ラジオ放送・東部軍管区情報「房総半島ヨリ侵入セル敵ハ北上中ナリ」・「第十一軍管区・空襲警報発令」この放送の直後、 世界最大の4発爆撃機B29の大編隊が夜間、前橋市街の無差別爆撃を行いました。空爆による一般市民の死者、535名。
市街地は一面の焼野原、その向こうに利根川、そして赤城山麓です。
その夜、「本州の中心、臍の街」と自称している渋川町を襲ったナパーム焼夷弾の無差別投下で、標的を外れた焼夷弾が民家5軒を火の海と化し、死者1名、そのたった一人の死者が、親友「三郎君」だったのでした。
彼は経師屋の息子で、盲目のため、空襲警報とともに町外れの親戚に避難、そこで不意の業火に逃げまどい、無残にも焼死しました。
彼の姉が、裸足のまま着物の裾を翻しつつ、夜の大通りを「サブローッ」「サブローッ」と絶叫し、泣きながら走っていきました。
いまでも、弟思いの姉の姿が目に焼き付き、その叫び声が鮮明に耳に残っています。
町に投下されたナパーム焼夷弾の不発弾は、2メートルもの布切れの尾をつけて、警察署の庭に山積みされていました。
この数日前、米軍機から大量の宣伝ビラがまかれました。警察官が、必死になって「見るなーッ」と叫びながらビラを回収していきました。各市を空爆する予告宣伝ビラで、米軍機は、そのカレンダーに示された通り、前橋・高崎・太田・伊勢崎などの空爆を実行したのでした。
国際人道法、別名「戦時国際法」の非戦闘員保護も何もあったものではありません。広島の原爆投下の犠牲者20万人、長崎14万人、3月10日夜の東京大空襲12万人~15万人も然り!
これが戦争なのです。どれだけの政治家・国会議員が戦争のむごたらしさを知っているのでしょうか。
ポツダム宣言受諾の御前会議、9日前の出来事でした。 8月15日、ラジオは正午過ぎ、重大な発表があると放送、 子供たちは、言葉が難しくて、しばらくは戦争が終わったことを理解できませんでした。