土曜日になると、SLみなかみ号が走ります。我が家の庭のミツバツツジが満開になりました。
しばらくブログ「臨床検査の光と影」の更新を怠っていました。いささか違った話題もアップしようとおもっています。
昨年の晩秋の土曜日の午前中、カメラを肩にいつも通りのウォーキング中、そろそろ水上駅行、上りSLみなかみ号C6120型がくるころと、連写にセットして構えていたところ、偶然にも、上りの普通電車が右方向から走ってきて、すれちがいの瞬間に出会いました。3~5秒の違いで、こんな瞬間には出会えません。
自宅の30メートル東を、上越線が走っているので、懐かしい汽笛と石炭の臭いが懐かしく思い出されます。自宅の近所は、SL撮影のスポットになっているようで、車のナンバーをみると、かなり遠くからもやってきます。
語り継ぐ戦争の記憶など6編
彼は生まれつきの難聴者でした。小中校と、ほとんどの同級生はそのことを知らなかった。
彼もまた、話すことはなかった。教師の声は届かなかった。戦争、空爆、前橋の自宅は消失、貧困、極度な食糧難、しかし、一大決心をして旧制中学から上京。印刷屋職人から進駐軍の日雇い労役などで糊口をしのいだ。めげなかった。だから決してが暗い青年期の物語ではなかった。出逢った人々の何と大らかで、ユウモラスで、それぞれが個性豊かで、愛すべき人たちが描かれていて、次のページに進みたくなる。
東大を目指して見事合格、文字通りの苦学であった。マスコミの要職につての傍ら、難聴者の多いことに啓発されて、難聴者の全国組織をたちあげ、著書また多い。「べーとヴェンのみみ」「本当は聞こえていた、べートーヴェベンの耳」など。
丸山一保・ペンネーム・江時 久 群馬県渋川市出身 発行・文芸春秋企画出版部 発売・文芸春秋
「認知症」 に大きな関心
このところ、新聞・テレビ・週刊誌など、高齢者の認知症・徘徊事故や事件の問題提起が多くなり、地域防災無線で、徘徊者の探索お願いの放送などもあって、関心の高まりを反映しています。
たて続けに、地域公民館や高齢者の会・連絡協議会などから講演依頼があって、パワーポイントの作画や資料提供の作成などにあたりました。
認知症の病理、徘徊問題や・物忘れテスト、サルコペニアテスト、フレイルのチェックなどのほか、頭の体操、運動のバリエーション、地域や自治体の、徘徊者保護の取り組みの実例などを紹介しました。
メモを取ったり、画像にうなづいたり、真剣に聞き入ってくれました。
69年前の夏の記憶 ⑬
神風特攻隊のこと
神風特攻隊の自爆攻撃作戦を企画立案した人、出撃命令を下した人、命令に従った隊員、その隊員の多くは20歳代が最多でした。
8月15日、終戦の数日後、友人の兄(30歳)が、前日の14日に出撃して戦死したと、知らせがとどきました。
多くの特攻隊員を送り出して「最後の1機で必ず出撃する」と云った陸軍第6航空軍司令官S中将は、戦後96歳まで生き残りました。多くの回想録や回顧録がでましたが、終戦が決まった翌日、自決した司令官や、早々と台湾に逃亡した上官もいたことを、あとで知りました。
5年ほど前に知覧特攻平和会館を訪れました。439名の遺書や遺品、若き隊員の写真など見つめ、喉が押し潰れるような衝撃を受けました。
とき、あたかも集団的自衛権行使の閣議決定を、国会審議もなく強行されました。最近では、米艦や米航空機が攻撃されたら、自衛隊が防衛行動に出るなどの見解が明らかになってきました。
戦争を知る戦前生まれの国会議員、衆議院では僅かに41名(9%) 参議院は28人(12%)
作家の半藤一利氏は「日本人は戦争の悲惨さ、残酷さを知らなくなったと、つくづく思う」と。