カリブ料理カラルーのはじまり-中南米の植民地の変遷(4)
カラルー(callaloo)は、カリブ海の島々やカリブ海に面した地域の伝統的な野菜料理で、この地域のソウルフードと呼んでも良いものです。カラルーは、それぞれの土地で手に入る葉野菜と、オクラやカボチャ、タマネギ、ピーマンなどを油で炒めた後、煮込んで作ります。最近では、ココナッツミルクやトウガラシで味付けされたり、豚肉やカニなどの具材が入れられたりすることがあります。
なお、カラルーと言う料理はカリブ海の人々にはとてもなじみ深い料理であることから、カラルーに入れる葉野菜のことも、それぞれの土地でカラルーと呼ばれることがあります。例えば、トリニダード・トバゴでは、タロイモの葉をカラルーに使用しますが、この葉のことをカラルーと呼ぶことがあります。また、ジャマイカでは、カラルーに入れるアマランサスという植物の葉をカラルーと呼びます。
今回は、このカラルーと言う料理がカリブ海で生み出された歴史について見て行きます。
カラルー
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カラルーは、西アフリカから連れて来られた黒人奴隷が西アフリカの料理をアレンジして作り出したと考えられている。
黒人奴隷たちは、西アフリカから運ばれてくる時に一緒にいくつかの作物も持ってきたと考えられている。その一つがタロイモであり、オクラだった。それらを使って作ったのがカラルーだ。
奴隷たちの生活環境は過酷で、農場主から与えられる食事も十分なものでは無かった。彼らが生き延びるためには、空き地で自分たちが食べるものを作らなければならなかった。そうして育てられたのがタロイモやオクラだった。もともと西アフリカではカラルーにはホウレンソウが使われていたが、カリブ海の島には存在しなかったため、持ってきたタロイモの葉とオクラが使用されたと考えられている。
なお、タロイモはサトイモの仲間の総称で、地中や地表部の茎に養分がたまった部分を食用とする植物のことだ。アジアが起源地で、早い時期に人の移動とともにアメリカ大陸を除く世界各地に広がったと考えられている。
カラルーに使用する油にも西アフリカとカリブ海の違いがあった。西アフリカのカラルーにはパーム油が使用されていたが、カリブ海にはアブラヤシ(パームの木)が無かったため、代わりにココナッツオイルを使用した(ちなみに、ポルトガルは15世紀にアブラヤシをブラジルに持ちこんでいたので、ブラジルではパーム油が利用できた)。
カラルーの栄養価を高めるために、奴隷たちはタンパク性の具材を加えようとした。トリニダードなどのカリブの島々は海がすぐ近くにあるため、海岸にいるカニを簡単に捕まえることができた。このように、最初の頃のカラルーにはカニが入れられていたという。
しかし、プランテーションから逃亡する奴隷が頻出するようになったため、1500年代半ばには移動の自由が完全に奪われ、海岸には近づけなくなってしまった。その結果、カニを入れることができなくなってしまったのだ(現在では、カニが再び入れられたカラルーが名物料理になっている島がある)。
その代わりになったのが魚だった。魚は畑の肥料として使用されていたが、農場主の目を盗んでカラルーに入れられるようになったという(もちろん見つかれば厳罰に処された)。農場主はこれを防止するために、肥料に塩漬けの魚を使うようになった。高温のカリブ海では、塩魚を食べて塩を摂り過ぎてしまうと水分が不足して脱水症状が出てしまうからだ。
それでも奴隷たちは、塩魚を何とか塩抜きしてカラルーに入れて食べたという。そうでもしなければ、すぐにタンパク質不足に陥り、生きて行けなかったからだろう。
また、炭水化物不足を補うために団子をカラルーと一緒に食べることが多かった。団子は現在では小麦粉で作られることがほとんどだが、植民地時代には奴隷がコムギを栽培することは難しかったので、代わりに中南米原産のキャッサバを使用した。キャッサバには毒が含まれていることが多いので、すりつぶしたものを1日ほど置いて毒を分解させる。そして団子状にこねたものをゆでるか油で揚げるかして食べるのだ。
こうしてトリニダードやジャマイカなどでは、カラルーに塩魚(主にタラ)を入れ、それに団子を添える「Callaloo, Saltfish and Dumplings(カラルーの塩魚と団子添え)」という伝統料理が食べられ続けている。
Callaloo, Saltfish and Dumplings(Kevinによるflickrからの画像)