気がつけば思い出Ⅱ

日々の忙しさの中でフッと気がついた時はもう
そのまま流れていってしまう思い出!
それを一瞬でも残せたらと...。

【日向ぼこ】をお題にした母の句。

2020年01月14日 | 伊代の俳句

日向ぼこ(日向ぼっこ)。冬の季語。

冬の日ざしを浴びてじっと温まること。

何もかも諦めに似し日向ぼこ

何も考えずその陽だまりでボーっとしていると、張り詰めていたものがふっと溶けてゆく・・・とか。

何もかも諦め…ってちょっと捨て鉢的な感じも否めないのだけれど。

人生なんて、食べるものがあって、住むところがあって、子供が居て...それだけでいいのだろう。

そんな感じの句だろうか?

こうして母の俳句を少しずつ載せはじめ、読み解こうとすると、なんだかその句に一貫した悔しさ寂しさを感じる。

12月28日のブログに乗せた前の句(冬そうび/冬薔薇)もそうだった。

冬薔薇や思いの丈のままならず

青春期が戦時中だった母の、目標を達成できなかった何かがずーっと心の奥にしまい込まれていたのかもしれない。

見出し画像にとネットでいろいろな日向ぼこの写真を探していると猫が多くヒット。

やはり日向ぼっこは猫ちゃんかもしれない。でもなかなかいいのが(俳句にあうような)見つからず、

結局ナラの写真に

後ろ足がきかなくなって、散歩に行けなくなり、重くて抱えられず、

布団ごとベランダへ引っ張っていって日光浴をさせていた頃(15歳)の写真。

この時ナラはいったいどんなこと考えていたのでしょうか?

これも俳句にあっているかどうかはわからず、母には(犬と一緒なの)って言われそうです。

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