母と子の絆(いと)細りゆく晩夏かな
季語は晩夏 (夏の終わり、秋の始まり)
母と子(自分)とを繋いでいる絆(糸)が夏の終わりとともにだんだん細くなっていく…
絆を(いと)と読むらしい。短冊にふりがながふってあった。
そんな読み方があるのか?と調べたが見当たらなかった。
(きずな)だと8文字になるので絆と糸を掛けて(いと)としたのだろうか?
祖母(母の母)は10月に亡くなった。83歳だった。
私はその年のお盆に帰省して、祖母に逢っている。
その時の祖母は、か細くなって…という言葉がぴったりだった。
もともと細かった手首はもっと細く、まるで棒のようだった記憶がある。
私の幼い息子たちに「お正月のお年玉は用意しているから」と言っていた。
(亡くなった後、確かに中身のはいったお年玉の袋が見つかった。)
その様に精神ははっきりとしていて、認知症とかでなく病名もはっきりしていたので入院すれば手術もできたのに、それで幾ばくか長生きしても仕方が無いと言って拒み、
最期は自宅で迎えたいとの希望だったらしく、母が面倒を見ていた。
お盆が終わるとそろそろ夏という季節も終わる。
そんな時期に祖母の介護をしていた母が晩夏と祖母の人生の終わりに掛けて、その心情を詠んだのだろう。
おととしの暮に亡くなった母を見舞った帰り、車窓から夕焼けを眺め
私もこの句と同じような心境になった。
その時帰りの車窓から写した夕陽
以前(夕陽が泣いている)という題でブログに載せた写真。
またこの橋を渡って行っても、もう母も祖母もいない。
寂しい句です。