和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

二上山に登る

2010-02-14 15:10:47 | カメラ
和尚はいつも大和平野(盆地)から
二上山の写真を撮っております。

二上山に欠かせない歌
うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む(巻2-165)
{大伯皇女が弟の死を偲んで詠う}

山麓を走る国道は165号
偶然ですが165が一致しました。

今日、8時に家を出ました。
歩いて登山口まで30分。
それから雄山まで60分で到着です。
展望が開けないのですが、
静かで歩き易い道です。

谷間の光


唯一展望の開ける所から大和平野を望む


雄山の頂上には大津皇子の墓があります。
宮内庁の管理になっていました。

大津皇子の墓


雄山の頂上は全く展望がききません。

雌山まで行くと展望がききます。(大阪平野)
公園になっており、サクラも植えられ、
春は美しいと思われます。

PLの塔を望む


明日香方面も少しだけ、畝傍山が見えます。


帰りは岩屋峠経由で当麻方面に下りました。

昔、近つ飛鳥から飛鳥に抜ける道は
竹内峠と岩屋峠に分かれていました。
岩屋峠の道は聖徳太子が拓いたといわれています。

登山道を下りきった所に傘堂があります。
以前にも紹介したと思いますが、
もう一度写真を載せます。

傘堂


こんな事をしてはいけません。

その気になれば犯人は分かります。

帰り道の民家で福寿草が


白梅が


帰りの岩屋道はハイカーが多かったです。
朝焼けがあれば素晴しいと思われる場所がありました。
お彼岸の頃の朝焼けです。

歩いて家まで帰りました。


真夜中の調理師

2010-02-13 05:52:43 | カメラ
真夜中の調理師とは和尚のことです。

以前にも書きましたが、
写真よりも好きなことが料理です。
好きなものを好きなだけ食べていた和尚は
短身でありながら88kで太り過ぎでした。
でもこの半年で74kまで落としました。

和尚の家は100%電気です。
夜間の10時から翌朝の7時まではかなりの割引なので、
電磁調理器を使うにはこの時間帯が経済的です。
ですから真夜中に料理をします。

今日のことです。
◯アサリの佃煮
◯きんぴら牛蒡
◯高菜の炒め佃煮
◯丁稚羊羹風こしあんの寒天寄せ
この4品でした。

高菜の炒め佃煮を紹介しましょう。
2週間ぐらい日持ちしますので、常備菜として最適です。
漬け物になった高菜漬を買って来ます。
ホールであっても刻んであってもどちらでもいいです。
ホールは細かく刻みます。
元々味がついていますので。
一旦、水に戻して味を薄くします。

フライパンに胡麻油を引いて炒めます。
炒めながら少量の酒、花カツオ、汐吹昆布を入れます。
味をみながら、醤油を入れて味を整えます。
好みの味になったら炒りごま、一味唐辛子を入れたら仕上がりです。

高菜


アサリ佃煮


キンピラ


寒天寄せ 固まり始めています。


これだけあれば米だけで2週間生き延びられます。

今日の昼は昨日仕込んだ鳥の燻製のいぶしに入ります。

長谷寺

2010-02-12 11:17:39 | カメラ
長谷寺が三脚禁止になってから
昨年の冬、一度だけ行ったきりで、
ずーとご無沙汰しております。
ボタンの季節も紅葉の季節も遠くから見るだけで、
行きませんでした。
デジカメで三脚ナシで撮れるといっても、
身に付いた撮り方がなかなか変えられないのです。

砂模様が踏まれるのですが、
この日は一人だけでした。


やはり寒牡丹は雪が似合います。


ボタンにピントを合わせるべきだったようです。


雪のある赤は映えます。


ここのアジサイもいいもんです。


長谷寺の対岸にあるスサノオ神社のイチョウ。

高見山

2010-02-11 19:19:29 | カメラ
高見山の霧氷を初めて撮りに行って7年になります。
以後3年は毎年撮りに行きました。
大峠から徒歩で約50分です。
次の写真はその時にものです。

高見山の霧氷は11月から12月の無積雪の霧氷が素晴しいのです。
最初の3枚は12月、あと2枚は1月と2月です。
最後に登ってから4年経ってしまいました。
ついこの前のようでしたが、
この頃、月日が経つのは早く感じます。
残された時間は少ないので、
ぼやーっとしている暇はないのですが、
時間を有効に使ってはいないのです。
困ったものです。

