食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

2・2 古代文明の食文化の革命ー塩が文明を支えた

2020-04-25 09:38:15 | 第二章 古代文明の食の革命
2・2 古代文明の食文化の革命
文明社会が形成されるにつれて職業の専門化が進み、料理人や特定の食品を作る職人が登場した。その結果、食生活は豊かになって行く。ここからは、古代文明での食文化における様々な革命について見て行こう。

塩が文明を支えた
牧場見学に行くと、牛などの家畜が白い石のような塊を美味しそうに舐めているのを目にすることがある。この白いものは「塩(塩化ナトリウム)」だ。餌の牧草に塩の成分のナトリウムがほとんど含まれていないため、塩を与えることでナトリウムの補給をしているのだ。

ナトリウムは動物にとって必須のミネラルだ。ナトリウムが不足すると、腸で栄養素を吸収することができないし、心臓や筋肉を動かすこともできない。また、神経細胞も機能しなくなる。

肉にはナトリウムがたくさん含まれているため、主に肉を食べているとナトリウム不足にはならない。ところが、人類が農耕を始めて植物性の食品を多く食べるようになったことから、塩を摂取する必要が出てきたのだ。さらに、牧畜を始めたことにより、家畜に与える塩も必要になった。このような必要に迫られて、人類は塩づくりを始めたと考えられる。

塩づくりを始めた人類はやがて、塩には食べ物を腐らせない働きがあることを発見する。すなわち、さまざまな食物を塩につけることによって、長期間保存ができることを見つけたのだ。

例えば、肉や魚を塩漬けにすると保存食になる。ソーセージはその典型で、紀元前1500年頃のオリエントでその原型らしいものが誕生していたという説がある。また、チーズ作りにも塩は欠かせない。これらは、食料生産の乏しい季節の食料としてとても貴重だった。

四大文明が起こった大河流域が雨の少ない乾燥地帯だったことは、生活に必要な塩を獲得する上でも有利だったと考えられる。つまり、海水の水分を太陽の熱で蒸発させれば、塩を比較的簡単に手に入れることができたのだ。

こうした塩づくりはメソポタミアで始まったと考えられている。さらに、この地域の内陸部には塩湖や塩泉もあった。また、死海の岩塩も広く利用されていた。このため、メソポタミアでは生活に必要な塩には事欠かなかったのだ。

一方、エジプトも塩に恵まれていた。ナイル川河口付近では、灼熱の太陽によって海水の塩分が白く析出するそうだ。古代エジプトでも海水を用いた塩づくりが行われた。また、リビアやエチオピアの山々から切り出された岩塩の輸入も盛んだった。一般的に岩塩は塩化ナトリウムの純度が高いため、海水から作った塩よりも良質とされた。ちなみに、悪神セトが海の神だったため、エジプトの神官は海水から作った塩を口にしなかったそうだ。

エジプトでは得られた大量の塩を使って、野菜や魚、肉など、様々な食べ物の塩漬けが作られた。これらはエジプト人の食卓に上るとともに、交易品として地中海東岸のフェニキアなどに輸出された。塩漬けの食品の輸出は大規模で、長い間エジプトの経済を支えた。

インダス文明でも、少なくとも紀元前3000年頃には海岸近くの湿地帯に海水を引き込んで製塩が行われていた。冬季の乾燥期に水分を蒸発させて製塩が行われたと考えられている。

一方、中国文明を支えたのは海水で作った塩ではなく、塩泉や塩湖から得られた塩だ。特に、山西省にある解池と呼ばれる塩湖から採取された塩は、全盛期には中国全土で使われていた塩の約7割をまかなっていたと言われている。ちなみに、三国志に出てくる関羽は解池の近くで生まれ、塩の取引に関わっていたという話もある。

このように、四大文明の地域で塩を容易に手に入れることができたことが、文明を形成する上で重要な役割を果たしたと考えられる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。