今日、庭に咲いていた百日紅
あなたの職業はなんでしたか?と聞かれたとき、
「DTP のオペレーターです」と答えたい自分がいる。
50年近く働いた中でいちばん多かったのは一般事務職(主に総務、経理関係)だった。
その一般事務も、年月が経つうちに機械化の波に乗っていろいろと変わってきた。
計算手段ひとつ見ても、そろばん⇒電卓⇒パソコンへと移っていった。
私が、この流れにずっと乗り継いで働き続けることができたのが、
【Jスター】との出会いだったと思っている。(1987年、37歳)
Jスターとは富士ゼロックスのワークステーションで(1982年に発売)米国ゼロックスのStarというワークステーションの日本版。
Jスターを操作している時は、楽しい仕事ってあるんだと思った。
DTP(Desktop Publishingー机上編集機)との出会いのきっかけは夫からだった。
夫の勤務していた印刷会社で画期的な機械を導入したのだけれどオペレータがいないということで、その時ちょうど職を失って家に居た私にやってみないかという話があった。
画期的とは画面上で文字入力から編集までができ、その画面で表示されたままの状態で印刷できるという。
何故そんな面白そうな機械を操ってみようという人がいないのだろうと不思議だったが、
およそ30年前はワープロが主流で、その文字入力が出来高制になっていて、稼ぐ人はかなり稼いでいて、新機種を覚えている暇はなく、覚えた後も出来高での賃金計算は難しいとのことで時給制になるということがネックだったらしい。
私は「ワープロも出来ませんので」と一度断ったのだが、「ワープロとはまるっきり違います。むしろワープロを知らない方がよいくらいで、まずはマニュアルを読んで下さい」と、どさっと段ボール箱に入ったマニュアル本を渡された。
まあどうせプータロー(失業者)なのだからと、始めたところ、ハマってしまったのだった。
本当にワープロ(当時のワープロはいわば文字入力)とはまるっきり違う、ウインドウ、アイコン、マウスの世界。ドラッグ&ドロップすることができた。(今ではは当たり前のことだけれど)
隣室の版下作成作業ではページ数を一枚一枚に貼る作業をしているというのにページ割付けなどは100ページでも一瞬のうちしてしまう。
しかも字も絵も写真も取り込める。もちろん絵図も描ける。文字入力はワープロの達人に打ってもらいデーターとして取り込めばいい。
LANという考え方も既にあり、プリントは離れたところのプリンターからでも出力できる。
今ではみんな当たり前のようにできることが30数年前にできたのだ。
こんな機械が出回ったら印刷の世界に限らず他のドキュメント作成にも変革が起きると感じ、これからはこれだと思い一生懸命に覚えた。
自力で覚え、2年ほど経って、派遣会社に登録した。
いろいろな会社でいろいろなものが作成したかった。
依頼されたドキュメントだけれど、出来上がると達成感があった。
J スターオペレーターとしての10何年かで数社へ派遣され、働いた。
ただJスターは、
本体、ファイルサーバー、プリントサーバーも入れると少なくとも1000万はかかるといわれており高額で、設置に広いスペースも必要だったため、日本への適合性に欠けたのか?
Word、Excelなどの各々の役割を持ったソフトで動くMacintoshやWindowsのようなパーソナルコンピューター(PC)の台頭で徐々に職場から消えていった。
PCはコンパクトなうえ、個人でも購入できなくもない価格だったため、依頼者がドキュメントを自分で作成できるようになり、クライアントも減った。
でも、私はJ スターで得た知識のお陰で、ほとんど苦労なくPCの世界へ入りPCオペレーターとなることができた。
今の時点で比べても、まだPCより、上の機能は備えていたのではと思っている。
あの起動からログインまでの20分ほど待つ間(ちょっと不評でもあったが)のお茶は