ジャクソン氏が死んだのでブラックミュージックでも聴いて故人を、そしてあの頃を偲んでみようと思った。といっても僕はジャクソン氏のレコードを一枚も持っていないし、彼の全盛期の作品群も特に好んで聴いていたわけでもないから、彼を偲ぶといっても彼の音楽によってではない。しかし、彼ほどのミュージシャンであってみれば、そんじょそこらのレコードを引っ張り出してくるわけにはいかない。そこで取り出したるは、まずはダニー・ハサウェイ。渋い、渋すぎる、そしてかっこいい。それでいてじつにリラクシン。「かっこいい」ってのはいかにも陳腐な、そしてミもフタもない表現だが、これ以上に音楽の良さを伝えるのに相応しい言葉を僕は知らない。いい曲、美しい曲は数多あれど、かっこいい曲となるとぐっと絞られてくる。ロックだろうが、ジャズだろうが、R&B、クラシックだろうがなんでもそうだ。かっこよさは音楽のキモである。脱線。ダニーは投身自殺で帰らぬ人となった。。。おつぎは問答無用のマイルス・デイヴィス。マイルスは天才ぶりを発揮しながら長生きした。黒人ファンの反対にもかかわらず、白人のビル・エヴァンス(ピアノ)を起用したりしたところに彼の懐の深さを感じる(カインド・オブ・ブルーはそうやってつくられた)。マイルスは1991年に他界したが、この年、ジャクソン氏が「Heal the World」(YouTube)というバラードを発表した。これがすばらしい作品である。この手の曲を-よく言われるように-偽善的だとか、ナイーブに過ぎるとか、楽観的だとか、僕は決して思わない。素直に音楽的に感動すればよいのである。発表当時、僕はプライベートでのある出来事と相まって、J-WAVEでこの曲がヘヴィーローテーションされていたのをつい昨日のことのように思い出す。また脱線。
ところで、ブルーズ、そしてモダンジャズは黒人の独壇場だった。R&Bも。だけど、ロックあたりまでくるとかなり黒人のプレゼンスは怪しいものとなる。もうひとつ、極めて不可思議なことは、クラシック音楽界における黒人のポジションが皆無といってよいほどに希薄な点だ。クラシック音楽を勉強したりたしなむ黒人の方はたくさんおられるだろうが、黒人指揮者や黒人オケによるクラシックのレコード・演奏となると、ほとんどマーケットとして成立していない(黒人のジャズマンがクラシックピアノを演奏する程度)。なぜだ。むろんクラシック音楽は西洋文化の所産だといってしまえばそれまでだけれど、日本人を含む東洋人(それ以外の民族)の指揮者、演奏家によるレコードは少なからずあるし、それなりの評価を受けているものだってあるじゃないか。ひょっとして、黒人のリズム感や音楽性というものが、クラシック音楽とは何か根本的に相容れないのか。そういうことなら理解できる。でも、おそらくはそんなことじゃないだろう。日本人だってやってるんだから。黒人だったらもっと巧くやれるはずだ。僕は熱狂的な人権擁護論者でもなければ人種差別反対論者でもない。ただたんに優れた黒人音楽家によるクラシック演奏を聴いてみたいという、純粋に音楽的な興味から言っているだけのことだ。このへんに、クラシック音楽(業界)が抱えている「闇」というと大げさだが、純粋に音楽性や芸術的感性、技術では括れない、西洋(人)とそれ以外の地域(民族)を分け隔てている見えないバリヤーというか既得権益というか、そんなものを感じる。
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