和色ムーブメント

シニアになって、今一度「ムーブメント」を感じる旅に出てみようか

アルバイトアンクル 【 鳥取大山⑤ 】

2008年01月06日 | 昭和懐古

山の春もそこまで来ています。

とうとうアルバイトは私一人になってしまいました。日々の仕事をこれまでより丁寧に行なっている気がします。




S嬢は学校があり、冬休み終了後に一度下山したのですが、どうしても大山(この旅館)と完全に縁は切れず、実家の奈良と学校のある京都、そして、この旅館のある大山を掛け持ち移動する生活を始めました ・・・ 。
( この山とこの旅館とこの人々に完全にハマっています!)

多い時には男8名(女子を入れると12~13名)が一緒に寝起きをしたアルバイト部屋。今は私一人だけで、無駄に広くて淋しく感じます。反面、ゆっくりと時間が流れていることがわかります。

この山に来た目的でもあった “自分を見詰め直す” ことができる環境になってきたのかもしれません。昼の休憩になると大女将がお抹茶を入れて誘ってくれます。

若女将から “これからどうするん?” と聞かれます。“今、考えてます。” と答える私。“決まるまでここにおればいいよ” と若女将から声を掛けて戴きました。ありがたい言葉でした。( この言葉は一生忘れません。 )

この山に来て、自分でも知らなかった(気付かなかった)自分の側面を見たような気がします。意外と自分の正面というのは他人から見えている部分であって、その他人がこう見てるのではないか ・・・ という客観的な自分像なのかもしれません。

だから、自分で捉えることができた側面の方が素直な自分なのかもしれません。自分に素直になれたこの時間は貴重でした。

おばちゃんたちからもたくさん声を掛けてもらいました。たぶん、おばちゃんたちからすれば、私が自分たちの孫と同世代で心配だったのでしょう。
下山しても時々顔を出すことを約束しました。

私も S嬢 と同様に、この大山(旅館や人々)とは縁が切れそうにありません。庭から参道に出て麓を眺めると、いつの間にやら春の景色に変わっていました。暦の上でしか季節を区切ることができない都会では絶対に味わえない季節の移ろいです。一週間後、下山することにしました。

週末がやってきました。まずは、ゴジラさんたちに報告です。“山を下ります。色々ありがとうございました!” と私から声をかけました。すると、O氏 が、“K氏、ご苦労さん!” と言って写真の 「スイスアーミーナイフ」を私にプレゼントしてくれました。

ゴジラさんたちは、毎年やってくるアルバイトの精勤に対して記念品を贈っているようで、今年は 「THANKS!」 とプリントされた 「オリジナルトレーナー(メンバー全員の名前入り)」 が贈られました。

そして、そのアルバイトのうち、「ベストアルバイト賞」 というのがあり、もう一品記念品を贈っている(毎年あるとは限らないそうですが ・・・)そうです。その今年の 「ベストアルバイト賞」 を私が戴きました。

“ありがとうございます!”( アーミーナイフの裏面には “G” の刻印が ・・・!)それ以外にも、メンバーご愛用のキャップやサングラスも特別に戴きました。

お別れです!旅館の皆さんに挨拶をしていると、アツいものが込み上げてきました。涙もろい性格ですので、ちゃんと皆さんの顔を見ることができませんでした。“ありがとうございました!また必ず来ます!” という言葉しか言えず ・・・ 。

岡山まで O氏 が送ってくれるというので、車に便乗されて戴きました。結局、O氏 の自宅に一泊することに ・・・ 。夜中まで色々語り合いました。O氏 は、自宅で寝る時もシュラフです。私も一つ借りてシュラフで寝ます。

朝、目が覚めて私が起きようとすると、O氏 が目を瞑ったまま私に “直ぐに起きたらいかん!10分ほど寝袋の中で幸せを確認しないと ・・・ ” と言いました。私は言われたとおり “幸せの確認” をしました。自分の幸せより、人への “感謝” が脳裏に浮かんできました。

とりあえず、実家へ2~3日帰って、両親に “感謝” を表したあと、大阪に出ることにしました。この数ヶ月で出逢った全ての人と起こった全ての出来事に “感謝” です。

ありがとう! THANKS!


