食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

18世紀のフランス料理と錬金術-フランスの大国化と食の革命(7)

2021-07-22 17:50:36 | 第四章 近世の食の革命
18世紀のフランス料理と錬金術-フランスの大国化と食の革命(7)
錬金術とは鉄や鉛などの安い金属を金や銀などの貴金属に変える技術のことです。

錬金術は古代からギリシアやエジプトなど世界の各地で研究されてきました。中世のイスラム世界は古代ギリシアの科学や哲学を受け継ぎましたが、錬金術もその中に含まれていて、盛んに研究が行われました。その結果、様々な物質を化学的に分離する技術などが発達しました。例えば、液体を蒸発させることで成分を分離する蒸留器が開発されました。そして、この蒸留器が世界各地に広まることでウイスキーやブランデー、焼酎などの蒸留酒が作られるようになりました。このように、錬金術は人類の暮らしを豊かにする役割を果たすこともあったのです。

錬金術は十字軍の遠征などをきっかけにして、中世のヨーロッパにも伝えられました。ルネサンス期になると、錬金術の研究は非常に盛んになり、ヨーロッパで独自の進化を遂げて行きます。そして、17世紀の終わりから18世紀にかけて、錬金術から「化学」と呼べるものが誕生したのです。

このような錬金術的・化学的な方法は料理の世界にも持ち込まれました。つまり、料理も科学の一分野となり、新しい料理を開発するための研究が日夜繰り広げられることになったのです。

という言わけで今回は、18世紀のフランス料理と錬金術の関係について見て行きます。

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料理の世界にも錬金術や化学が持ち込まれた結果、料理人たちは美味しい食べ物には美味しさの根源となる物質が含まれていると考えるようになった。そして、この物質を「オスマゾーム」と名付け、これをうまく取り出すために様々な方法が考案されるようになった。

「何を食べているか言ってみたまえ。君が何者か言い当ててあげよう。」という名言で有名なフランスの法律家で美食家のブリア=サヴァラン(1755~1826年)も、著書『美味礼賛(味覚の生理学)』でオスマゾームについて詳しく述べている。次にその一部を抜粋してみよう。

「食品科学に対する化学の最大の貢献は、オスマゾームの発見というよりも、それが何かを明らかにしたことだ。オスマゾームとは肉の中の非常に美味な部分のことで、冷水に溶けるが、熱湯には溶けないものである。美味しいスープを作るのも、肉を焼いた時にカラメル化して焦げた色を作るのも、ローストした時にうま味を肉の中に閉じ込めるのも、鹿などのジビエにかぐわしい香りを作るのも、このオスマゾームである。」


ブリア=サヴァラン

現代の私たちにはオスマゾームが何なのかよく分からないが、とにかく肉が美味しくなるのはすべてオスマゾームのおかげと言うことらしい。

オスマゾームは「熱湯には溶けないもの」とあるように、肉を煮出す時にはグツグツと沸騰させてはダメで、そうならないように火加減に気を付けて、じっくりと弱火で煮込む。アクは不純物のかたまりだから丁寧に取り除く。そうすると、フォンやブイヨンが美味しくできるのだ。このように、より良いフォンやブイヨン、ソースを作り出そうとする努力が続けられた。

肉料理のソースには肉で作ったフォンを、魚料理のソースには魚で作ったフォン(フュメfumetと呼ばれる)を使うようになったのも18世紀頃からだ。なお、フュメは、魚のあらやザリガニ、トリュフ、マッシュルームなどから作った。また、食材をバターなどで焼いたのち、鍋の底に残った汁とこびり付いたコゲをフォンで溶かし込んでソースにするデグラッセの技術も開発された。

さて、オスマゾームは肉の中にほんの少ししか含まれていないと考えられたので、オスマゾームを大量に手に入れるためには大量の肉を使用しなければならなかった。これに関してもブリア=サヴァランが次のような逸話を紹介している。

ある貴族が、自分が主催する晩餐会の料理の材料に目をとめた。「ハム50本」とあるのだ。
「なんだ、これは!いったい、何人に食べさせるつもりだ!」
激怒する主人に向かって料理人はこう答えたという。
「ご存じないのかもしれませんが、私たちは50本のハムを親指ほどの大きさの小瓶に閉じ込めることができるのです」

このように料理人たちは莫大な費用をかけて、究極の美味を追求したのである。

さらに、この時代には料理に使用される肉自体にも細心の注意が払われるようになった。それまではしめてすぐの肉が食べられていたのが、現代と同じように、しばらく放置することで熟成させた肉を食べるようになったのだ。

ところで、17世紀の終わり頃からフランス王は主にヴェルサイユ宮殿で生活するようになった。また、多くの貴族たちも王の取り巻きとしてヴェルサイユ宮殿で寝泊まりを始めた。その結果、フランス料理の中心はヴェルサイユ宮殿となり、発展を続けたのである。

この最新のフランス料理は貴族層全体に広がり、さらにそれを裕福なブルジョワ階級がまねることで、一般社会にも徐々に浸透して行った。ただし、ブルジョワ階級が貴族のまねをしたのは料理だけでなく、服装やかつら、香水、アクセサリーなども同じだったらしい。

一方の貴族の方も、ブルジョワたちがまねできないようにせっせと金を浪費し、より豪華になって行った。こうして、フランスの料理・服飾・香水などはヨーロッパ一の輝きを放つことになるのである。