県立大野病院産科事件の波紋(1)
8月20日・福島地裁判決
2004年2月17日、福島県立大野病院産婦人科で、29歳(当時)妊婦の帝王切開により、無事赤ちゃんを出産したが、前置胎盤に胎盤癒着が認められ、子宮摘出の必要と診断、一人産科医長の加藤医師は、子宮温存を希望する妊婦の希望を受け入れ胎盤剥離手術を続行、大量出血、高単位の濃厚赤血球輸血を繰り返すうちに、心室細動に至り、懸命な蘇生を施すも死亡するに至りました。
2年後の2006年2月18日、業務上過失致死罪・医療事故届出義務違反容疑者として富岡署により逮捕、同年3月10日、福島地裁に起訴。
不可解な逮捕劇演出と報道!
この逮捕をめぐって警察の不可解な行為が注目を集めたのは、事前に逮捕の通知を受けたマスコミが殺到「手錠」をつけられた加藤医師の姿が全国に報道されました。
年間200人もの出産を一人で取り上げ、休暇も取れず旅行することすらも無かった加藤医師は、臨月の妻おも抱えて、逃亡する意志は皆無であり、しかも、事件の証拠となるカルテ等は既に、福島県医療事故調査委員会の手中にあり、証拠隠滅の恐れも全くない状態での逮捕となりました。
一人医長の大野病院産科は閉鎖したまま、多くの妊婦は右往左往が続いています。
拘留中に妻は出産、警察は「嫌がらせ」のタイミングを狙ったか、また、取り調べ中検察官は「あなたは殺人者だ」と暴言、捜査側の人間性を疑うとの声も上がりました。
裁判中にもかかわらず、捜査に当った富岡署には、福島県警本部長表彰が授与されました。
中立的であるべき公共放送のNHK・6時のニュースで、加藤医師の有罪に立脚したとみられる、煽情的な報道がなされ、地元医師会をはじめ、多数の専門学会から抗議声明が殺到しています。
「前置癒着胎盤合併症」、産科医にとっては一生に一度遭遇するかしないか、とも言われている希少な例です。
検察側は加藤医師に「禁固1年・罰金10万円」を求刑、県当局は、早々と減給1か月の処分を科しました。
検察側は、論告の中で「臍帯」を「ジンタイ」と読みあげる失態を演じるなど、医学的素人ぶりを曝して失笑をかう場面もあったそうです。
この起訴によって、多くの一人産科医が退職したり、産科医の標榜を下ろしたり、産科の集約化による無産科病院や産科の閉鎖が急増し、臨月の妊婦のタライ回しが増えています。
不幸にして亡くなった妊婦の無念、残された遺族の心情も察するに余りありますが、日本の医療史の分岐点とも云える、注目の一審判決は、いよいよ明後日、20日に迫りました。