食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ヴァイキングとエリザベス女王と北の食べ物-中世ヨーロッパのはじまりと食(9)

2020-11-14 19:31:08 | 第三章 中世の食の革命
ヴァイキングとエリザベス女王と北の食べ物-中世ヨーロッパのはじまりと食(9)
今回はヴァイキングの話です。ヴァイキングとは北方系ゲルマン民族の一つのノルマン人の別称で、ヴィーク(入り江)に住む人を意味すると言われています。

ヴァイキングと聞いて思い浮かぶものとしては「海賊」と「料理」が多いかと思いますが、料理のヴァイキングは日本だけで使われている言葉です。1958年にオープンした東京・帝国ホテル内のレストランが、映画『ヴァイキング』で船の上の食べ放題のシーンからヒントを得てこの名前を使用したということです。


(Gary ChambersによるPixabayからの画像)

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ヨーロッパでは9世紀になると第二のゲルマン民族の移動が始まった。北方にいたノルマン人がヨーロッパ各地への移動を開始したのである。彼らはイギリスやフランスなど西ヨーロッパ各地に進出し、交易とともに時には海賊行為を行った。そして一部はイギリスやフランスなどに定住するようになった。

ノルマン人は最初のゲルマン民族の大移動の時には移動を行わずに、もともと住んでいたノルウェーなどのスカンディナビア半島やデンマークなどにとどまっていた。この地域には氷河による浸食作用によって作られたフィヨルドと呼ばれる複雑な形をした湾や入り江が多く存在する。この海域でうまく生き抜いていくために、ノルマン人は造船技術や操船技術を身に付けて行った。そして、巧みな航海術を用いて他の地域との交易を行うようになる。農耕・牧畜・漁業もノルマン人の重要な生産活動だったが、次第に交易が生活を支えるようになって行った。

ノルマン人の海外進出は9世紀頃から急激に活発化するが、その要因には8世紀頃から始まる温暖化によって食料生産量が増え、ノルマン人の人口が増えたことがあるという説が有力だ。地域内に収まり切れなくなった人たちがあふれ出たということだろう。

ちょうどこの頃は、カール大帝の死後フランク王国が分裂した時期で(843年に西・中部・東に分裂し、870年に現在のフランス・イタリア・ドイツに近い形になる)国力が低下しており、ノルマン人の侵入を退けることはできなかったと言われている。また、ノルマン人は進んだ技術を持ったイスラム勢力とも交易などによって交流しており、西ヨーロッパの人々に対して軍事力でも優れていたと考えられている。

ノルマン人の一部はフランス北部のノルマンディーに定住し、911年にフランス王からノルマンディー公国として認められた。また、イングランドでは1016年にデンマーク王がデーン朝を建て、さらに1066年にはノルマンディー公ウィリアム(1027~1087年)がノルマン朝を成立させた。ウィリアムはイングランド王ウィリアム1世として即位した。その後のイングランドの王はすべてウィリアム1世の子孫となっている(現女王のエリザベス2世はウィリアムの27世の孫であり、ヴァイキングの子孫と言える)。



なお、ウィリアム1世はノルマンディーではフランス王の臣下という立場にあり、イングランドとフランスに広大な領地を有することになるが、これがジャンヌ・ダルクが活躍する英仏間の100年戦争(1337~1453年)の原因となる。

ノルマン人はイングランド・フランス以外に、シチリア島を含む南イタリア各地への侵攻や、ロシア方面、そしてアイスランドや北アメリカへの植民を試みたと言われている(カナダのニューファンドランド島北西端で、1000年前のノルマン人のものと考えられる住居跡が発見されている)。コロンブスがアメリカ大陸を発見する500年も前のことになる。

以上のようなノルマン人の移動は、その後の西ヨーロッパ社会の形成に大きく影響することになるが、それについては今後見て行く予定だ。

ここで、ノルマン人(ヴァイキング)の食べ物について見て行こう。

ヴァイキングが主に食べた穀物はライムギとオオムギだった。これは、ライムギやオオムギはコムギが育たない寒冷な気候や痩せた土壌などで育つためと考えられる。それ以外に、エンバクやキビなども栽培されていた。

このような穀物は粉にされて平たいパンになった。甘味料としてハチミツが塗られて食べられることもあったようだ。また、穀物はお粥にして食べることも多かったようだ。味付けのために野生のベリーやリンゴが入れたりした。

オオムギからはビールが造られ、ハチミツからはミード(蜂蜜酒)が造られた。この頃の水は消毒されておらず生のまま飲むことができなかったため、アルコール度数の低いビールも作られて子供を含めたすべての人が飲んでいたという。大人が酔いたい時にはもちろん、強いビールやミードを飲んだ。なお、ミードには神聖な力があり、不死や知恵を授けると考えられていたそうだ。

ところで、ヴァイキングというとウシの角で酒を飲んでいるイメージがあるが、これは事実だったらしい。11世紀頃まではこうしてビールを飲んでいたという。その後は住みついたヨーロッパ大陸の影響によって木製の容器に変化した。

ヴァイキングが一番よく食べた肉は豚肉だった。彼らは、ウシ、ウマ、ヒツジ、ヤギ、ブタなどの家畜を飼っていたが、中でもブタは肉をとるために大量に飼われていたようだ。それ以外には、ニワトリやガチョウなども飼育していた。また、狩で獲れるアザラシは貴重な脂肪の供給源で、血液、肉、脂肪などあらゆる部分を口にしたという。寒い地域では体に脂肪つける必要があるためだ。なお、ウシの角のように、家畜の骨・角・皮は針やスプーン、容器や、衣服を作るために最大限に活用された。

野菜や果実は野生のものが食べられていた。森でラズベリー、ビルベリー、プラム、リンゴ、ヘーゼルナッツなどを手に入れることができた。特にリンゴは健康に良いと考えられており、北欧神話では女神イズンが護る黄金のリンゴを食べ続けると不老不死になると言われていた。

また、北欧では肉料理などに使用する野生のハーブが豊富だった。現代でも北欧のハーブとして有名なディル、ジュニパー、キャラウェイや、マスタードシード、ニンニク、西洋わさび、コリアンダー、ミント、タイムなどが採集されていた。

なお、ヨーロッパ各地に移住したノルマン人はその地の文化に同化することで新しい食文化を作って行くことになる。


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