戸田橋親水公園 (埼玉県戸田市川岸3-5-19)
荒川に架かっていた三代目戸田橋の埼玉県側にあった親柱(おやばしら)。
親柱下部に取り付けた「埼玉縣」銘板には在留米兵によってつけられたとされる弾痕の痕(三箇所)が今も残る。埼の上部と右下、玉の中央下。
こうやって戦争の名残が少しでものこっていれば歴史に埋没して忘れられることはない。
こうやって戦争の名残が少しでものこっていれば歴史に埋没して忘れられることはない。
昭和7年(1931)に完成した三代目戸田橋は、当時の橋梁技術では最高水準のトラス構造の鉄橋だったらしい。
しかし、幅員がせまく(11m)歩道の無い橋は歩行者にとって非常に危険だった。
昭和53年(1978)に四代目の橋が完成して歩道を安心して歩けるようになったのを懐かしく思い出す。
しかし、幅員がせまく(11m)歩道の無い橋は歩行者にとって非常に危険だった。
昭和53年(1978)に四代目の橋が完成して歩道を安心して歩けるようになったのを懐かしく思い出す。
前回の東京オリンピックで戸田橋を渡り終えた聖火ランナーは土手沿いに並んだ旗の横を走り降ってボートコース脇に立つ聖火台に向かった。
車道を西に越えれば戸田ボートコース (埼玉県戸田市戸田公園5-27)
子供の頃にこの辺りで手長エビを釣った思い出は懐かしいが、現在は立入禁止なので釣り好きの少年には気の毒。
昭和とともに手長エビ釣りの長閑な風景は消えてしまった。
前回記事 戸田ボートコース 2020年05月22日
子供の頃にこの辺りで手長エビを釣った思い出は懐かしいが、現在は立入禁止なので釣り好きの少年には気の毒。
昭和とともに手長エビ釣りの長閑な風景は消えてしまった。
前回記事 戸田ボートコース 2020年05月22日