀頃からの大きな特徴としてバターを使用することがあげられる。中世にはバターはほとんど使用されることはなかったが、ソースに濃厚さをつけるためにバターが使われるようになったのだ。小麦粉とバターを加熱して混ぜ合わせ、そこに熱した牛乳を少しずつ加えて作る「ベシャメルソース」が作られるようになったのもこの頃だ。
また、西洋のだし汁であるフォンやブイヨンの原型が生まれたのも17世紀頃だ。なお、フォンはソースのベースとなるだし汁のことで、ブイヨンはスープのベースとなるものだ。これらは、ウシのすね肉と羊肉、鶏肉を煮込んだものに、ネギ、タイム、パセリなどを縛ったブーケガルニを加えてさらに煮だすことで出来上がる。
このブイヨンに様々な食材を入れて煮込んで作る「ポタージュ」から貴族の食事は始まった。ラ・ヴァレンヌの『フランスの料理人』には、「ヤマウズラのポタージュ、キャベツ入り」や「ガチョウのヒナのポタージュ、グリーンピース添え」、「若どりのポタージュ、コメ入り」などのレシピが収められている。
この料理名のように野菜やキノコ類を多く使うようになったのも17世紀の特徴で、18世紀になるとさらに野菜とキノコ類の使用量が増えて行く。
さて、貴族の食事をさらに見て行こう。
ポタージュの次に出されたのがアントレと呼ばれる鳥獣肉の料理で、「牛タンのラグー(煮込み)」や「仔豚のラグー」、「子ウサギのラグー」などのレシピが載っている。
その次は第2のサービスと呼ばれる焼肉料理だ。キジやウズラなどの野鳥や仔羊、シカ、ウサギ、仔牛などの肉が食べられた。
そして最後にアントルメと呼ばれた、マリネやジュレ、パテ、パスタ、サラダなどの軽い料理が出されて食事は終了となった。
やはり、とても豪華な料理を食べていたようだ。