■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山① 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山② 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山③ 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山④ 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山⑤ 】


アルバイトアンクル 【 鳥取大山③ 】

2008年01月06日 | 昭和懐古


さて、休憩時間です。

“ゴジラさんたち” とゲレンデで遊びます!
今日は何をするのか ・・・





旅館の女将さんや旦那さんが “ゴジラさんたち” と呼んでいましたので、ここからは、この怪しいグループを 「ゴジラさんたち」 と私も表現したいと思います。写真右に単独で写っているのは私の25年前の雄姿?ですが、左の写真が 「ゴジラさんたち」 です。もちろん、こちらも25年前の姿ですよ。

ピンクのシャツ姿の方がリーダー O氏 で、当時40歳過ぎだったと記憶していますので、現在、65歳にはなられているのでしょうか ・・・ 。遊び心たっぷりのデザイナーさんで、この山での遊びも色々と提案されていました。

チーム名の 「ゴジラ」 のスペルが正解かどうか記憶が定かではありません。スカイは間違いなく 「SKY」 で 「SKI」 ではありません。空も飛んでいるのかと思い聞いたところ、「SKI」 で印刷物を依頼したところ、間違って 「SKY」 となって納品されたらしく、やり直しを言うのも面倒なので、その間違ったままの名前が正式なチーム名になってしまったとか ・・・ ( ここら辺りにも遊び心を感じてしまいます )。

このゴジラさんたちのスゴイのは、周りを明るくして楽しませるのは当然ですが、“やればできる!” で周りを巻き込んで行動までさせてしまうパワーがあるところなんです。私もその被害者?の一人でした。実は私、大山が初めての 「山」 。

当たり前ですが、スキーなんぞやったことはございません。もちろん、スポーツは大好きで運動神経はそれなりにありましたので、この機会にスキーはやってみる気ではいたのですが ・・・ 

いきなりでした!リーダーの O氏が私に “K氏、一緒に滑りに行こう!” と声を掛けてきたかと思うと、その週末に来ていないメンバーの板と靴を持ってきて、私の足にいきなりセッティングしてしまったのです。

ここまでなら世間でよくある話かもしれません。 しかし ・・・旅館を出ると、ゲレンデリフトのある方向とは逆に、参道を登り始めました。パラレルすらできない私は、直滑降スタイルのまま横を向き、蟹歩きでゆっくり登るしかありません。途中からは獣道のような細い山道を潜り抜けて行きます。

途中、段差やカーブがあり、私は何度も転倒、コースアウトを繰り返しました。出発から何分くらい掛かったでしょうか?何とか目的地のゲレンデ中腹に出ることができました。

しかし、ここからが本当の難関です。もう一度言いますが、私は初めてスキーをしています。今までは、登りと緩やかなカーブでした。そして、周りにはゴジラさんたちだけでしたので、そう迷惑は掛かりませんでしたが ・・・

“ほんとにここから滑るんですか?” という私の悲痛な質問すら受け流して、ゴジラさんたちは下のロッジに向かってサッサと滑って行ったのです。私は開き直り、直滑降で滑り始めました。止まりません!ヤバイ状態です。

とその時、ゴジラさんたちから “こけろ!” “ころがれ!” と声が掛かります。“ああ、こければいいんや。” と納得したのですが・・・ こけ方がワカリマセン!スピードがどんどん加速して本当にヤバイです。

目の前に私と同じレベルのおばさんがこけています。このまま行くと確実に人身事故です。思い切って私は横に飛びました。 ・・・ 何とか止まりました。( 良かった! )

“無茶してるな~” とメンバーから言われました。( 無茶させてるのは誰 ??? )これが私のスキー初体験でした。“やればできる!” をカラダをもって体感したということにしておきましょうか。

私がロッジについた頃には、同じアルバイトの S嬢(奈良の19歳大学生)もバギーに乗せてもらってやって来て総勢8名が合流です。さて、ここからはスキーやバギーを使ってゲーム開始?です。(珈琲が懸かっています!)





25年前(80年代)に、シャツやトレーナーにジーンズという軽装で春スキーを楽しんでいます。今の時代ならショートスキーも遊びグッズとしては当たり前でしょうが、2m前後のロング板全盛の時代に、「HELLY HANSEN」 の160cmショートの白いスキー板を選択し、ゲレンデに現れたメンバーは凄いです。

それから、発売されたばかりの 「三輪バギー」(ホンダのATC110) に乗って遊びまわる 「ちょいワル兄ちゃん?」 は、今の時代でも十分通用するはず。その時、私は真剣に思いました。“こんな 30代 40代 になりたい!” と。影響を受けない方がおかしいです!

