撮影でのトラブルは避けて通ることは出来ません。
撮影場所取りのトラブルは
撮影者対撮影者なので
ののしり合ったり、
また殴り合ったりして解決しますので、
書くまでもないでしょう。
土地の所有者と撮影者のトラブルは
大抵、撮影者が悪いので、
トラブルにならないような気配りが必要です。
一般客と撮影者のトラブルは
三脚に触れたとか、
ファインダーに入るとかで、
撮影者がわめくことが多いのですが、
これも大抵、撮影者の方が悪いようです。
撮影者は謙虚にならねばなりません。
有名イベントや寺院では
三脚禁止の所が多くなりました。
これは撮影者と一般客のトラブルや危険防止の観点からの措置でしょう。
デジカメの発展で必ずしも三脚を必要としなくなりました。
和尚が昨年、見聞きしたトラブルを考えます。
すこし厄介なものです。
2件あります。
それを実名のまま記すると
差し障りがありますので、略して書きます。
宇陀市のイチョウで有名な寺です。
住職が話し好きで、
訪れる時には住職に声をかけて撮影するようにしています。
いい状態の落ち葉を撮りたいので、
3回訪れました。
2回までは住職がいたので問題はなかったのですが、
3回目に訪れた時に、
先客(撮影者)が3人いましたが、
寺側は住職ではなくお庫裏さんがいました。
「来てほしくない、帰ってくれ」と。
散った葉を掻き出していました。
訳が分からないまま、
何かあったのか?聞くまでもなく、
追い出されてしまいました。
それだけのことですが、
それ以後、行っていません。
何があったのか分かりませんでしたが、
仏に仕えるものとして、言ってはならないことを
和尚(私)は聞いてしまった思いです。
「来てほしくない、帰ってくれ」の一言です。
こういうトラブルは悲しくなります。
もうひとつは聞いた話です。
和尚(私)はその日の朝、
(撮影に)行ったばかりでしたので気になっていました。
御所市のお寺ですが、
通路ではない所に撮影者が入り込んで、
それを見た住職が注意をした。
そこまでは良かったのですが、
・・・本当は来てほしくないのです・・・
・・・檀家が多いので、拝観料を戴かなくても、寺の経営は十分・・・
・・・マスコミ関係の取材もお断りしている・・・等々。
この二つに共通していることは
寺側が「来てほしくない」と言ったことです。
和尚(私)が厄介と書いたはのはこのことです。
撮影者の反省は当たり前ですが、
仏教に限らず、すべての宗教は
あらゆる人の訪問を拒まずというのが
和尚(私)の考え方です。
ですから寺側の拒否には戸惑いを感じます。
あまりにも短絡的過ぎやしませんか。
撮影者のマナーの悪さと、訪問拒否は別物です。
住職と言えば大変徳を積んだ方です。
もっとおおらかな気持ちになっていただけないでしょうか。
京都の観光寺院と比べて、
奈良はいい神社仏閣が残っています。
いい環境にいい人心が宿ります。
和尚(私)の戯れ言でした。
撮影場所取りのトラブルは
撮影者対撮影者なので
ののしり合ったり、
また殴り合ったりして解決しますので、
書くまでもないでしょう。
土地の所有者と撮影者のトラブルは
大抵、撮影者が悪いので、
トラブルにならないような気配りが必要です。
一般客と撮影者のトラブルは
三脚に触れたとか、
ファインダーに入るとかで、
撮影者がわめくことが多いのですが、
これも大抵、撮影者の方が悪いようです。
撮影者は謙虚にならねばなりません。
有名イベントや寺院では
三脚禁止の所が多くなりました。
これは撮影者と一般客のトラブルや危険防止の観点からの措置でしょう。
デジカメの発展で必ずしも三脚を必要としなくなりました。
和尚が昨年、見聞きしたトラブルを考えます。
すこし厄介なものです。
2件あります。
それを実名のまま記すると
差し障りがありますので、略して書きます。
宇陀市のイチョウで有名な寺です。
住職が話し好きで、
訪れる時には住職に声をかけて撮影するようにしています。
いい状態の落ち葉を撮りたいので、
3回訪れました。
2回までは住職がいたので問題はなかったのですが、
3回目に訪れた時に、
先客(撮影者)が3人いましたが、
寺側は住職ではなくお庫裏さんがいました。
「来てほしくない、帰ってくれ」と。
散った葉を掻き出していました。
訳が分からないまま、
何かあったのか?聞くまでもなく、
追い出されてしまいました。
それだけのことですが、
それ以後、行っていません。
何があったのか分かりませんでしたが、
仏に仕えるものとして、言ってはならないことを
和尚(私)は聞いてしまった思いです。
「来てほしくない、帰ってくれ」の一言です。
こういうトラブルは悲しくなります。
もうひとつは聞いた話です。
和尚(私)はその日の朝、
(撮影に)行ったばかりでしたので気になっていました。
御所市のお寺ですが、
通路ではない所に撮影者が入り込んで、
それを見た住職が注意をした。
そこまでは良かったのですが、
・・・本当は来てほしくないのです・・・
・・・檀家が多いので、拝観料を戴かなくても、寺の経営は十分・・・
・・・マスコミ関係の取材もお断りしている・・・等々。
この二つに共通していることは
寺側が「来てほしくない」と言ったことです。
和尚(私)が厄介と書いたはのはこのことです。
撮影者の反省は当たり前ですが、
仏教に限らず、すべての宗教は
あらゆる人の訪問を拒まずというのが
和尚(私)の考え方です。
ですから寺側の拒否には戸惑いを感じます。
あまりにも短絡的過ぎやしませんか。
撮影者のマナーの悪さと、訪問拒否は別物です。
住職と言えば大変徳を積んだ方です。
もっとおおらかな気持ちになっていただけないでしょうか。
京都の観光寺院と比べて、
奈良はいい神社仏閣が残っています。
いい環境にいい人心が宿ります。
和尚(私)の戯れ言でした。