前々からレヴューしようと思っていたんだけれど、米 Landscape Architecture 誌本年4月号の記事(J. William Thompson, LAND MATTERS, p.13)から。アメリカの市街化郊外で、住宅のフロントヤードを、伝統的な芝庭から、「食える庭」につくりかえる動きが起きつつあるようだ。原油高や不況が背景になっているのだろう。kitchen garden や edible landscape ではなく、Edible Estates(Fritz Haeg『Edible Estates: Attack on the Front Lawn』(New York: Metropolis Press, 2008)という言い方は面白い。
ウェブサイトをみると、「食える」だけでなく、「見て良し」のフロントヤードになっている点が、新しいといえば新しいのかもしれないが、おおげさに estate という言葉を使うんであれば、地所の一部に菜園をつくるという、従来の発想ではなく、地所あるいは宅地そのものを「食用可能」な土地化する(宅地と農地のインテグレーション)という含意があったほうが面白い、と思う。
D.Balmori (ASLA) が『Edible Estate』に寄せた序文によれば、「Our ecological knowledge demands that we give up the lawn. This icon is no longer viable.」と、手厳しい。こういう断定的な物言いには、各方面から数多の異論反論が寄せられるというのは世の常である。案の定、4月号の記事は、読者の反響を呼んだようで、編集部に届いたレターのいくつかが6月号(p.15)で紹介されている。こちらもじつに興味深いが、また後日。
ウェブサイトをみると、「食える」だけでなく、「見て良し」のフロントヤードになっている点が、新しいといえば新しいのかもしれないが、おおげさに estate という言葉を使うんであれば、地所の一部に菜園をつくるという、従来の発想ではなく、地所あるいは宅地そのものを「食用可能」な土地化する(宅地と農地のインテグレーション)という含意があったほうが面白い、と思う。
D.Balmori (ASLA) が『Edible Estate』に寄せた序文によれば、「Our ecological knowledge demands that we give up the lawn. This icon is no longer viable.」と、手厳しい。こういう断定的な物言いには、各方面から数多の異論反論が寄せられるというのは世の常である。案の定、4月号の記事は、読者の反響を呼んだようで、編集部に届いたレターのいくつかが6月号(p.15)で紹介されている。こちらもじつに興味深いが、また後日。