私に強烈な印象を残したあそび集団は、春には色違いの 「Vespa」 でツーリング、皆がそれぞれ持っているお気に入りの「Zippo」、自分たちで旅館に持ち込んだ「L.L.Been」 柄のカバーの付いたコタツ、そして、「アメリカン」 の程よい豆香が漂う珈琲メーカーからカップに注いだたっぷりの珈琲をブラックのまま啜り、寝る時は布団ではなく、もっぱら 「シュラフ(寝袋)」 を愛好するメンバーたち。( 朝一、私が部屋を覗くと、何と 「芋虫集団」 に ・・・ 。)



    HONDA ATC110                ZIPPO

ゴジラさんたちはほとんどお酒は飲みませんでした。ビールくらいは飲んでいる人はいたかもしれませんが、“真剣に遊ぶ” が大前提のようで、最大限、時間を有効に使っているようにも見えました。

そんなゴジラさんたちの部屋でウイスキーのボトルを1本発見しました。○トリーホワイトの瓶です。“へぇ~、ウイスキー飲むんや ・・・ ” と思いながら、私が何気にキャップを開けた瞬間、何とも表現がし難い悪臭が立ち込めました。

“腐ってる!” と私は思い、ボトルをマジマジともう一度見直しました。すると、ボトルの中に何やら黒い物体が ・・・ それは 「カメムシ」 という虫の屍骸でした。

山にはカメムシがたくさんいて、部屋の中に入ってきては悪臭を放つので、ゴジラさんたちは捕まえては、こうして瓶詰めにしていたそうです。( 今シーズンは多いとか少ないとかを “虫容量” でチェック!・・・? )

このアルバイト、まだまだ何か起こりそうな予感が ・・・ 。(つづく)

■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山① 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山② 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山③ 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山④ 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山⑤ 】


アルバイトアンクル 【 鳥取大山② 】

2008年01月06日 | 昭和懐古

続々とスキー板を抱えたお客様(スキーヤー)が入館してきます。

この宿は常連のお客様が多いようで、旅館の方との挨拶やお客様同士の再会の挨拶があちこちで行なわれています。玄関エントランスに置かれたストーブの周りには自然と人だかりができていました。かと思えば、荷物を置くと同時に即行でゲレンデに向かうツワモノもいらっしゃいます。




 

入館されたお客様を部屋へご案内、食事(朝・昼・晩)の用意と片付け、施設の説明や案内、貸しスキーの管理業務、お風呂やトイレの清掃、布団のメイキング、チェックアウト後の部屋の清掃、館内の共用部分の清掃などなど、アルバイトの仕事は後から後から湧いてきます。

朝5時過ぎに起床して仕事が始まり、夜0時前後には就寝できるスケジュールだったと思います。その日の状態にもよりますが、3食付いてお昼から夕方にかけて2時間ほど自由時間もありましたので、私にはさほど過酷な状態ではありませんでした。

常にカラダを動かしながら次のスケジュールへとシフトできるという点では、自分向きでしたし健康的で規則正しい生活リズムになったことは間違いありません。一日の中で場所や仕事内容が変わることは、超のつく飽き性の私にとってはストレスの溜まらない好条件の環境だったとも言えます。

そして、仕事面で一番やりがいを感じたのは、自分たちで仕事の組み立てができたということでした。はじめに、「絶対にしなければならない事」 と 「絶対にしてはいけない事」 は教えられますが、それ以外は、それぞれで判断して行動しなさいという風土(学校でいう校風、会社でいう社風)がありました。

もっと言えば、誰かがリーダーシップを発揮しないと、仕事が纏まらない進まないという状態に必ず直面します。限りなく(放任ではない)自由主義で、限りなく全体の行動責任が問われる環境でした。これが私の仕事観を変えるキッカケになったのだと思います。

言われる前にやってみる。本当に困った時には聞けばいい( HELP US!)。と思えたのは人間関係含めた環境のせいだったのではないでしょうか。女将さんやおばちゃんたちに教えてもらった作業を自分なりに組み立て直し、優先を外さないように順番を変更したり、作業を取りまとめて分担(分業)制にして効率化を図りました。

