食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

唐の最盛期と食べ物がいっぱい-古代中国(9)

2020-08-15 23:02:54 | 第二章 古代文明の食の革命
唐の最盛期と食べ物がいっぱい-古代中国(9)
初代皇帝高祖により樹立された唐(618~907年)は、均田制・租庸調性・府兵制からなる中央集権体制と科挙による官僚登用制度など隋の国家制度をほぼすべて引き継いだ。また、隋が作った大運河などのインフラも引き継いでいる。ある意味、隋が苦労して築いたものを楽して手に入れた感がある。

高祖には李世民というやり手の次男坊がいた。李世民は626年にライバルの兄を殺し、高祖を退位させて第2代皇帝太宗(在位:626~649年)として即位する。即位の仕方はともかくとして、太宗は稀代の名君とたたえられている。太宗は三省六部と呼ばれる立法と行政を皇帝権力から分離する制度を確立し、皇帝の専横を自制するとともに、複数人の関与によってミスの少ない政治を行った。また、対外的には630年に遊牧民族の強国である東突厥を破り、遊牧諸民族から天帝の称号を与えられた。こうして太宗の時代は「家の戸は閉めず、旅人は食料を持たない」と言われるほど安全で豊かな社会になったそうだ(かなりの誇張が入っていると思われるが)。

    第2代皇帝太宗

太宗の次は高宗が第3代皇帝(在位:649~683年)となったが、病弱であったため皇后の則天武后が実権を握り、ついには女性初の皇帝となる(在位:690~705年)。ちなみに則天武后は太宗の側室だった女性で、それを高宗が皇后にしたのである。彼女は科挙制を強化して官僚を能力に応じて採用するなど良い政治を行ったが(実際に彼女の治世では農民反乱は一つも発生しなかった)、反抗するものは徹底的に排除するなど冷酷な面も持ち合わせていた。なお、彼女は仏教を深く信仰していて大仏の造営に大量の寄付を行ったところ、彼女の顔に似せて大仏の顔が作られたという。この大仏が奈良の大仏の手本となったという説があるそうだ。

則天武后は反対勢力のクーデターにより退位するが、次に立った中宗も皇帝への野望を持った韋皇后によって毒殺される。それに対して中宗の弟の睿宗(えいそう)が韋皇后一派を排除し皇帝となるが、すぐに息子に帝位を譲った。こうして唐の中興の祖と言われる玄宗(在位:712~756年)が即位した。玄宗の前半の治世は「開元の治」と呼ばれ、唐の絶頂期とされている。この時期には政治や経済も安定し、食料生産も順調に増え続けた。また、芸術文化も発展し、杜甫や李白らがこの時代に活躍した。

このような発展を支えていたものに他国との交流があった。7世紀の後半の高宗の時代に唐の領土は最大となり、西はペルシアと国境を接するようになっていた。そのため、ペルシア人やアラビア人との交流が盛んになっており、西方の物資が大量に中国内にもたらされていたのだ。彼らの中には首都の長安などの大都市に居住して大商人として活躍する者もいたという。長安にはペルシア人とアラビア人以外の外国人も多数生活しており、当時の世界で最も栄えた国際都市と言われている。

このような国際交流の結果、輸入されたものも含めて唐はそれまでで最も多様な食品であふれていた。
穀物はそれまでと変わらずに、コメやアワ、キビ、オオムギ、コムギが食べられた。小麦粉からは麺が作られ、饅頭や餃子、ワンタンも食べられていた。それ以外のでんぷん質のものとしては、ヤシ、クリ、レンコン、ヤムイモなどがあった。野菜にはたくさんの種類があり、中でも多くの豆類を食べたそうだ。豆は煮て食べられ(豆は熱をかけないと毒性がある)、醤の原料にもなった。また、海藻などもよく食べられた。

果物も多種多様だった。ナシ、モモ、ウメ、リンゴ、ブドウ、バナナ、カキ、ライチ、ビワ、ザクロ、マンゴー、ミカン、キンカン、ユズなどが好んで食べられた。また、ヘーゼルナッツやクルミ、松の実、ピスタチオなどのナッツ類も人気があった。

肉類はそれまでと変わらずに羊肉と豚肉がよく食べられた。それ以外には牛肉、鶏肉、野生のウサギやシカ、クマ、鳥の肉が食べられた。また、唐の人たちは、ゾウやサル、ラクダなどの珍しい哺乳類やヘビなどの爬虫類、スズメバチなどの昆虫も食べたという。一方、海の食べ物は、色々な魚やエビ、カニ、ハマグリ、カキ、ウナギ、クラゲ、イカ、カメが好んで食べられた。

飲料としては、水に様々な調味料やハーブなどで風味をつけて飲まれていたそうだ。またこの時代になると、お茶を飲む習慣が全国に広がった。茶葉はすでに中国全土で栽培されるようになっていた。世界でもっとも古いお茶の本の『茶経(ちゃきょう)』はこの時代に作られた。この書物には、お茶の起源から飲み方や産地まで書かれており、お茶の百科事典のようなものだ。

それ以外の飲料としては、ウシやウマ、ヤギ、スイギュウのミルクが飲まれていた。これらは新鮮な状態で飲んだり、乳酸発酵させたものを飲んだりした。また、マメやナッツから作られた豆乳のようなものも飲んでいたそうだ。

また、酒もよく飲まれた。コメなどの穀物で作った酒以外に、ブドウやナシ、プラム、ナツメなどの果実から作られた酒も人気のある飲料だったそうだ。

とにかく、唐には食べ物がいっぱいあふれていたのだ。


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