ハンガリーとマジャール人-中世ヨーロッパのはじまりと食(10)
中世のハンガリーは高校の世界史では詳しく取り上げられない国の一つです。その理由の一つが、ハンガリー人の起源が他のヨーロッパの国々とは異なっているからではないかと私は思っています。
しかし「貴腐ワイン」の発祥の地であるなど、食の世界では重要な国の一つです。そこで、ヨーロッパ中世前期シリーズの最後となる今回は、ハンガリーを取り上げます。
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ハンガリーの人々は自国のことをハンガリーとは呼ばずに「マジャール人の国(Magyarorszag)」と呼ぶ。中世にハンガリーに移動してきて、それ以降ここを居住地にしているのがマジャール人だからだ。「ハンガリー(Hungary)」は英国を始めとする他の国々の呼び方にすぎない。
マジャール人はウラル山脈南西部を原住地とする遊牧民族で、夏はヒツジやヤギ、ウシ、ウマを放牧し、秋から春にかけて秋播きの穀物などを栽培する生活を送っていたと考えられている。
彼らは定住を行わずに良い土地を求めて小規模な移動を繰り返していたが、9世紀頃になると東ヨーロッパに向けて集団で大規模な移動を始めた。そして、ビザンツ帝国の北部領域に到達すると軍事行動を開始するようになる。
そこではビザンツ帝国と結んでブルガリアを攻撃するなどしたが、ブルガリアの反撃に会い、さらに西に移動した。そして、パンノニアと呼ばれた現在のハンガリーの地に到達する。
パンノニアは水が豊富で土壌も肥えており農産物の生産性が高かった。また広大な森林もあって、木材資源にも恵まれていた。このため、ローマ帝国やフン族、ゲルマン民族などによって相次いで支配されていた。マジャール人はこのパンノニアに進入し、9世紀の終わり頃に新しい支配者となった。そして、ヨーロッパ各地への侵攻を行った。
マジャール人は10世紀になるとさらに西進して東フランク王国と衝突するが、その戦いに敗れたためパンノニアに戻り、それ以降はこの地に定住するようになった。
定住を始めたマジャール人はヨーロッパに同化するためにキリスト教に改宗し、1000年にはローマ教皇から王冠を授けられ「ハンガリー王国(マジャール王国)」を建国した。その後、ハンガリーは豊かな土地を背景に、次第に東ヨーロッパの大国となって行く。
ところで、マジャール人とウラル山脈からパンノニアへの移動をともにした「コモンドール」というイヌがいる。このイヌは歩くモップと呼ばれるほど被毛が発達していて、これがオオカミなどの牙から身を護るヨロイとなっているため、護畜犬として活躍してきた。現在でもハンガリーではヒツジを守るために頑張っているらしい。
コモンドール(Jakob StraußによるPixabayからの画像)
さて、ここでマジャール人の食に関する話をあげておこう。
マジャール人は遊牧民で常に移動していたので、それに適した調理道具を常備していた。それが大きな鍋である。鉄製の鍋に肉とタマネギやそれ以外の野菜、そしてラードなどを入れて焚火にかける。弱火でコトコト煮るとシチューになるし、野菜を増やしたり水を加えたりするとスープになる。これがハンガリー料理で定番の「グヤーシュ」だ。簡単に作れるし、必ず美味しくできる料理だ。なお、食べきれなかったグヤーシュは乾燥させて、ヒツジの胃で作った袋に入れて持ち運び、後で食べたという。
グヤーシュ(Kobako, CC BY-SA 2.5 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5>, via Wikimedia Commons)
パンノニアの主要な作物はオオムギとライムギで、ゲルマン民族が支配していたころはオオムギからビールがよく造られていた。それがマジャール人の国となってキリスト教が定着して行くと次第にブドウの生産が盛んになり、ワインが大量に造られるようになる。そして、ハンガリーは東ヨーロッパの一大ワイン産地へと成長して行くのだ。
このような背景のもとで1650年頃に極甘口の「貴腐ワイン」がこの地で誕生するのだが、その話はするのはもう少し先のことになる。