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YoshikiそしてX-Japanはロマンチストのオレにとって非常に微妙なポジションにある。楽曲は昔から好きではあったが、どうもヤンキー的な匂いがするところがバツと言えばバツ―いやマーケティング的には功を奏しているのだろうけれど―。昔、たまたま立ち寄った淡路島のうらぶれたショッピングモールの片隅で、当時ドロップアウト中だったトシ(vo)がラフな格好で打ちひしがれたように歌ったTears(だったように記憶している)は感動的だった。個人的にはそれで十分なのだ。過剰なvisualは要らない。
ヤンキー? 俺は嫌いだよ、はっきり言って。文化論の対象としては面白いと思うけど、ヤンキーそのものには全くこれっぽっちのシンパシーも感じない。その点、Violet UKはヤンキー臭、ヤンキー色が―X-Japanと比べればだけれど―希薄な点がマル(と言えばマル)。音楽に求めるロマンの解釈を巡ってX-JapanとViolet-UKは対照的、と言えまいか。だから、後者に前者のような音楽性、楽曲を求めるのは間違っている。X-Japan的ロマン―ヤンキー的ロマン―は、個人的にはあってもなくてもどうでもよい類のそれ。もちろんX-Japanの音楽自体を否定しているわけではない。