霧氷の樹はブナです。










35年ほど前、大峠の鳥居の横に
高見山大五郎(力士)の碑があったのをご存知ですか。

お遊び

2010-02-11 03:37:03 | カメラ
御所の円照寺 元データ


車と電柱を消してみました。


ただ、それだけです。

 情報・・・
国道24号を奈良から南に向かって
郡山に入ったぐらいの所、
左側に大きな建設現場があります。
3月25日にオープンするイオンモール大和郡山です。
県下では橿原のアルル、西大寺の奈良ファミリーに次ぐ大ショッピングセンターです。


巨勢(こせ)の道

2010-02-10 02:59:08 | カメラ
天気予報が雨の作日、
近鉄吉野口駅で降りました。
始めは時雨れていましたが、
そのうち青空が見えてきました。

阿吽寺に行くためです。
阿吽寺は椿の花で知られていますが、
どんな具合かロケハンです。
ピンクの花のつばき?が花を付けていましたが、
ほとんどの椿は蕾でした。

ちょっと期待はずれでした。

線路を横切る度に

吉野口駅はJRと近鉄の駅が同じです。

次に行ったのが巨勢寺塔跡へ

1.3m角の礎石に88cmの柱穴。
かなり大きな塔であったらしい。

ぶらぶらしていると
古い建物のお寺が目につきました。

丁度、住職がお出かけの時でしたので、
少しだけお話を聞くことが出来ました。
元は禅宗のお寺で、今は浄土真宗本願寺派。
建物は350年になるそうですが、
はっきりしたことは分からないそうです。

次は安楽寺塔婆です。
途中の民家の庭には

稲宿の地名が見えますが、「いないど」と読みます。

安楽寺塔婆

元は三重塔だったのですが、初層だけになっています。
美しいです。

杉板壁


杉板塀


宮塚古墳の入口のクスノキ


曽我川に沿って市尾駅まで歩きましたが、
魚影はありませんでした。
生活排水が流れているようです。
大和川をはじめ、奈良県の平野部の河川は
良くないと思っていたのですが、
この山あいでも同じようなものですから、
御所の葛城山よりの河川のきれいさは
珍しいのかもしれません。
山麓線沿いのお米は美味しいでしょう。

午後の新聞配達に間に合うように帰りました。

西吉野津越のフクジュソウが咲き始めたようです。
3月初旬まで。

御所市

2010-02-09 03:18:07 | カメラ
葛城古道の大半が御所市内を通っていますので、
御所訪れることが多くなりました。
聞くところによりますと、
御所市は財政難団体になっているそうです。
地方都市のほとんどが、そうですが、
御所市も商店街を歩いても活気がありません。
しかし
一歩路地に入ると、
古地図通りの町並みが残っており、
気軽に散策出来るようになっています。
商業地区の西御所と寺内町の東御所が中心ですが、
ゆっくり訪れたい所です。
また、全域ですが
川の水がきれいなのが印象に残っています。

先日訪れた時に
「蛇穴」と書く地名がありました。
「さらぎ」と読みます。
そこにある野口神社には汁掛け祭りの案内板がありました。
面白そうでしたので書きとめました。

汁掛け祭り・・・5月5日、3斗3升3合の味噌でワカメ汁をつくり、参詣者に汁をかけ厄除を作法とする。他方5月4日の午前から藁で蛇の頭を組み、5日に早朝から蛇の胴をつくりあげる。体長約14mにもなる。汁掛け作法が終ると、御神体を先頭に善男善女が村中の一軒一軒に蛇綱をひき廻り家々の邪気を払い、病除を祈願していく。こうして巡行が終ると、神社の蛇塚に蛇綱をトグロに巻き行事が終了する。

一度見てみたいものです。

歩いていて見つけた現代的大和棟?に見えましたので記録。


寺内町に円照寺があります。本願寺派の立派な寺です。
この寺を中心に町が発展しました。


西御所ですが行者街道とあります。


こういった昔のままの民家が多いです。


その他に
うだつの町家や土蔵の町並みがあるそうですが、
今度行ってみたい所です。

御杖

2010-02-08 07:50:50 | カメラ
御杖村の御杖です。
先日の伊勢街道交流フォーラムの講演から、
矢野憲一氏の「倭姫命が辿った道」の題で行われましたが、
本題からはずれて?杖の話が多かったように思いました。
杖の持つ意味には目からウロコです。
神は棒に降臨することから杖の意味合いが、
体を支えること以上に、聖なるもの(神)と一緒にいる状態にあるという。
例えば四国八十八ヶ所巡礼の杖には“同行二人”とあります。
二人とは本人と弘法太子のことですから、
杖には聖なるもの(神)が降りて来ていると解釈しています。