例えば、部屋のメイキングや掃除は、おばちゃん個々が割り当てられた部屋をそれぞれ担当して、一人で全ての作業を完結していたのですが、それを分業化し効率を高めました。もちろん、同じアルバイトですので、役割は毎日ローテーションします。

ただし、ルールとして、自分の前に行なった作業に不備があった場合は、その場でしっかりとフォロー、あとで本人には直接その不備を伝えるようにしました。( 良い人間関係の構築に外せない部分です! )

3日目には、年齢もあるのでしょうが、私がアルバイトのリーダー的な存在になっていました。私は本来、自ら上に立ちたいタイプではないのですが ・・・ 。

しかし、いつも真剣に取り組むとのめり込み、そういう状態になることがあります。そして、必ずといっていいほど周りに勘違いや誤解が起こります。

特に、派閥争いのような現象が起こり、敵対視する者が出てきたりします。そういう状況になると、私はスーッと冷めてしまい、全くリーダーシップを発揮しなくなる意固地な部分もあります。学生時代(クラス委員や部活リーダーで)嫌というほどそういう経験をしていたので、それだけは避けなければなりません。

勘は当たりました。少しそうした傾向が見え始めた者が現れました。適材適所でオペレーションすれば、もっと効率が上がるのに ・・・ という考えでした。私の考えではまだ無駄があるという見方だったのでしょうね。確かにそうです。

しかし、ここへアルバイトに来ているメンバーのほとんどは、たくさんのお金や追求した生産性を求めているわけではありません。私は皆で取り組んで無駄が減った分、個々の時間に充てたかっただけです。

お客様の満足度を下げないように、また、旅館の方針をけっして曲げないで、且つ、スタッフのトライに対する達成感と有意義な時間を作りたかっただけです。
( 何と言っても、皆が笑顔で働ける環境がBEST!なのではないでしょうか )

私は時間を掛けることにしました。私の考えで動かしていた部分をすべて0(ゼロ)に戻して、その本人に任せることにしました。そして、私は実行とフォロー役にまわりました。

それから何度か意見はぶつかったのですが、約1ヶ月後にはお互いの信頼関係(必要性)は築けたと思います。真剣に “(その環境を)良くしたい” とか “(お客様の満足のために)貢献したい” といった共通認識がある限り、人は解り合えるものだとも感じました。

その実践をこの環境でできたことは、これまた貴重で大きな財産になりました。


↓共用廊下を掃除している途中、“旅館内に 「怪しい部屋」 発見!” です。




ここは屋根裏部屋です。(最上階の押入れの扉を開けると秘密の階段が・・・)しかし、れっきとしたお客様の部屋なのです。とはいっても普通のお客様ではなく、常連?の遊びグループがシーズン中借り切っている特別の部屋だったのです。

“週末の真夜中、音を立てずにヤツらはやって来る!” (少し音はしますが ・・・)
岡山や広島から集まってくる遊び大好きなグループです。
「ゴジラスカイクラブ」 という名で、30~40歳代が中心の12~13名のチーム?でした。

私より一回り以上年上の人がメインだったですが、とんでもなく楽しくて元気な方々の集まりでした。私は直ぐに意気投合し(完全にハマリました!)、週末の夜中になると屋根裏部屋へお邪魔をして一緒に遊ばせてもらいました。真夜中に他愛もない話をするのですが、真剣に楽しませてくれる空気がありました。

もちろん、彼らはスキーをしに来ているのですが、“スキーも含めて山で楽しもう!” 精神に溢れた面々でした。いつも笑顔で、いつもパワフルで、輝いていました。20歳過ぎの私から見て “こんなオッサンなかなかおらんよ!” というレベルでした。週末は完全に寝不足、週明けにはフラフラ状態で仕事をしていました。(つづく)


■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山① 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山② 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山③ 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山④ 】
■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山⑤ 】


アルバイトアンクル 【 鳥取大山① 】

2008年01月06日 | 昭和懐古


高校時代から色々とアルバイトをしてきました。

窮めつけは、大学受験に失敗し、それから3年ほどは定職にも就かず、様々なジャンルの仕事をフリーで渡り歩くアルバイト生活をしていた時代がありました。いわゆる、今の “フリーターの走り” だったかもしれません。

