新・臨床検査の光と影

人の命を測る臨床検査に光を!

戦争を語り継ぐ 14歳の記憶 

2014-08-15 09:02:13 | インポート

        69年前の夏の記憶 ⑧

      敵性用語禁止、野球にならない

 米英と戦争しているのだから、英語はすべて使用禁止」警視庁公安課からの通達です。軍国少年ではありましたが、一方で、田んぼで三角ベースの熱狂的な野球少年でもありました。

 ストライク=「よーし1本」 ボール=「だめ」 セーフ=「安全」 アウト=「無為」 「ファール」=「圏外」 タイム=「停止」 という始末で野球にならなくなりました。

  バットやグローブ、キャッチャーミットは、なんと云ったか覚えていません。

 笑ってしまうものもあります。

 ラグビー=「闘球」 スキー=「雪滑」 スケート=「氷滑」  動物、植物、音楽や芸名も、カタカナ語は使えないばかりか、英語の授業も成り立たなくなりました。

 英語が使えなければ、休戦交渉も不可能ですし、停戦交渉も成り立ちません。

 これが「戦争」というものです。

 今日は終戦記念日。甲子園球場では「ストライク」「ボール」のコールも明るく力強く響きわたり、高校球児たちが全力で駆け回っています。

 


戦争を語り継ぐ 14歳の記憶

2014-08-14 20:28:52 | インポート

         69年前の夏の記憶 

      予科練に憧れ、陸軍幼年学校に

 1931年、日中戦争発端となった盧溝橋事件の年に生まれました。1941年、真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争は小学6年生、すっかり軍国少年が出来上がっていました。音楽の時間にオルガンを弾く若い女性教師に、「軍歌を教えて・・・」と、強く迫ったことを、不思議なくらい、はっきり覚えています。教師は、民謡や小学唱歌を続けるだけで、最後まで軍歌を弾いてはくれませんでした。

 旧制中学1年になると、海軍軍人だった体操の教師に、実戦の話を強要しましたが、彼は実戦の経験はありませんでした。 

 ある日の朝礼で、海軍飛行予科練修生(通称・予科練)になった先輩が、七つボタンの白い軍装で、壇上に立って勇ましい話をしました。もう頭の中は一時も早く軍人になることしかありませんでした。

 たまたま、ある教員から、陸軍幼年兵学校の入学試験があると聞いて、躊躇なく前橋市の試験場に向かいました。

 しかも、早朝からの空襲警報発令で、試験開始が1時間も遅れました。第1次試験合格、しかし、第2次試験は、激しい空爆、そして終戦の末、ついに行われることはありませんでした。 


戦争を語り継ぐ 14歳の記憶

2014-08-07 09:11:48 | インポート

      69年前の夏の記憶 ⑤

     1945年夏 8月5日の空爆 

 5日夜半から6日未明まで続いた、県都・前橋市街中心部への空爆は、B29爆撃機92機の大編隊で、さらに凄惨なものでした。投下されたM69焼夷弾の量は729トン。2万9000戸のうち、1万1000戸以上が焼失、市街の80%が焼失し壊滅しました。

  死者532人。負傷者600人。

 木と紙でできた日本家屋を標的にするには、M69焼夷弾は、どのような爆弾より効果的でしょう。

 6日の朝になると、前橋の被災者が、なかには焼け焦げた衣服の男性が、手に荒縄で縛った釜の木の蓋をぶら下げて前橋から10数キロを、放心状態で歩いてきました。

 そしてこの日、テニアン島基地を飛び立ったB29爆撃機は、広島に原爆を投下しました。

 大本営発表は「敵は広島に新型爆弾を投下した模様・・・」と真空管ラジオで聞きました。この時ばかりは、さすがに「わが方の損害は軽微なり」とは言いませんでした。

 8月7日朝の青い空を、爆撃効果を確認するかのように、1機の爆撃機が悠々と偵察飛行をしていました。


SLみなかみ1号・2号が爆走

2011-08-27 14:46:06 | インポート

Dsc02266_9   左が1号のD51・右が2号のC61

      

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    SLみなかみ1号(D51)2号(C61)が疾走

 今日は、珍しくSLの2列車が、相次いで疾走するとあって、自宅の近くの撮影スポットは、最大のカメラマンが目白押しでカメラの砲列?をしいていました。

   遠くは東京・千葉ナンバーの車が農道を埋め尽くすように駐車していました。                           

  


麻生総理の君子豹変

2009-01-07 20:29:34 | インポート

Photo_2       麻生総理の「豹変とブレ」 

 2兆円の給付金問題で「一億円も収入のある方はもらわないのが普通だ、人間の矜持の問題かもしれない」と、12月21日に言っていたのを記憶していますが、昨日あたりから怪しくなってきました。

 「矜持」とは、自負とか誇りを言いますが、どうやら、それも捨てそうなのが昨日の発言。KY総理としては、普段あまり使っていない漢字を知っているのにはビックリしましたが・・・。

 おまけに「金持ちが受け取るのは“さもしい”とも云いましたが「さもしい」とは、見苦しい・みすぼらしい・いやしい・卑劣・心が汚い、などを言うそうです。とすると、昨日の細田官房長官の「国会議員は率先してもらうべきだ」の談話は、国会議員は、みんなで“卑劣”な人間になろう、と呼びかけたのですかネ?

 一国民としては、そりゃー大変困った一大事です。

  それも公明党がごり押ししたとか、そうじゃないとか?の泥試合が始まっています。 

 また、麻生総理は「その時になってから考える」一国のリーダーですから、せめて自負や誇りを失わないで、「時代が変わった」とも言っていますが、ただの変節、不安に駆られたブレでしょうネ。

 言葉じりはとらない積もりでしたが、我慢できなくなりました!