いつだったか、てつまんさんが藁を円筒状に積み上げたススキの
縦の棒に神が宿る、と書いておられたのを思い出しました。

ススキ


御杖村の御杖ですが、
倭姫命が天照大神の安住の場所を求めて、
この地に杖をおいたことが村名の由来になっている書きましたが、
御杖の御とは天照大神のことであるという解釈も、
納得出来ます。
また、杖は立てて置くものです。

天照大神の安住の地が伊勢になった訳ですが、
都からの伊勢詣では伊勢街道がメインルートになりました。
榛原から伊勢本街道と初瀬街道に分かれます。
今、伊勢街道を保存、発掘して行こうとする
風景街道「伊勢街道」連絡協議会というのがあります。
ボランティア活動ですが、毎年着実に成果を上げています。
詳しくはホームページを見てください。

雨の伊勢本街道

巨勢山古墳群

2010-02-07 16:28:05 | カメラ
久しぶりのロケハンハイキングです。

今日は近鉄御所駅から商店街を通り、
寺内町を経て、孝安天皇陵から日本武尊白鳥陵、
巨勢山古墳群、宮山古墳を廻って御所駅までのコースです。
10kmほどの軽いコースです。
水筒とおにぎり4個持ってちんたらと。

旧市内は葛城川を境に
西御所(商業地区)と東御所(寺内町)に分かれています。
古い商家や民家が残り、発見の多い所です。

吉祥草寺

役行者(役小角)生誕の地とありました。

JR和歌山線

こういう風景はノスタルジーを感じます。

日本武尊白鳥陵付近の民家


上の写真に紅梅が写っています。その拡大です。


いい感じの灯籠です。山は葛城山です。


紅梅の赤に誘われて・・・春はそこまで。

無粋な屋根と電線をカットしました。

鴨都波神社

鴨神社三社の一つ。高鴨(上社)御歳(中社)鴨都波(下社)。

焼き杉板の美しい民家


高札場

現代で言うと官報(または公報)。
式目、定書など書いています。

表題に巨勢山古墳群としましたが、
見るべき所が少なく、
隣の宮山古墳ぐらいが荒らされず残っていました。

このコースは朝焼けよりも夕焼けにいい所がありました。
バックは二上山ではなく、葛城山です。
次回は巨勢の道を予定しています。

60歳を過ぎた・・・

2010-02-04 03:14:01 | カメラ
和尚は60歳を2つほど越えようとしています。
家では
加齢臭がするとか
口臭がするとか
頭が臭いとか
やりっぱなしとか言われ続けても
健気に生きております。

「臭」いう字は良くないですね。

和尚が子供の頃、
60歳と言えばかなりのお年寄り、
いつお迎えが来てもいい歳でした。
今、その歳になっています。
何か不思議な感じがするのですが、
この頃、迷惑をかけない老後はあるのか?
を考えます。
まだ死にたくはないのですが、
迷惑をかけない死は突然死でしょうね。
漠然と
眠りに就いたまま、目が覚めなければ
と思うことがあります。

「人間は死ぬまで自分は死なないと思っている。」
これって、真理ですよね。
平均寿命から計算すれば、
あと30年ぐらいは生きられるらしい。
否が応でも迷惑をかけて生き続けることになります。
老後の現状を見ると、惨憺たる思いです。
その現状からいかに抜け出すか、
が和尚の最大の関心事です。

こんなことを書いていると、
和尚らしくない、と言われそうですが、
風景写真のことばかりでなく、
色々思うことがありますので、
たまには戯れ言を、
おや!二日続けて戯れ言ですね。

月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は
日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。

奥の細道の出だしですが、
心情をかぶせるように
和尚も
悩み多き年頃になりました。

漂泊の思ひやまず


ふさぎ込んだら雄大な景色を見よう。

人間が小さく見えます。