アパートの表札に 「ALBITE UNCLE」 という肩書き?を自身で付けるというその時代には何とも外れた怪しいヤツであったことは確かです。

鳥取大山(だいせん)の旅館(宿坊)でアルバイトをした経験があります。もう、25年くらい前の話ですが、その時の記憶は昨日のことのように鮮明です。





その頃、家業(潜水工事業)を手伝っていたのですが、どうも性に合わず、親父に本心を話して家を出ることにしました。 どうせ家を出るのなら ・・・ “今までとは全く違う環境で働き生活してみたい!” と考え、四国・九州・関西とどこに移っても、いつも 「海」 の近くで生活していた私は、憧れまではないものの「山」 へ行くことにいささか興味を持ち始めていました。

とりあえず、求人雑誌を買い込み職探しを始めました。丁度、冬目前で、スキー場アルバイトの求人がたくさん掲載されていました。その中から、何故か、北海道や信州ではなく、鳥取(大山)にある一軒の旅館(宿坊)の求人が目に止まりました。

何か他とは違う空気を感じたというか、ちょっと怖い話ですが、何か(誰か)に “誘われている” 気がしたのです( 天邪鬼なので待遇条件が一番悪いところが気になったのかも ・・・ )。履歴書を郵送すると、意外と早く電話で採用の返事がありました。( 即採用 !? )

12月22日だったと思います。山陽本線で岡山まで行き、伯備線に乗り換えて米子に向かいました。初めて米子駅に降りたのですが、何度も来ているような錯覚を覚えました。

バスに乗り込み大山へ向かいます。伯備線の途中辺りから寒さを感じていたのですが、夕方、バスを降りて一番上(大山寺に一番近い場所)にある旅館(宿坊)に着いた頃には、完全に悪寒に変わっていました。

女将(若女将)さんが気遣ってくれて、私のためにお風呂を早めに沸かしてくれました。天然ではありませんが、お客様用の大きなお風呂です。1時間以上温まったのですが、何分浸かっていてもなぜか震えが止まりません。

結局、山開き(12/25)を3日後に控えて準備に大忙しの旅館で丸2日間寝込んでしまいました。後でわかったのですが、私の履歴書にある今までのアルバイト経験を見て、女将さんが私だけ先に入山させて用意を手伝わせる予定だったようです。

そういう意味では、完全に期待を裏切り、まったく、役に立たない野郎でした。体調が戻ったのは山開きの前日、他のアルバイトが次々やってきた日でした。それぞれの自己紹介もそこそこに慌しく山開き前日が終わりました。

働くことに関しては、高校時代からしんどい仕事やつらい仕事は数多くこなしてきましたので、少々のことでへばることはありません。つい数日前まで1トン前後の石を相手に力仕事をしていた私が、お客様相手とスタッフ同士の連携がメインの仕事で戸惑うと思いきや、案外スムーズに入っていくことができました。この経験こそが今の仕事を選んだ大きなキッカケになったことは言うまでもありません。

そして、もう一つ強く印象に残っているのは、出会った方々の優しさです。優しいというより、皆が大らかなんですよね。田舎だから ・・・ 確かにそうかもしれませんが、最初からそれ以上の空気感(家族のような一体感)がありました。

旦那さんと女将さん、大旦那に大女将、麓(ふもと)の村からシーズン中だけ手伝いにやって来るおばちゃんたち、そして、初めて会ったアルバイトの面々。すべての人が温かい人間でした。自分が日々変化しているのを感じた数ヶ月でした。この旅館での人との出逢いは私の人生観を大きく変えるものでした。





このシーズンになると未だに毎日、新聞の 「スキー場だより」 が気になります。
クリスマスの頃には積雪が 「0」 でどうなることかと心配しましたが、昨年末からようやく寒波が入り、大山の各ゲレンデも滑走が可能になっているようですね。

この週末も賑わいをみせていることでしょう。山にやって来るお客さん相手に多くの人々が一生懸命に仕事をしています。景気の良し悪しでなく自然現象でその仕事が減るのはやはり辛いものがあります。何とか毎年、スキー客が楽しめるくらいの雪がコンスタントに降ってくれるといいのですが ・・・ 。(つづく)


■ アルバイトアンクル 【 鳥取大山① 】
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